第百二十七話 魅力的な誘い


「なんで……そんなことを思ったんだ? 俺は確かに宮廷魔法師として真面目に仕事をこなしてきたとはいえねぇ。だが、腐っても皇帝陛下に……忠誠を誓った身だ。これまで帝国を、民を守るためオレなりに力を尽くしてきた。それにオレはいまの地位にそれなりに満足してる。そりゃあ第三席に甘んじてるのは不満っちゃ不満だが……それだけで帝国を裏切ると思うか? ヴァニタス……冗談にしても笑えねぇぞ?」

「冗談でこんなことをたずねると思うか? というよりイグバール、お前は本当に現状に満足していると確信を持って言えるのか? 僕には到底そのようには見えないが」 

「…………」


 この場面での沈黙は肯定だと理解していても、それでも返事が出来なかった。

 それほどヴァニタスの問いは核心を突いていた。


「僕から見たらお前は退屈しているように見える。それなりに満足している? そんなはずはない。お前は求めている。いまを変える何かを。だからヒルデガルドやクリスティナたちにも己の技術を惜しみなく教えてくれたんだろう? たとえ小さな波のような波紋でも、いつか自分を満足させる、そう、敢えて例えるなら自分の前に立ち塞がる高く険しい壁になることを望んで」

「……単に勿体ねぇと思っただけだ。素質があるのに機会に恵まれない奴なんかザラにいるが、目の前で強くなりたいと必死に藻掻くあの娘たちに余計なお節介をしたくなっただけだ」

「それだけで名付けのような高等技術を惜しげもなく教えるとでも? 僕も知らない技術、アレはお前の切り札にも等しいものじゃなかったのか?」

「…………」


 ……痛いところを突きやがる。


 ああ、そうさ。

 名付けは他に扱える奴などいない、少なくとも知らないオレ独自の技術。


 それを度々たびたび偶然出会った奴らに教えてやる義理はない。


 素質はあった。

 だが、それと同時に淡い期待を抱いたのも事実。


 こいつらならオレを満足させてくれるんじゃないかと、オレの渇きを癒やしてくれるんじゃないかと勝手に期待していた。


 だからはからずも教えていたんだ。

 己の生命線たる戦闘技術を。


 だが、だとしてもオレには誤魔化すしか道はなかった。


 ヴァニタスの漆黒の瞳は真っ直ぐこちらを見ている。


 ……嘘は見抜かれる。

 そのことを理解していてもオレには答えをはぐらかすことしか出来なかった。


「………気まぐれだ」

「そうか……まあ、一時の気の迷いだとしても僕たちにはありがたかったのは事実。改めて感謝を告げておこう」


 ……調子が狂うな。

 あっさりと話題を終わらせようとするヴァニタスに拍子抜けしていた。


 これから追及が続くと思っていたんだがな……何故だ?


 しかし、疑問はすぐに解消することとなる。

 堂々たる態度のままヴァニタスは続ける。


「でだ。ここからが本題だ。 イグバール・デミロッド――――僕の配下にならないか?」

「あ?」

「奴隷だろうと身分に関係なく接せられる偏見へんけんのない人物。僕たちに足りない技術を持ち、指導の腕も申し分ない。強さを求める僕たちにはお前のような指導力に優れ、経験豊富な実力者が必要だ」

「……こんな短時間でオレの何がわかるってんだ」

「フ、わかるさ」


 だから理由になってねぇだろうが!

 なんでそんなに堂々と断言出来んだよ!


 ……きっとオレは苦々にがにがしい表情をしているのだろうな。


 それにも関わらずヴァニタスは薄く微笑み余裕を崩さない。


 年下、だよな。

 ……小生意気こなまいき不遜ふそん少年だ。


 ……ハベルメシアはこの強引さにやられたのか?


「それに常々つねづね人材が足りないと感じていたんだ。頼んでいた探し物、いや探し人もいまだ発見した報告もないし、優秀な人材は喉から手が出るほど欲しい。それが宮廷魔法師として認められるほど飛び抜けた実力者なら尚更な」

「……お前、それこそ不敬な考えだってわかってんだろ? 皇帝陛下直属の戦力、宮廷魔法師を一個人の配下にだと……?」

「ハベルメシアの件は知っているな? 彼女を期間限定とはいえ奴隷にしたのは僕だ。あれは皇帝陛下に事前に許可を得たから出来た本来は不可能な芸当だが……。まあ、今回も聞くだけ聞いて見れば案外大丈夫かも知れないしな。それに皇帝陛下を裏切るくらい覚悟があるなら僕の配下になるぐらい簡単なことだろう?」

「無茶苦茶言うなお前……」


 何だそれ、とんでもねぇことを気軽に言い放ちやがって。


 裏切るぐらいなら軍門ぐんもんに下れって?


「……脅す気か?」

「人聞きが悪いな。僕は一つの案として提案しているだけだ。それにイグバール、お前の現状への不満は理解出来ても残念ながら証拠はないからな。僕一人大騒ぎしたとして信用して貰えるはずがない。例え皇帝陛下に直談判したとしてもお前をどうにか出来る訳じゃないんだ。脅しようがないさ」

「…………」


 証拠はない。

 軽く鼻で笑い飛ばすヴァニタスの言葉に嘘はないのだろう。


 だが、だとしても正気の沙汰じゃねぇよ。


 身分が上の相手に突っ掛かるのだって命懸けだろうに、そのうえその相手を配下に誘うだと?


 オレがお前ですら裏切るとか微塵も考えねぇのかよ。


 そもそも宮廷魔法師は単に辞めると言って簡単に辞められるものじゃない。

 いざ正式に任を降りるとしても面倒な手続きが山程あるし、認められる可能性は万に一つもない。


 もし仮に……仮にオレを配下に出来たとして周りの貴族からのやっかみはいまの比じゃないんだぞ。

 無用な注目は必ず嫉妬に狂った馬鹿を生み出し、余計なちょっかいをかけてくる。

 それも失敗ミスの出来ない大事な場面で、どうしょうもなく危機ピンチな時に限って足を引っ張られるもんだ。


 ……それを何でもないように言いやがって。

 迎え撃つ覚悟がお前にはあるっていうのかよ。


 くっ……こっちはいまだに迷ってるんだぞ。

 重要な場面が来たら声をかける、それまでは待機してくれていればいい。


 あの百足むかでを侍らせた胡散臭い男からの提案を、オレはいまだに決めきれないでいるってのに。

 

「で? どうする? 僕はこれからも強さを求めて突き進むだろう。時に未知なる冒険をして、時にお前の求める高い壁にもぶち当たることになるだろう。それこそ誰も越えたことのない遥かけわしい頂きに挑戦することもあるかもな」


 揺れることのない瞳。


 ……自信があるんだな。

 何もかも乗り越えていく自信が。

 跳ね除け自分の道を突き進む覚悟が。


 ああ、わかるぜ。

 確かにお前は一国に留まるような器じゃない。

 もっと大きなことを仕出かしそうな……そんな予感がする。


「だからこそ誘おう。なあ、イグバール、僕と来ないか? きっと面白いことになるはずだ。退屈に殺され日々を鬱屈うっくつして過ごすなら――――僕と共に来い」

「……っ」


 正直に言おう……沸き上がるものがあった。

 心の底で歓喜するものがあった。


 未知なる世界の未知なる冒険、それをヴァニタスこいつと一緒にいれば見られるのではないかと期待してしまっていた。


 気づけば裏切りに対する弁明もなく、目の前のヴァニタスただ一人の男に尋ねていた。


「……どこまで、お前はどこまで行くっていうんだ」

「さあ? 気ままに進むさ。進みたい方向に。思うがままに……」


 ああ、それは………魅力的だ。


 この場で朽ちゆくままにただ時を浪費するよりは、お前についていったほうが面白いのは確実かもな。

 しかし、いくら魅力的な提案であっても咄嗟には答えられなかった。


 迷いはまだ心に巣食すくっている。

 そんなオレの弱気すら見透かしたようにヴァニタスは言う。


「すぐに返事は求めていないさ。じっくり考えればいい。なあに時間はたっぷりとある。……そうだろう?」


 不敵な笑みで話を次に進めるヴァニタスにオレは――――。






「あ、あのイグバール様ですよね! 宮廷魔法師第三席のイグバール・デミロッド様……!」

「……ん?」


 いつの間にか考えに集中し過ぎていたようだな。

 不意に聞こえてきた若い声に意識を取り戻す。

 

「サ、サインを! 貰ってもいい……ですか? おれイグバール様の大ファンで……」


 見れば若い冒険者の連中だろう坊主たちが、身に着けたいた鎧を差し出し恥ずかしそうにサインを強請ねだってくる。


 事態の経過が読めずマスターに視線を移せば肩を竦めて首を振られた。


 とぼけやがって。

 ……マスターめ、焚き付けたな。


 オレがそんなに塞ぎ込んでいるとでも思ったのか?

 まったく……余計な世話を。


「はぁ…………サインだぁ?」

「あ、あの、すみません! お気に触りましたか? おれたちどうしてもSランク冒険者のイグバール様のサインが欲しくて……」

「そうです! 俺らイグバール様の大ファンで!」

「…………」

「その……昔……助けてくれたのを憶えていますか、エディアの街の郊外で……おれ……」


 格好からしてCランクかそこらの冒険者だろうが……若いな。


「悪いな。憶えてねぇ」

「そう……ですか……」


 オイ落ち込むなよ、話はまだ終わってねぇ。

 肩を落とす若い冒険者に差し出してきた鎧をグっと押し返す。

 ついでに背中を叩いて背筋を伸ばしてやった。


「ッ!?」

「サインはしねぇ。だが………しょうがねぇな……冒険者ギルドに行くぞ。この時間ならギルドの訓練場も空いてるだろ。……そこで少し揉んでやる」

「え、ほ、本当ですか! ありがとうございます!」

「マ、マジですか! 訓練をつけてくれるってことすか!? やったぁ、駄目元で頼んでみたかいがあったぁ!」


 現金な奴らだ。

 あっという間に元気になりやがって。


「オイオイ、喜ぶのはまだ早えぞ。オレがわざわざ教えてやるんだ。手加減は期待するな。今日は飯が食えなくなることを覚悟しておけ」

「そ、そんなぁ」

「うぇ……」


 喜びも束の間、急転直下で落胆する彼らに思わず苦笑する。


 ……ヴァニタス。


 期待していいのか?


 お前たちがオレを満足させてくれるって。

 闘争と挑戦代わり映えのない日々の渇きを癒やしてくれるって。


 ……いいぜ。


 なら、精々見物させて貰おうじゃねぇか。

 お前がどんな道を辿り何を成すかを。


 “邪悪殺しネファリアススレイヤー”その二つ名に相応しいだけの真価を。


 もし、お前がオレの主に相応しいだけの器を見せたなら、その時はあの時の答えを――――。


「……もたもたすんな。とっとと行くぞ。マスター、勘定は奢りでいいな」

「仕方ねぇな。……ツケにしといてやるよ」

「オイオイ、ツケはねぇだろ、ツケは!」

「ハァ、わかったよ。行ってこい。……気をつけてな」


 状況は何一つ変わっていない。

 オレはまだ帝国を裏切るかどうかですら悩んだままだ。


 だが、それでも……以前より足取りは軽くなっていた。


 見定みさだめるべき男がいる。

 濃い霧の中にいるような退屈なはずの未来が楽しみになってきていた。






 イグバール・デミロッドはきたる大きな争いの際にルアンドール帝国に反旗はんきひるがえす裏切り者だ。


 彼は物語ストーリーの中で宮廷魔法師という帝国内でも有数の立場にありながら、葛藤かっとうの末自らの守るべきだった場所帝国を裏切る。


 戦力として類稀たぐいまれなる実力を持つイグバールの欠落は帝国に大きな混乱をもたらした。


 異性にだらしない部分はあっても基本は面倒見が良く、唯我独尊ゆいがどくそんな宮廷魔法師の中では数少ない常識人。

 Sランク冒険者として相応しい力量であり、一騎当千の強者として名のしれた彼の離反に誰もが疑問を抱いた。


 では彼は何故裏切ったのか。


 まず帝国は一枚岩ではない。


 現皇帝へと忠誠を誓う皇帝派と地方の貴族の力を重視する貴族派の二つの勢力が国内に幅を利かせる中、さらにはヴァニタスたちが存在を明らかにした無為混沌の結社アサンスクリタが二つの勢力を掻き乱すように暗躍している。


 本来上位六位の宮廷魔法師は候爵以上、公爵未満の権力を持ち、皇帝以外にはおいそれと命令出来ない存在だ。

 しかし、無為混沌の結社アサンスクリタの工作により貴族派の力が年々増している現状では、皇帝も彼らの声を無視できなかった。


 ……いや、聡明な皇帝のことだ。

 いまはまだイグバール・デミロッドを動かす時ではないと敢えて動かさないでいたのかもしれない。


 だが、いずれにせよその間隙かんげき奴ら無為混沌の結社に付け込まれた。


 イグバールは無為混沌の結社アサンスクリタの息のかかった貴族派たちの嘆願という形で、重要拠点防衛と要人警護などという名目の元、帝都に留め置かれた。

 帝都から一定範囲、または特定の地域にしか遠出することは許されず行動はいちじるしく制限された。


 帝国が長らく大きな戦争を行っていないこともイグバールの囲い込みに拍車をかけた。


 与えられる任務は危険のない小さなものばかり。

 他国との小規模な小競り合いにすら派遣されることはない。


 飼い殺し。


 イグバールは活躍する機会も強敵に挑戦する機会すらも奪われ鬱屈とした時を過ごしていた。


 イグバール自身帝国に勝てるなどとは欠片も思っていない。

 得体のしれない勢力に加担したとして帝国のような強国を相手に、一矢報いることすら出来ないだろうと確信していた。


 それでも彼は裏切った。

 

 宮廷魔法師は誰もがその任に着く際願いを一つ告げる。


 魔法こそ介さないがそれは契約であり約束。

 皇帝との間に交わされた決してたがえることの許されない誓い。


 イグバールの願いはまだ見ぬ強敵と戦い己の限界を試すこと。


 皇帝は彼との誓いを守れていない。

 どんな思惑があったにせよ両者の間には溝があった。


 ……或いはイグバールが他の宮廷魔法師たちのようにもっと自分勝手で盟約を楯に傍若無人に振る舞えていたのなら……。

 結末はまた違っていたのかもしれない。


 だが、結果として物語ストーリーの中のイグバールは死をもって裏切りの罪を精算することとなる。

 迷いは動きを鈍らせる。

 罪悪感から本来の実力を発揮することの出来なかったイグバールは、帝国の敵として主人公に敗北し、ある物を手渡し、己の遅すぎる運命を呪いながら死んでいくのだ。


 だが、ヴァニタスの提案はその結果に僅かながらに綻びを与えた。

 イグバールに自分の存在を知らしめ、新たな道を提示した。


 彼が今後どんな選択をするのかはわからない。

 帝国を裏切り自身ですら不可能だとする無謀なる挑戦に身命を賭すのか。


 それでも明確にわかっていることがある。


 イグバール・デミロッドはヴァニタス・リンドブルムを知った。


 邪悪を誅する悪童を。

 それが何をもたらすのか。


 彼が答えを出す時はまだ遠い。











中々執筆が思うように進まなかったのもありますが、体調不良も重なり随分と更新が遅くなってしまいました。大変申し訳ございません。遅くはありますがこれからも更新は続けていくつもりです。どうか気長に待ちつつ応援して下さると非常に助かります。


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