第百四十一話 クロード・バフティと氷気の魔剣


「貴殿がこの集団を指揮する者だな? ……悪いがここで仕留めさせて貰う」


 魔物の軍勢を掻き分け目の前に立ち塞がったのは灰色の騎士甲冑を着込んだ女騎士。


 銀の髪で片目を覆い隠した彼女は立ち姿からも相当な実力の持ち主だと理解出来る。

 なにより魔物共を率いる立場にある人物なのは最初に天幕群を奇襲し宣言していた内容からも明らかだった。


「我が名はフリーダ・アルテム。闇に生きる主君なき騎士。貴殿の名は……いや、所詮この身は悪逆の輩。いまさら礼をしっするなどと……。余計なことを聞いた。忘れてくれ」


 フリーダと名乗った女騎士は重厚な鞘から抜き放った魔剣の切っ先をこちらへと向ける。


 蒼く輝く剣身を持つ長剣ロングソードから漂う冷気に、おのずと吐く息が白く染まる。


 露出した片目、何処か憂いを帯びた橙色の瞳がオレを真っ直ぐに見ていた。


 はぁ……なんでオレんとこに来るのかね。 






 それは突然の奇襲から始まった。


 生徒たちを待つだけだったはずの天幕群に、突如襲いかかってきた首輪付きの魔物の大群。


 隷魔の首輪と呼ばれる魔物を意のままに操るための魔導具マジックアイテムを装着した魔物共は、別種族同士にも関わらず互いに争い合うこともなく一挙に襲いかかってくる。


 しかも……。


「何だコイツら、気をつけろ! 魔物だけじゃない! 顔を隠した奴らが中に紛れて……」

「魔物共と連携だと!? コイツら魔物に襲われないどころか協力して我々を襲ってくるぞ! 注意しろ!」

「魔法攻撃だ! 奴ら魔物を盾に強引に前進してくるぞ!」


 魔物の軍勢に混じって何人か顔を黒いフードで隠した奴らまでいる。


 そいつらは魔物共に物量に任せた無謀な突撃をさせることで、騎士たちの陣形を崩させ撹乱し切り崩そうと画策していた。


 ……魔物を死兵扱いに突撃させるとはな。


 そりゃそうか、アイツらにとって首輪で何でも言うことを聞く魔物は所詮使い捨ての道具でしかない。

 自分たちの都合のいいように使ってはまた補充すればいいとでも考えてるんだろう。


 混乱は一箇所だけではない。


「は、早く逃げないと! 早く、早く!」

「くっ……私は御当主様より主のお世話を任されているというのに……何故こんなことに……」

「怪我人がいる! 頼む、誰か回復魔法を!」


 この天幕群には教員のみならずそれをサポートする人員もいる。

 また、生徒たちの従者や使用人たち、学園の都合で少し離れた場所ではあるが奴隷の奴らだっている。


 彼らはこの緊急事態に動揺し冷静さを失っていた。

 無理もない。

 事前にある程度聞かされていたとはいえオレだって目の前の光景が信じられない。


 ……ヴァニタスが言っていた予想は本当だったのかよ。


 教師陣の中でも一部にしか伝えられていなかった無為混沌の結社アサンスクリタと呼ばれる秘密組織の襲撃。


 正直ヴァニタスが学園長を交えて話したいことがあると言った時、オレは半信半疑だった。


 だが目の前の光景を見れば信じざる得ない。


 奴らは本当に来た。

 魔物を率い、結社の一員らしき怪しい者共を引き連れ、オレたちを生徒たちを……ヴァニタスたった一人の少年を亡き者にするために。


 天幕群は混乱の坩堝るつぼに包まれていた。


「クロード先生、ど、どうする? ほ、本当にあのような野蛮な輩が来るなんて」


 阿鼻叫喚あびきょうかんとする天幕群の様子に露骨に取り乱すコイツは、一年生のクラスを担当する担任教師の一人ベントマイル。

 カイエンモール伯爵家の長男でいずれは家督を継ぐために実家に戻るのではないかと噂されている男。


 アンヘル編入生のクラスの担任で、オレが平民だからかやたらと上から目線で厭味いやみったらしく絡んでくるいけ好かない男でもある。


 確かフロロ先生が好きなんだったか?

 人知れずフォローしたり、飲みに誘ったりと、やたらと粉をかけちゃいるが毎回軽くあしらわれて……あれはフロロ先生がまったく気づいていないだけか。

 

 ともかく何かと絡んできては嫌味ばかり言ってくる面倒臭い男だが、正直何の用でオレに話しかけてきたかわからねぇな。

 とっとと逃げ出してるかと思ったぜ。


 ……まあコイツも教師の端くれだ。

 そんなことはねぇか。


「魔物の大群の進行は騎士たちが抑えてくれている。……避難を最優先にしろ。幸い襲撃地点は一箇所に集中していて、しかも管理区域の森林とは正反対。森に逃げ込めば少しは逃げる時間が稼げるはずだ」

「君は……どうするつもりだ?」

「オレは前線に出る」

「!?」

「騎士たちだけに戦わせる訳にはいかない。学園の代表として誰かが行かなきゃならねぇだろ。なら……オレがいく。面倒だがこれも教師の役目ってやつだ」

「だがそれでは……」


 なんだ食い下がるな。

 普段なら『そんな泥臭い仕事は君にはお似合いだ』なんて嫌味の一つでも言いそうなもんだが……まあいい。


「そっちこそ気をつけろよ。ワザと逃げ道を作っておいて伏兵で襲うってのも常套手段じょうとうしゅだんの一つだ。包囲網を抜けるなら……戦力は固めておけ、一点突破のためにな」

「わ、わかった」

「ああそれと森で彷徨ってるはずの生徒たちが心配だ。さっきチラリと狼煙が挙がるのを見たが……もしかしたらあっちにも『敵』が現れたのかもしれない。一応緊急時には助けが向かう手筈にはなってるが……向こうは頼んだぞ」


 いまだ動揺したままのベントマイルに避難する者たちと管理区域の生徒たちのことを任せ、後ろ手に手を振り歩き出す。


 帝国の誇る騎士団から借り受けた精鋭たち。

 彼らですら苦戦する戦場へとオレは進む。


 そうして騎士たちに混じり魔物共を斬り伏せる内にオレは出会う。


 氷雪を纏う女騎士に。






「凍れ――――裂霜脚れっそうきゃく


 足踏みと共に地を這うしも

 強烈な冷気に地面が一瞬で白く染まり、こちらの足元へと一直線に迫ってくる。


 これが『氷霜』の魔法、か。


「っ……」


 タイミングを見計らい跳躍し躱す。


 霜の行き先にチラリと視線を移せば、そこには体表を霜に覆い尽くされ、氷像のように氷漬けになった魔物の姿。


 ……敵味方お構いなしかよ。

 

「――――フ」


 踏み込みからの追撃が来る。

 呼気と共に振るわれる腹部目掛けた袈裟斬り。


 僅かに体をひねることで躱し、今度はこちらから仕掛ける。


 両手に構えた曲刀の連撃。

 右へ左へと素早い移動を混じえて狙いを分散させつつ斬りかかる。


「湾曲した刀身――――曲刀シャムシールか……」

「守りがっ、硬いなっ!」

「そうでもない。貴殿の曲刀使いは巧みだが……私も負けてはいないというだけだ」


 女騎士の左手に構えた灰色の凧型カイトシールドが曲刀の斬撃を尽く受け流す。


 まるで手応えがない。

 ……切り崩すには他の手が必要か。


裂霜脚れっそうきゃく


 今度は至近距離での直接の蹴り。

 右の曲刀で冷気ごと後方に受け流しつつ、懐へと一歩踏み込み左の曲刀で切り上げる。


 追加だ。


「……曲がる旋風ヴィルベルヴィント

「……ン」

「このっ、簡単に斬り伏せやがって!」

「風……それも『旋風』か。悪くない魔法だ」


 標的の目前で軌道を変える『旋風』の魔法。

 しかし、回避と同時に振るわれた魔剣の一閃に容易く霧散させられる。


 さらに返す刀の反撃。

 重い……だがそれ以上に……。


「手が……」


 剣を合わせる度に冷気が曲刀を、いや柄を握り締める手までもむしばんでいく。


 こんなもん正面から何度もぶつかれば最後には剣を握ってすらいられなくなるぞ!


「こんの……やろうがっ! 剣士の天敵かってんだよ!」

「魔剣のお陰だ。……私のせいではない」


 それにしても本当にあの魔剣が厄介過ぎる。


 蒼く輝く剣身を持つ魔剣。

 振るわれる度に空間ごと冷却する剣は、近づくだけで漂う冷気に動きが鈍り、剣同士がぶつかり合うと凍えるような冷たさが体にまで伝わってくる。


 ……ヴァニタスから聞いてた話じゃ魔剣なんかなかったんだがな。


 しかも、あの魔剣が『氷霜』の魔法を強化しているらしく、一度に放たれる魔法の規模が桁違いだ。


「教師など軟弱な者ばかりと思っていたが……学園にこのような者がいたとはな。少し予想外だった」

「そうかよっ!」


 切り結ぶ。

 その度に実感する。


 軽くあしらわれている。

 

 その証拠に女騎士フリーダは戦いのはじまりからほとんどその場を動いていなかった。


「だが、貴殿の指揮がなくなればここは烏合うごうの集となる」

「買いかぶり過ぎだ。おれなんか一介の教師に過ぎねぇよ」


 二刀を逆手に構え滑り込むように足元を切り払うが、縦にそっと差し込まれた魔剣によって簡単に止められる。

 ……隙がねぇ。


「そうだろうか? 私の目には貴殿は随分と頼りにされているように思う。冷静沈着に状況を見極める目、戦力を見定め的確に指示を出す采配の妙。共に戦う騎士たちは勿論、避難していった彼らも随分と貴殿を信用していた。……信頼し後を任せていた」

「チッ」

「だが、逃げ遅れた者もいるようだな。……早く逃げれば良いものを」


 女騎士の視線の先。

 後方を見ればベントマイルのやつがいまだに戦場をうろついていた。


 何をモタモタしてやがる。

 使用人たちや奴隷たちを避難させたらお前も早く行けっていったのによ。

 なんでまだ残ってんだ。


 ……フロロ先生を置いていけなかったのか。


 ああ、クソッ、とっとと逃げればいいものを!


「だがそろそろ終わりにしよう。――――霜伝え」

「ぐッ……」


 鍔迫り合う剣を伝う冷気。


 いままでの比じゃない。

 冷気の塊が体の芯まで流れ込んでくる。


 少しでも距離を取るべく後方に飛び退く。

 しかし……。


っ!? あっ……」


 手が……。


 激痛と共に溢れ落ちる曲刀を拾おうとして手にまったく力が入らないことに気づく。


「……曲刀シャムシールを生かした剣技は見事だった。しかし、私の手にこの氷気魔剣フロストピリオドがあったことが貴殿の不幸だったな」

「ぐっ……」 


 それが憐れみだったのか、オレが予想より弱かったからなのかはわからない。


 だが女騎士フリーダは何を思ったのか一つの提案をした。


 そうだ。

 オレにとって最悪の提案をこの女騎士は事も無げに言い放った。


「もう諦めたらどうだ? 貴殿の実力はもう見極めた」

「諦める、だと……」

「なら言葉を変えよう。……ヴァニタス・リンドブルムを差し出す気はないか?」

「あ?」


 思考が真っ白になった。


 いまこの女はオレに何と言った?











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