第百四十六話 時は僅かに飛び
いまにも雨の降り出しそうな
陽の光は遮られ、頬を撫でる空気は冷たく、帝都は暗く
だが……それは嵐の前の静けさに過ぎない。
これから起こる帝都を
帝都リードリデ、リンドブルム侯爵家屋敷。
踏破授業で起きた
執務室の窓から見える景色は暗く沈んでいる。
見上げれば厚い雲が空を覆っていた。
「…………」
誰も言葉を発さない無言の空間。
同席しているクリスティナもヒルデガルドもラパーナも、あのハベルメシアでさえも何も口に出さずに大人しくソファへと座っている。
張り詰めた空気の中、緊張を帯びた声が僕を呼ぶ。
「……その……ヴァニタス……殺気を抑えてくれないか?」
背後からの控えめな声に振り向く。
執務室の中央、僕の机の前でアシュバーン先生の監視任務を行っていた元監視部隊の隊長シア・ドマリンが居心地悪そうに立ち尽くしていた。
ん?
殺気など出ていたか?
「自覚がないのか? この息苦しい……殺気が……」
おかしなやつだ。
僕は至って普通だぞ。
「……いや、いい。私は私の仕事をするまで、だ。事の
「そうか……」
「我々が救出した際に結社の手の者と交戦する事となったが特に手練れもおらず問題なく処理出来た。奴らもまさか自分たちが奇襲される側に立つとは思っていなかったのだろうな。彼らの多くが生徒たちを探すのに
シアたちの部隊には生徒たちの救出を任せていた。
善意の協力者……とはいっても初めは乗り気ではなかったが僕が強引に誘った形だ。
どの道アシュバーン先生に助力を
なら有効活用しなければ勿体無いからな。
シアの報告ではマユレリカやイルザたちも無事に救出出来たそうだ。
といっても彼女らの実力は学生としてはかなり高い部類。
二人とも同じ班だったし元からあまり心配はしていない。
ああそれと、一部の生徒が強引について来ようとして面倒だったらしいが……まあ、これは誰のことだかは少しは見当がつく。
「教職員には何人か負傷者こそいるがこちらも目立った被害はない。一部生徒たちを守るために奮闘し、重傷あるいは意識を失った者もいたが、
しかし、幸いなことに、ラゼリアの連れてきてくれた援軍には回復魔法の使い手もそれなりに揃えてあった。
怪我を動ける程度まで治したクロード先生は、いま頃は帝都から呼んだ騎士団の援軍、それと後を任せたラゼリアと共に捕縛した結社の手の者の処理や生徒たちのケアに忙しくしていることだろう。
また、真の力ともいうべき本来の潜在能力を発揮したフロロ先生は、押し寄せてくる魔物の大半を倒したが魔力を使い果たし気絶した。
彼女の魔法は死を
朧気な
性格的にはフロロ先生が僕たちと敵対することはまずないだろうが……少し注目しておくべきか。
「……騎士たちは死者、負傷者多数。特に管理区域を包囲する形で見張りについていた騎士たちの多くが不意を打たれ殺されることとなった」
「…………」
彼らの多くが結社の襲撃を知らずして亡くなった。
予期せぬ突然の奇襲。
勿論彼らにも学園から詳しい事情は知らされなくとも、それとなく今回の踏破授業では警戒してくれとの通達ぐらいはあっただろうが、それでも僕自身は警備にあたる騎士団に直接警告はしていない。
……信じられるかは別としてあの襲撃を騎士団に知らせる手段もあるにはあった。
たとえ妄言だと捉えられたとしても形振り構わず警告していれば死傷者の数は確実に抑えられたはずだ。
だが誰が敵か味方かもわからなかった。
結社の手の者は何処にでも潜んでいておかしくないのだから。
故にこそ学園に警告するに留めた。
本当に襲撃があるかは予測の範囲を抜けなかったから。
……言い訳だな。
「残念だ……我らの力さえ及べば……彼らも……」
「シア……何時ぞやのように僕の責任だと思うか?」
「いや……責任といえば私たちの力不足が問題だろう。管理区域の森は広いとはいえ監視を任されていた私たちが奇襲を未然に防げなかったのだから……」
シアは苦しそうに顔を歪ませつつ
……何事にも甘いこの女のことだ。
必要以上に責任を感じているのだろう。
「馬鹿なことを聞いた。アレはお前のせいではない。僕の力が足りなかったせいだ」
「ヴァニタス……」
シアの
彼女は暫く僕と見詰め合っていたが、ハッとしたように目を逸らした。
「……つ、続きだ。
「またあの男だな。……本当に戦局を見極めるのが上手いというか、引き際を弁えているというか……逃げ足が早い男だ」
封印の森でも僕らから逃げおおせたヤツは今回も見事に逃走を成功させていた。
ラゼリアの新しい魔法はあの
「ラゼリア皇女殿下は終始優勢だったようだが、
僕たち生者とは異なる不浄なるもの。
一説には
主に骨だけの姿や腐った肉や瘴気とも呼ばれる不浄なオーラを纏った姿で、魔石を核として有する魔物。
それらがラゼリアたちの参戦後に彼女たちの不意をつく形で集団で現れたらしい。
「頭部や体の各部位に何やら読み取れない文字の書かれた紙を貼り付けた魔物たちですね。私たちも戦いました。……あの魔物は一体何だったのでしょう。
「倒しても、立ち上がる! 面倒!」
「矢で射抜いても何事もないように進んでくる。……本当に戦い辛かった」
ヒルデガルドやラパーナからも不評な敵か……。
「私もそれなりに魔物の種類は知っているつもりだったが……あのような魔物は知らない」
「そうか……僕の方でも調査を進めたいところだが……」
シアでも知らない魔物……新種の魔物か?
可能性はなくはないがそれより体に張り付いていた『紙』の方が問題だろう。
……何らかの魔法で作られた魔物か?
いずれにせよ敵の戦力を見極めるためにももう少し詳しく調べたいところだ。
……だがいまはいい。
それよりも……。
「……それで? ラルフを嵌めたヤツは?」
「ぐっ……だから殺気を抑えてくれと……」
ラルフは僕へと教えてくれた。
推測だがオータムリーフがこの件に関わっていると。
……となると僕には少しだけ心当たりがあった。
貴族たちの集まる催しでラゼリアと揉めたというオータムリーフ公爵家の次男。
「リヒャルト・オータムリーフじゃな」
「先生」
初めから執務室に居たかのようにすっと何処からか現れるアシュバーン先生。
「やはりラルフ少年の家族を人質に取っておるのはリヒャルト・オータムリーフで間違いなさそうじゃ。オータムリーフ公爵家の次男。公爵家由来の一つを含めた三つの先天属性を有する将来有望な若者……自称じゃがな」
「そうですか……」
「リヒャルト個人の屋敷、別荘かの。シアちゃんの部下たちとチラッと見てきたがそこも厳重な警備が敷かれておった。まず間違いなく襲撃を警戒しておる」
「なら、ラルフ・ディマジオの家族は別荘に匿われている、と見て良いでしょうか……」
「ううむ。じゃがのう。どうやらリヒャルト自身は屋敷にはおらんようじゃ」
「となるとリヒャルトの潜伏していそうな場所は……」
「公爵家の邸宅、じゃろうな。無闇に隠れるより堂々としておった方が良いというのもあり得る話じゃ。丁度当主は領地に戻るため帝都を出発した直後らしいしの」
「そうですか……」
その時、執務室の扉がけたたましい音と共に豪快に開いた。
「ヴァニタス!」
「どうしたラゼリアそんなに血相を変えて」
管理区域での後始末を任せていたラゼリアが息を切らせて部屋へと入ってくる。
彼女は途端真剣な表情で僕の前へと立った。
「どうしたではない! ヴァニタス、お前……大丈夫か?」
「……ああ、何も問題ないさ」
「本当にか?」
「…………」
当然の乱入者にクリスティナがここまでの大まかな流れを説明する。
事情を知ったラゼリアは案の定荒れた。
いや……荒れるというより覚悟を決めて僕へと問い質した。
「私も多少なりとも同じ時を過ごしてきたんだ。考えは読めるぞ。……行くつもりか?」
「………」
「私も連れていけ」
「ラゼリア……」
「わかるぞ。オータムリーフの邸宅に直接乗り込むつもりなのだろう?」
「駄目だ。連れてはいけない」
ラゼリアは悲しそうに顔をしかめる。
「何故だ? 私では戦えないからか? 二度も同じ敵を逃したからか?」
「違う」
「……意地悪なことを聞いた。だが気持ちはお前と同じだ。頼む。私にもお前の力にならせてくれ」
「……駄目だ」
「何故だ。……リヒャルトのヤツと最初に揉め事となったのは私だ。私がヤツと要らぬ因縁を作った」
軽く報告は聞いていた。
ラゼリアは僕へと誤魔化したりしない。
だが僕も当時はそれほど気にも留めていなかった。
というより僕を恨みに思う理由など見当もつかなかった。
僕の噂が広まることへの嫉妬か?
それにしてはあまりに
「……帝国は公爵家に多大なる権力を与えている。それこそ皇族に匹敵する権力を。お前がいけば必ず問題になる。……こんなことは言いたくないがお前の立場では……不利だ。だが、
ラゼリアの言葉は真実を語っている。
侯爵家と公爵家は発音こそ似ているが公爵家の方が爵位は上だ。
その
あるいは立ち回り方を間違えれば僕の方が帝国を追われる身になる可能性もある。
「これは僕の問題だ。僕とそう、リヒャルト・オータムリーフのな。……ラゼリア、止めないでくれ」
「ヴァニタス……だがっ!」
「僕の心は決まっている。リヒャルトと決着をつける」
どうなろうとも……な。
ヤツはそれだけのことを仕出かした。
ラルフは自分が裏切った報いを受けるべきだといった。
だが違う。
報いを受けるべきは
「ヴァニタス……」
「…………」
話は終わった。
動くなら早くしなければ。
踏破授業が襲撃によって有耶無耶になってから、後始末もせずに帝都へと戻ってきたのは
僕が屋敷に戻ったことは察知しても、
であるなら人質を始末する可能性は低い。
人知れず関与の証拠を消すにしても僕のこれからの動向や安否を確かめてからでも良いと考えるはずだからだ。
それでもヤツが早急に、それこそ踏破授業の前にラルフの家族を亡き者としている可能性もある。
しかし、ここまで関与の証拠をほとんど残さなかったヤツのことだ。
殺していないんだろう?
最後の切り札のために必ず取っておいてあるはずだ。
このあとの動き方について打ち合わせをするべく僕はクリスティナたちへと向き直る。
だが……。
「……待ってください、主様」
「クリスティナ?」
クリスティナは真っ直ぐ僕を見ていた。
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