第百四十二話 碌でもない教師の意地


 生徒ヴァニタスを差し出せと女騎士フリーダはオレに言った。

 もう諦めろ、勝ち目はないと。

 憂いを帯びた瞳のまま彼女はオレに諭すように語り始める。


「元々我らの目的はヴァニタス・リンドブルムとその奴隷たちのみ。この襲撃もすべては一人の少年とその周りにいる者たちを排除するためのもの。しかし……個人的に言えば奴隷たちは見逃してもいい。あちらにも我らの同志が向かったが、もし貴殿が降伏を宣言してくれるなら私から穏便に済ますよう説得しよう」

「…………」

「我々は他の教員や使用人たちにはさして興味はないんだ。最優先事項さえ片付けられればそれでいい。どうだ? 貴殿が降伏を宣言してくれればこの後のこともスムーズに終わるだろう。諦めて降伏してくれないか。そしてヴァニタス・リンドブルムを私に引き渡して欲しい。それで我らは去る。一人を除き誰も傷つかない。取引としては悪くないと――――」


 冷気で凍りついた手で地面を思い切り殴る。


 氷と共に皮膚が割れ、剥がれ落ち、亀裂から血が噴き出す。


 ……痛えな。

 深く刻まれた傷が燃えるように痛い。


 だが構うもんか。

 あんな戯言ざれごと、最後まで言い切らせてたまるか。


「…………知ってたさ」

「何?」

「お前らが来るかもしれないことは知っていた」

「………なんだと? では、この戦いは……」

「だとしても、だとしてもだ」


 ああ、そうだ。

 コイツは善意のつもりで言ってやがる。


 本気でヴァニタスを差し出せば魔物たちを引かせるつもりで言っていた。


 だがなぁ。


 それは――――侮辱だ。


 オレだけじゃない。

 この場で必死に戦う連中全員を馬鹿にする言葉だ。


「オレは教師だぞ」

「…………」

「オレの後ろには生徒たちがいる。誰が誰を差し出せだって?」


 ヴァニタスは確かに気に喰わない生徒だ。


 元々生意気な生徒ではあったが、長期休暇を経て何だかよくわからない変化があった。


 以前までの手に負えない乱暴さは鳴りを潜め、今度は得体のしれない迫力を纏うようになった。


 今回だっていきなり踏破授業で学園の生徒たちが襲われるかもしれないなんて突飛とっぴなことを言い出しやがって。

 学園長は勿論オレだって目を見開くほど驚いたんだぞ。


 そもそもこの授業の開催自体話を聞いてから随分と悩んだ。

 襲撃が本当なら生徒たちを危険に晒す訳にはいかないし、かといってそれが本当に起こるかはヴァニタスの証言だけで確証がない。


 結局学園長は一部の教師にだけ懸念事項けねんじこうとして伝え、箝口令かんこうれいを敷いたうえで授業の開催へと踏み切った訳だが、アイツが直前に言うものだからもしもの時のための準備も禄に出来やしない。


 『あくまで僕の予想ですから授業を行うな、とは言いません。しかし、僕としては打てる手は打っておきたい。僕は僕で万が一のための準備をしますので許可だけは下さい』とヴァニタスは言ったが、一生徒に対応を任せっきりという訳にもいかない。

 そりゃあオレたちだって万全を期すために動くがそれだって限界がある。


 管理区域の監視と護衛も兼ねた騎士たちは例年の倍以上に増員して貰ったし、教師陣も交代で夜を明かし、常に動ける人材を確保していた。

 表立って生徒たちには見せないがピリピリとした緊張感の中、この管理区域に来る道中だって細心の注意を払っていた。


 帝都に待機する各騎士団の騎士団長にも片っ端から参加してくれるよう要請もした。

 まあ、すでに全員スケジュールが決まっていたらしくすげなく断られたが。


 これも結社とやらの暗躍のせいなのか?

 オレにはその辺りの事情はわからないが、元々数ヶ月前には決まっていたこととはいえ、例年なら毎年参加していた各騎士団の騎士団長が今年に限って一人も参加しないなんてことがあり得るのか?


 ……とにかくヴァニタスが突飛なことを仕出かすのはいまに限った話じゃない。

 その度に翻弄ほんろうされて焼きもきさせられるんだ。


 ああ、あいつに関しては色々と諦めているさ。

 それは認める。


 でもなぁ。


「……オレはオレの弱さを知ってる。面倒臭がりで、現状を変えたいと思っても何もできない碌でもないヤツだって。そして、到底お前にはかなわないってな。だけど違うだろ。諦める? 生徒を差し出してのほほんと生きるだと? そんなことをして何の意味がある」

「貴殿は……」

「オレは教師だ。フリーダ・ アルテム、教師オレたちを舐めるなよ。たとえ死んだって生徒をお前らに渡してやるかよ」

「……謝罪しよう。貴殿は類稀たぐいまれなる剣士であり……生徒たちを守り導く立場にいるのだな」

「なら引いてくれ。オレたちは別に追わない」

「……それは出来ない。我らには大義があるのだから」

「たった一人の子供を襲いに来て一体どの口でほざいてやがる」

「…………」


 こんな子供を襲うような大それたことを仕出かしておいてお前らに大義なんてねぇよ。

 そう叫びたかったがこの後のことを思えばそんな余計な体力は使えない。


「――――二刀一対の曲刀ビーゲンシュヴェーアト

「…………結局争うしかない、か」

「お前らが始めた戦いだろうが……最後まで戦え」


 ヴァニタス生徒の元へは行かせない。

 それがどんなに面倒なことでもここだけは引き下がれない。


 諦めたりなんか出来ない。


 ふとヴァニタスとアンヘルの決闘を思い出していた。

 まったく状況は違うのに、両者の実力も戦う理由もなにもかもが違うのに。

 それでも何故か思い出していた。


 覚悟の差か……オレに覚悟はあるか?


 どちらともなく無言に構える。


 冷気漂う蒼き魔剣。

 俺の両手には一対の曲刀。


 魔物共と騎士たちの織り成す戦闘音すら掻き消えるような静寂。


 先手は女騎士フリーダ。

 彼女は橙色の瞳に浮かぶ迷いを振り払うように魔法を放つ。


 それも特大の魔法を。


「――――氷霜の氷河群峰」


 先程までの地面を這う霜どころではない。

 オレの身長すら軽く飛び越える氷の山脈の如き霜の峰が、地面から次々と生え迫る。


 魔力による身体強化で辛うじて躱す。

 ……少し掠ったな。


 鋭利に尖った氷に腹が割かれ血が滲む。


 だが、まだ軽い。

 まだ動ける。


「曲がる旋風ヴィルベルヴィント!」


 魔法を織り交ぜ身体強化に任せて突っ込む。

 遠距離戦が出来ればいいがあいにくオレは剣士、危険だとわかっていても距離を詰めることしか出来ない。


「ハッ――――」


 曲刀による息もつかせぬ連続斬撃。

 これまた盾に防がれるがそれでもオレは止まらない。


「くっ……いつまでもっ!」


 斬撃の雨に魔剣が迎撃しようと動く。


 ここだっ。


「何!?」


 魔剣ロングソードの切っ先を曲刀の曲線を生かして絡め取る。

 冷気は覚悟の上だ。

 凍らせるなら凍らせればいい。


 オレはこの剣を二度と離さない。


 動かす勢いごと絡め取った魔剣を地面へと受け流し食い込ませる。

 体勢が崩れた。


 即座に跳躍。

 飛び掛かり空中からの二刀の振り下ろし。


「……暗剣エッジ・オブ・ダーク

「!?」


 盾から刃!?

 黒い針のような刃が盾の影になった部分から顔面目掛けて勢いよく伸びる。


「この野郎っ! 集う旋風ヴィルベルヴィント!」

「ッ!? 本人を加速させる魔法か!」


 真横からの魔法発動。

 旋風は空中のオレを疾風のような加速で押し出し、黒い刃の射程より抜け出す。


 ヴァニタスからフリーダと呼ばれる女騎士が『氷霜』と『暗剣』、二つの先天属性を持っているらしいことを聞いていて良かった。

 でなければいまので終わっていた。


「躱すか……なら切り刻む――――暗兇刃バーサーク・ダーク・エッジズ


 魔剣の一振りで四つの黒い刃が飛ぶ。

 闇を塗り固めたような縦に長い刃は荒れ狂う力の塊。


 地面に深い溝を刻みながらも、まったく衰えることなくオレの回避する場所すら奪うように迫ってくる。


「集う旋風ヴィルベルヴィント! 」


 一歩でも前へ。

 後押しする自分の魔法に体が悲鳴をあげてもそれでも前へ。


「くっ……」


 黒い刃を紙一重で切り抜け、灰色の騎士甲冑の隙間に刃を通す。

 フリーダの盾を構える左肩を切り裂いた。


 ……浅い。

 あれじゃあ掠っただけで到底傷つけたとはいえない。


「――――斬り伏せる十創の太刀風シュヴェーアト・クロスヴィント!!」

「――――氷霜の氷河群峰」


 曲刀二刀を重ねた十字の斬撃と猛る氷霜の峰。

 互いの大技が衝突し打ち消し合う。

 

 ……なんとか渡り合えてる、か。


 しかし、まともに打ち合えばやはり魔剣の分競り負けるのはこっちだ。

 ならこれまで以上に撹乱かくらんを……。


 そう思い一歩を踏み出しオレは見た。


 女騎士フリーダが魔剣の切っ先を地面へと向け――――突き刺す様を。

 





氷気魔剣フロストピリオド――――銀氷霜世界」






「無差別に凍らせる……だと……」


 白氷が体の表面を覆う。


 地面から這い上がってくる氷に手足が瞬時に凍りつき、流れ落ちる血ですら動きを止める。

 芯まで冷却する極寒の世界に吐く息ですら突き刺すように痛い。


 辛うじて動く視界の先では周囲一帯、数十メートルの範囲が一瞬でてつく氷と霜の世界へと変わっていた。

 あれだけ暴れ回っていた魔物も応戦するべく団結していた騎士も、両者の陰でうごめいていた黒フードの連中も、すべてが凍りつき動きを止める。


 動け、ない。


 女騎士フリーダは氷漬けになり致命的な隙を晒すオレを憐れむように見下ろしていた。


「すまないな。時間がない。風情ふぜいのない決着だがどうか許して欲しい」

「て、帝都の……騎士団か……」

「そうだ。この作戦は元々電撃作戦。帝都からの援軍が来る前にすべてを終わらせる必要があった。……すなわちヴァニタス・リンドブルムの抹殺をな」

「やっぱりこの襲撃は……ほ、本当に……」

「……貴殿への提案は嘘偽りなく本当のことだった。降伏してくれるなら無闇に他の者たちを傷つけるつもりはなかった。……少なくとも私はな。ここには我らの敵である貴族ではない者たちもいるのだから」

「…………」

「貴殿のような男がいるならあるいは帝国の貴族たちの未来も少しは……。いや、いまとなって詮無きことだ。もう会うこともないだろう。――――さらばだ。名もなき剣士であり守り導く者よ」

「ッ……」


 冷気纏う蒼い魔剣が頭上で煌めく。


 ……あれが振り下ろされればオレは死ぬだろうな。


 だがなぁ、そんなにっ! 簡単に! 諦めていられるかよ!


「ぐぅ……があぁっ……」


 氷の牢獄と化した氷霜を少しでも剥ぐため必死で体を動かす。

 激痛だった。

 体が引き裂け砕け散ってしまうかのような痛み。


「があぁっ!!」

「……無駄なことを。余計に苦痛が長引くだけだ。いま楽にしてやる。――――ッ!? 何の音だ!?」


 魔物共の悲鳴が聞こえる。

 それは暴竜皇女と呼ばれるルアンドール帝国の第四皇女が、魔物たちの中心を強引に通り過ぎた音だったがこの時のオレは知らなかった。


 フリーダ……隙だらけだぞ。


「……ヴィ、旋風ヴィルベルヴィントォ!」


 動き続けたことで氷霜と体の間に出来た僅かな隙間に魔法を直接打ち込む。

 痛みはもうよくわからない。

 でもコレ、氷と一緒に全身の皮膚まで剥がれてるだろ。


 まあいい。


「貴殿、何を!?」

「せめ……あい……ぅ……」

 

 芯まで冷え切ったせいでまだ口が上手く動かない。

 だが目と目があったんだ。

 オレの真意は伝わっただろう?


 せめて相打ちぐらいじゃねぇと格好がつかねぇよ。


 幸い止めを刺される寸前だったからフリーダの位置は近い。

 握りしめた二刀の曲刀を渾身の力で突き立てる。


 これでも……喰らいやがれ。


「ッ!?」「ぐっ……」


 しかし、事はそう簡単には運ばない。

 突如として戦場一帯、いや寧ろ生徒たちのいる管理区域まで響くかのような激しい轟音が鳴り響く。

 腹の底にまで響くあの音は……。


「これは……雷鳴?」


 ……なんだ絶好の機会を逃しちまったか。

 

 不意をうつ轟音に距離を取った女騎士フリーダは、背後を振り返り音の出処を確認する。

 あれは………。


「え、援軍だ!」

「た、助かった」

「これは……この矢の魔法はっ!?」


 襲い来る魔物共の背後から次々と敵を一掃するのは桜色に彩られた雷の矢。

 豪雨の如く降り注ぐそれはまるで雷の嵐のようだった。


 魔物共の数が減ったところに掛け声と共に騎士たちが雪崩れ込む。

 あの鎧は近衛のために仕立てられた特別な鎧――――皇族の騎士。


 戦況が一気に傾いていく。

 追い詰められ数の暴力に苦しんでいた騎士たちが、助力を得て息を吹き返し反撃へと転じる。


 そして、多数の騎士たちを従え彼女は現れた。

 その手に油断なく弓を構えて。


「あれは……若い、学園の生徒か?」

「クロード先生……すみません、どうやら遅くなってしまったようですね」

「……リーズリーネ」


 リーズリーネ・スプリングフィールド。


 歴代のスプリングフィールド公爵家の中でも、並ぶ者なき才女と噂される『春雷しゅんらい』の先天属性を持つ彼女がそこに立っていた。











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