第百二十六話 イグバールは問い質される
まだ太陽が高く登る時間。
古びた、というより年季の入った扉を押し開ける。
木材の
『
主な客は冒険者、夜間は
「おう、どうした。昼間っから酒とは珍しいな」
「……ああ、たまにはな」
「おいおいなんだか元気がねぇなぁ。天下の宮廷魔法師様が随分景気悪りぃ顔してんじゃねぇか。…………何か嫌なことでもあったか?」
「…………まあそんなもんだ。いや、違うか、何でもねぇよ」
そんなに様子がおかしく見えたか?
……表には出ていないと思ったんだがな。
長年数え切れないほどの冒険者を観察してきたマスターにはすっかりお見通しらしい。
……それでもオレは敢えて
もっとも無駄な足掻きだとは内心わかっちゃいたが……。
「あー、そうだな。……実は狙ってた女に振られてな。高慢で世間知らずな女だったんで、いつかはやらかすと思ってたんだが……どうやら知らねぇ内に奴隷にされてたらしい」
「ほう?」
「まあそこは別にいいんだが……どうも無理矢理奴隷にされたってのに主にべた惚れらしくてな。オレはお邪魔虫なんだと。盛大に威嚇されて逃げ帰ってきたって訳だ」
「そうか……お前さんにしちゃ珍しいな。狙った女はどいつもこいつも射止めてきた帝都でも有数の色男が袖にされるとは……。にわかには信じられねぇ話だが……」
「だろ? オレも驚いたんだが、どうやらあいつらの相性は中々に悪くなかったらしい。かなりの年齢差のはずなんだがな。立場の違いもあるってのに、すっかり大人しくなっちまって、前までとは大違いだったよ。主の調教の腕がいいのかもな」
「ううむ、なるほどねぇ…………ってその程度の嘘で誤魔化せるとでも思ったのか?」
「うっ……」
何処か確信めいた表情のマスターが厳つい顔をニヤリと歪ませる。
「お前さんがいままでどれだけ浮き名を流してきたか長え付き合いの俺が知らねぇとでも? 女と聞きゃあ余計なお節介ばかり焼きやがって。俺は憶えてるぞ。どこぞの未亡人の娘が病床に臥せってるなんて聞いたら、頼んでもねぇのに遠方から医者を護衛して連れてきちゃあ診察を受けさせてやったよな。新しく出来た娼館が下手うって貴族に潰されそうになった時、暴れ回る私兵を蹴散らして大立ち回りで守ったりもした。そういや、新人の女冒険者パーティーが魔物共の巣窟で取り残された時も気まぐれだとかいって助けにいった時もあったな?」
あー、そんなこともあったかな。
あれは宮廷魔法師に任命される前か……。
随分とまあ懐かしい話を持ち出してきやがって。
「……よく憶えてるな」
「どれもお前さんには何の得にもならねぇことを礼も受け取らずに解決してきた。そうさ、お前さんの噂と聞けばどれも女絡みのトラブルばかり。それでいて、本気でお前さんを慕ってる女だっているってのに『オレみたいな粗野な男にはお前のような女は相応しくねぇ。……悪いな。オレのことは忘れてくれ』なんて
「オイオイ、何処で聞いたんだよ、そんな内輪の話っ!」
「これでも俺は長年この場所で冒険者相手に酒場をやってんだ。嫌でも情報は集まるんだよ」
「だからって……」
……集まるったって限度があんだろ。
マスターが情報通なのは知ってるけどよ。
そんなことまで把握してんのかよ。
……ったく勘弁してくれ。
「そのうえ女に苦労しねぇってのに誰一人深い関係にもなりゃしねぇ。そんなお前さんがたった一人の女に振られたぐらいでその体たらくだぁ? 重っ苦しい空気を纏いやがって、それがただ女に振られただけの奴の顔かよ。寝言は寝ていえってんだ。
「…………バレたか」
「そいつがどんな女なのかは知らねぇが。どうせ大して興味もねぇんだろう? 行きずりの女って訳でもねぇんだろうから……大方仕事仲間か、度々様子を見ていた訳あり女か……。いずれにしろ、お前さんがそんな様子になる理由にはならねぇ。……俺は間違ってるか?」
「…………」
言葉がない。
マスターの指摘は正しい。
ついハベルメシアの話を言い訳に使っちまったが、アレはただこれ以上の追及をはぐらかしたいだけの苦しい嘘だ。
だが……理由を説明する訳にはいかない。
こればかりは……オレの問題だからだ。
んっ……甘いな。
『
オレには少し甘過ぎるが、酒精に酔う分にはこれでも構わない。
「それにしても、お前も若いとはいえいい歳だろ? いい加減身を固めたらどうだ? 他の宮廷魔法師だって婚約なり、結婚してる奴だっているだろうに……」
「……オレはまだ独り身でいたいんだよ。気楽な立場でいたいんだ。てか、マスターよぉ、オレにそんな口聞いていいのか? これでもオレは帝国の誇る宮廷魔法師の第三席なんだぜ。そこらの平民を無礼打ち出来るくらいの権力はある。いいのか? こんなボロい店簡単に潰せるってのに?」
「ハッ、よせよ、イグバール。お前さんがそんなやつじゃねぇのはこの酒場にいる全員が知ってる。Sランク冒険者様ともあろう者が、冗談でも馬鹿なことを言うんじゃねぇよ」
「元、だがな」
「元だろうとなんだろうとお前さんが冒険者の憧れの的なのは変わりねぇさ。……それに元なんていっても別に冒険者証をギルドに返却した訳じゃねぇんだろう? あ?」
「……まあ、な」
……少し懐かしいな。
マスターとの冗談の言い合い。
オレが宮廷魔法師の権力をひけらかしてマスターが笑い飛ばす。
昔はこんなやり取りを毎度のことのようにやっていた気がする。
「……で? ホントのところはどうなんだ? 最近中々顔を見せなかったお前さんがウチに来るなんて……よっぽどのことなんだろ?」
「…………」
はぁ……結局誤魔化し切れなかった、か。
静かに差し出された追加の酒を無言で受け取る。
そのままの勢いで一口。
思わず喉に流し込んだ甘ったるい酒の勢いに任せて何もかも打ち明けたい気分になる。
だが……だとしてもやはり話す訳にはいかない。
話してどうにかなる内容でもないのもあるが、親身になってくれるマスターだからこそ、あの時のことを打ち明ける訳にはいかねぇよ。
そうだ。
オレは忘れられないでいる。
あの時……ヴァニタスに問い質されたことが頭から抜けない。
漆黒の瞳の奥底にあった
訓練場ではヴァニタスの奴隷、ヒルデガルドやクリスティナ、ラパーナたち三人がハベルメシアと一緒におっかなびっくりにエイリークにちょっかいをかけている。
……別にとって食いやしねえんだがな、最初の印象が不味かったかもな。
エイリークも久しぶりに呼び出したからか不機嫌だったし、無駄に怖がらせちまったか……。
「ところで一つ聞いていいか?」
「なんだ?」
ヴァニタスの何気ない質問に反射的に聞き返す。
そうだ。
オレはこの時欠片も警戒をしていなかった。
誰にも
バレるはずがない。
その時が訪れるまで決して表に出るはずがない。
オレはある意味で安心仕切っていた。
この少年があの存在を帝国中に
ヴァニタスは一切の容赦なくオレへと問う。
「裏切るのか?」
「…………――――は?」
耳を疑う問い掛けに一瞬体が硬直した。
裏切る?
誰が……誰を?
背筋に氷柱を入れられたような悪寒。
「突然、何を言い出して……」
「だから裏切るのかと聞いている。皇帝陛下を裏切って帝国の敵になるのか?」
ごくりと自分の喉が鳴ったのを他人事のように感じていた。
……いつ気づいた。
いや、何故気づいた。
オレがアイツらに声をかけられていることにいつ感づいた。
「……ヴァニタス、お前……」
目の前の少年の瞳は何一つ動じていなかった。
漆黒の瞳の奥底に燐光が見える。
仄暗い闇の底からまるでオレの愚かな行為の真意を見透かしているかのように……。
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