第百三十八話 何故だ?
ラルフの魔法は確かにテンペストロックバードへと手痛い一撃を加えた。
片翼の付け根を貫通した弾丸は体の駆動において重要な箇所、力の入る要所を射抜いており、
しかし、そうだとしてもボニーの予想通りテンペストロックバードがたった一発の魔法で再起不能の傷を負ったという訳ではない。
元々巨体故に耐久力に優れた魔物。
たとえラルフの
血に濡れた翼を
大空を雄々しく
すぐにでも立ち上がりこの痛みを与えた者に報復する。
そうだ。
相手は自分より圧倒的に小さい者。
長年山脈の上空を自由に飛び、支配してきた強き者として、自分がこんな
自分の行動を縛る首輪は酷く忌々しい。
不遜にも事あるごとに強引に言うことを聞かせ、あまつさえまるで自らの所有物かのように軽々しく背を踏み締めるモノには苛立ちを覚える。
それでも、首輪の及ぼす冷たさに拒絶感を示しながらも、いまはただ目の前に立ち塞がる小さく弱々しいモノを
だが、敢えて断言しよう。
「ラルフ!」
「ヴァニタスくん!」
意思疎通は簡素に。
しかし、共にやるべきことは理解している。
一瞬の内に交錯する互いの視線。
ヴァニタスとラルフはそれぞれ己の相対すべき者の前へと立ち塞がる。
すなわち――――。
「へー、あっちを一人で任せていいのか? あの金ピカな
「……節穴だな」
「あ?」
「お前の目は節穴だと言った。……あのラルフが一歩を踏み出した、この意味がお前には見抜けはしない」
余裕振ったディグラシオをヴァニタスが一蹴する。
当然だ。
ヴァニタスが見出した
「飛び立たせない。――――
光沢ある
六角に固められた巨大な杭がテンペストロックバードの直上へと顕現する。
ラルフの立ち位置からは十数メートルと遠い遠距離への魔法発動。
それは王冠により普段より格段に広範囲となった魔法の発動圏により可能となった離れ業。
同時、空中の杭が勢い良く落下し、テンペストロックバードの左翼を地面へと縫い付ける。
「――――ッ!??」
激痛どころの騒ぎではない。
無理に動こうものなら片翼ごと無くすことになる。
声にならない絶叫にテンペストロックバードの湾曲した
その時
直感する。
このまま地に伏せたままでは遠からず自分は死ぬ。
片翼を失い、もう二度とあの空を自由に飛ぶことが出来なくなったとしても、いま足掻かなければ……先はない。
「ギィ……ギィッ!」
だが、ボニーとウルスラから
矢継ぎ早に魔法を放つ。
「――――
耐久力の高さはかえって彼には酷だったかもしれない。
「キ、キィ……」
彼の自慢でもあった美しい羽根が赤く、紅く見るも無残に痛々しく染まっていく。
しかし、一歩ずつ死の予感が近づく中で、彼は唯一の活路を見出した。
それは唯一残された手。
戦場に散らばった魔力の込められた自らの羽根。
テンペストロックバードの体から飛び散り抜け落ちた羽根は魔力を宿したままだった。
本来はこれを操作した風に載せ、意のままに操ることで敵を切り刻み屠る訳だが、いまこの時は縋ることの出来る唯一の手だった。
翼は思うように動かせず、纏う風もない。
しかし、多量に放出した魔力による操作で少しでも羽根を動かせればこの
万が一の望みに賭けた行動。
だが、それすらも……いまのラルフには通じない。
「…………
ボニーの王冠はラルフに常ならば不可能な魔法の同時処理能力を与える。
ラルフは目視で確認した僅かに蠢く数十の羽根を見定めると、渦巻く土砂により土中へと埋没させた。
「っ……
もう一度。
王冠の
戦場一帯に無数に散らばっていた羽根のすべてを土中へと埋め、反撃の芽すら潰した。
――――何一つさせて貰えない。
巨鳥は後悔の中に沈む。
何故自分は簡単に殺せる獲物と決めつけいつまでも遊んでいたのか。
何故自分は小さきモノだと侮り迂闊にも悠長に地面に伏していたのか。
何故これほどまでに強い者が自分の目の前に現れたのか。
疑問は尽きない。
強靭で恵まれた体躯を持ち、単独でも十分な強さを有するからか群れで行動することのないテンペストロックバード。
常時上空を支配圏としていて、地上近くで窮地に陥っても一度空にさえ飛び立てば誰も手出しをすることは出来ないと
故に
「ハァ、ハァ、これでっ……止め!」
最後に
いまは遥か遠い彼方にある山々に吹く、力強くも懐かしい風と澄み切った空気。
向かい風に乗り自由に空を駆ける喜び。
「――――
視界がガクリと墜ちる。
地面と並行となった視線に青く澄み切った空はもう映らない。
あの
次第に彼の意識は抜け出せない闇へと沈んでいった。
ラルフの活躍の一方でヴァニタスと相対するディグラシオはまだ余裕だった。
彼は巨鳥の首が高速回転する歯車により切り落とされる様をまじまじと眺めながら
「ガハハッ、大したもんだ! これが大番狂わせってやつか? たった一人であのロックバードを殺すとはな! アイツはBランク冒険者が束になっても殺せないぐらいの討伐難度だったんだが……。正直驚いたぜ、どうやら間抜けだったのはオレサマのペットの方らしい。褒めてやるよ!」
「……そうか」
「……さっきから反応が悪いな。どうした? もっと威勢のいいことを言ってくれよ! 『仲間には手を出すな!』とか『お前はここでコテンパンにしてやる!』とかよぉ。ああ? 随分大人しいじゃねぇか? まったく、オマエほどの強者には最後までオレサマに突っかかってくる意地ってやつを見せて欲しいもんなんだがなぁ」
戦いの最中も言葉少なく、態度も特に変化のないヴァニタスにディグラシオは不満を
そんな彼にヴァニタスは質問した。
ポツリポツリと溢れ落ちる声はか細くそれでいて小さい。
とても数十メートル先で仁王立ちするディグラシオ相手には聞こえないような声。
だが、不思議とその声は一帯に響いた。
「ずっと疑問だったんだが……」
「んあ?」
「何故だ?」
「…………?」
「何故僕がこの状況を想定していないと思った?」
「…………――――は?」
ヴァニタスの問いの意味をディグラシオは始め理解出来なかった。
何故?
想定?
どういう、ことだ?
どういう、意味だ?
コイツは何も、何も知らないんじゃなかったのか?
胸に湧き上がる一抹の嫌な予感に、ディグラシオはヴァニタスの瞳を真っ直ぐに直視する。
冷静で動じることのない、まるで路上に躍り出た虫でも見るかのような――――凍土のように冷たい瞳を。
「学園の特別な授業。クリスティナたちとは離れ離れになり、持ち込む道具は制限される。帝都から飛び出したことで警備は必然と甘くなり、管理区域にまで遠征したことでおいそれと騎士団も手助けに来れない。こんな絶好の機会にお前たちが来ない? それこそあり得ないだろう。帝国の裏で暗躍する者共がこんなあからさまな隙を、結社の邪魔者を排除する機会を見逃すはずがない」
「ぐっ……」
「そもそもこの踏破授業の開催はすでに予告されていた。通達自体、僕たちが封印の森から帰ってきた時から数日後にはすでに行われていた訳だ。何故僕がこんなに襲撃しやすいイベントに無警戒で参加すると思うか?」
徐々に現実を噛み締め理解していくディグラシオ。
先程までの余裕ある態度が徐々に
「なら、ならどうしてオレサマたちの襲撃を許した! 最初から知っていたなら……防げたはずだ! そもそも参加なんかしなければ……。まさか……囮にしたのか? 他の生徒共を囮にしてオレサマたちを誘き寄せたとでも?」
「はぁ……」
取り乱すディグラシオに呆れたようにヴァニタスが溜め息を吐く。
実際ヴァニタスはあまりに的外れな指摘に落胆にも似た感情を味わっていた。
「馬鹿か、的外れもそこまでいくと
「!?」
「違うだろう? お前たちがわざわざ襲ってきたんだ。この襲撃の責任はあくまでお前たちにある。僕に
「なら、オマエの奴隷共は! 森を徘徊してる生徒共は! フリーダが魔物共を率いて奇襲した教員たちの拠点は! それも事前に……想定してあったって、そういうのかよ!」
「なんだ一々答えを教えてもらわないと駄目なのか? だから言っている、想定内だと。生徒たちが襲われている? 対処済みだ。森に散らばった生徒たちの保護は善意の協力者に頼んでいる。どうせ結社の関係者か飛行可能な魔物でも使っているのだろう? であるなら問題はない」
ヴァニタスの言う通りすでに生徒たちの元には協力者たちが向かっていた。
ヴァニタスのいう善意……とは少し違うが協力者たちは
「それとな、僕の
「………」
「まあなんだ。大方お前たちはハベルメシアを危険視したのだろう? 彼女ならすべてをひっくり返せる力がある。その割には隙があるからな。同じく対集団にも有効な
「……」
「ああ、後はクロード先生たちのいる本拠地だな。フリーダ・アルテム率いる奇襲部隊、やはり隷魔の首輪の量産は済んでいたか……。
「……クっソ……」
それでもヴァニタスにも予想出来ないことは当然ある。
ボニーとウルスラの献身、なにより一歩を踏み出したラルフには心から驚かされていた。
もっともテンペストロックバードを単独で殺せることは疑っていなかったが。
「……僕には過ぎた友、なのかもな」
「白坊主……いや、ヴァニタス・リンドブルム……」
「さて、僕にどんな気持ちか聞いていたな。答えてやろう。僕は僕たちを脅かすお前たちを許すつもりなど毛頭ない。――――覚悟しろ。必ずこの行いの報いを受けさせてやる」
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