第百十四話 リーズリーネ・スプリングフィールドと邪悪殺し


 いま現在魔法学園のとある一学生を指す二つ名が帝都中に急激に拡散しています。


 ――――“邪悪殺しネファリアススレイヤー”。


 ヴァニタス・リンドブルムが帝都リードリデに帰ってきて数日。

 いつの間にか彼を形容する呼び名が新たに増えていました。


 ……いえ、原因はわかっています。

 この二つ名を積極的に広めているのはルアンドール帝国第四皇女であらせられるラゼリア・ルアンドール様。


 ヴァニタス・リンドブルムを皇帝直轄領封印の森へと誘った張本人のかの御方が、いかにして彼が帝国に貢献したか、どれほどの活躍をし被害を未然に防いだかを声高こわだか流布るふしています。

 その勢いは凄まじく、たったの数日で皇族以下上位貴族を含め、貴族たちの間のみならず、帝都の住民の間でもささやかれる事態へと発展していました。


「きゃああ! 見て、見て! あれがヴァニタス様なのですわね! はぁ〜、なんて可愛らしいの。思わず溜め息が漏れてしまうわ。あんな華奢きゃしゃな方が帝国を未曾有みぞうの危機から救った御方なんて……素敵っ! 是非わたくしもお側でお話をお聞きしたいわ。ねぇ、どうすればお近づきになれるのかしら?」

「なあオレも噂の“邪悪殺しネファリアススレイヤー”? だっけ二つ名は聞いたけどさ。……マジで本当に起こった出来事の話なのか? たった一回の吐息ブレスだけで砦を半壊させるほどの竜を殺しただなんて……しかも、秘密結社の関与がどうたら。……ここは帝国だぜ。大陸有数の強国に気づかれずに暗躍するような組織ホントにあるのかよ」

「ハァ? おまえ馬鹿か! あんな作り話本気で信じてるのかよ! 竜だぜ、竜! 魔物の中でも別格の竜! それをあの悪評しかねぇヴァニタスが殺したって? 嘘に決まってる! そもそもあいつが竜を殺しただなんて証拠もなにもないんだろうが! ハッ、オレは馬鹿な群衆のように騙されねぇぞ! 決闘だってなぁ。あんな一方的な試合、どうせ八百長やおちょうに決まってるんだ。あのヴァニタスが皇帝陛下に認められるほどの功績をあげるだぁ? オレは信じねぇぞ!」


 久々の彼の登校に沸き立つ生徒たち。


 盲目的もうもくてきに信じる者。

 事の真偽しんぎを疑う者。

 虚言きょげんだと主張する者。


 成り行きを静観する者も含め、学園内だけでも多くの意見が入り乱れ混乱しています。


 ……無理もないでしょう。


 存在するとすら信じられていなかった邪竜の復活、ひいては討伐に彼が関わっているだけでも驚きなのに、国家間を暗躍する秘密組織の存在を突き止めたなど。

 ラゼリア皇女殿下のお言葉を直接聞いたこの身でも、つい聞き返してしまうほどににわかには信じ難いこと。


 それにヴァニタス・リンドブルムの悪い噂はまだ魔法学園に根強く残っています。

 意見が割れるのは仕方ないことでもあります。


 しかし……決闘の話題こそ本人がいないことで下火になっていたというのに、これではあちらも再び再燃してしまうかもしれません。

 はぁ……頭が痛いですね。

 ようやく学園へと帰って来たかと思えば新たな火種を持ち込むなんて……。


 ……いえ、帝国を、帝国に暮らす民たちを命懸けで守って下さったこと自体には大変感謝しています。

 私が現場にいたとしても彼と同じことを出来たかと言われれば否ですし、一時的に彼の奴隷となったハベルメシア様がいらっしゃったとしても、他に頼れる人物もいない状況で一人の学生が判断するには重すぎる決断であったと思います。


 一部の貴族の間ではラゼリア皇女殿下をわざわざ危険に晒したのは功を焦ったからではないかなどと邪推じゃすいされていましたが、皇女殿下の性格を考えれば共に戦う結果となったことにも納得がいきます。

 皇女殿下自身、自らの意思で戦場におもむいたとおっしゃっていましたしね。


 貴族としても、四大公爵家の一角を担う者としても帝国にあだなす者に鉄槌を下した彼には感謝の念にこたえません。


 ま、まあいまのところ接点もない私が一方的に感謝を示したところで彼には迷惑でしょうから直接伝えることはありませんが……。


 っ!?


 い、意識などしていません!

 彼が特別なのではありません!


 お父様もお母様も彼を婚約者になどと変なことを言い出すから……そう、警戒と感謝が入り混じって少しだけ、ほんの少しだけ動揺しているに過ぎません!

 

「ふぅー、冷静に……リーズリーネ、冷静になりなさい。せっかく待ち望んでいたヴァニタス・リンドブルムが帰ってきたのですから……。この非常に注目の集まっている状況はともかく任された仕事を遂行すいこうしなくては」


 冷静に。


 自分自身に言い聞かせる。


 両親からの接触の提案、生徒会長からの彼の生徒会への勧誘。


 そう、私は待ち望んでいた。

 ラゼリア皇女殿下に機先を制され、彼が学園から去ってからずっとこの時を待っていたはず。


 さあ、あの好奇の視線すらなんでもないように跳ね除け学園を闊歩かっぽするヴァニタス・リンドブルムに最初の挨拶を……。






「ははははは、それで? 渦中の彼に一歩も近づけないでおずおずと帰ってきたのかい? まったく公爵家の淑女とあろう者が意気地がないなぁ」

「ぐっ……」


 目の前で椅子に踏ん反り返って大口で笑う生徒会長に反論出来ない。


 ヨハン・ミリーメイル。

 ヴァニタス・リンドブルムと似た背丈、少年のような容姿のゼンフッド帝立魔法学園の生徒会執行部、生徒会長。

 学園の三年生でミリーメイル伯爵家の三男。


 通称というか生徒会内では“人誑ひとたらし”とも呼ばれる交友関係の異様に広い方。

 

 ですがいまはその小憎たらしい笑い声に不快感を覚えます。


「確かにヴァニタス・リンドブルムとの接触は私に一任されていました。……しかし、あのように生徒たちが群がり、以前より一層注目が集まることになるなど……予想出来ませんよ」

「まー、そうだよね。ラゼリア様に連れられて学園から暫くいなくなって帰ってきた途端にこの騒動だ。リズ君がたじろぐのもわかるよ」

「ぐぅ…………」


 屈辱です。

 この私が目標を前にして怖気おじけづくなんて。


 しかし、どうして足が動かなかったのか。


 ……こんなことは初めて……緊張でもしていたというの?

 一体何故……?


「それにしても貴族社会は面倒だよね。ヴァニタス君の功績も疑う者の方が多いなんて。せっかくラゼリア様が邪竜の素材の一部と秘密結社の幹部の身柄を提出したのに素直に信じられないんだからなぁ。あ、でもそこにも無為混沌の結社アサンスクリタとやらが絡んでくるのか。面倒だなぁ」

「……ええ、その点については同意します。皇族の方のお言葉を意味もなく疑う……愚かな連中ですが中には結社とやらに与している輩もいるのでしょうね」

「無条件に信じるのもそれはそれで問題だと思うけどね。今回に限ってはラゼリア様が嘘をつく必要なんてないから真実なのだろうけど。でも……ある意味でもっと大事おおごとになる前に秘密組織の存在を露呈させて、妨害までした彼の功績は大きいだろうね。なにせいまのいままで露見していない組織だ。皇帝陛下なら秘密裏に当たりくらいはつけてたかもだけど、それでも誰も知らない、封印されていたことすら知らない邪竜を復活させて、意のままに操ろうなんて怪しい組織、好き勝手させるのは帝国のためにならないからね」


 あの聡明なる皇帝陛下の目を盗んでまで暗躍する組織。

 ……厄介極まりないですね。

 一体どれほどの者が彼らに与しているのか、考えるだけで頭痛がします。

 

「でもさぁ。ラゼリア様も彼のために二つ名まで広めるとはねー。あの方が突拍子もない行動をするのはいつものことだけど、余程ヴァニタス君が気に入ったらしい。まあ、皇族御用達の鍛錬と静養の地に誘うぐらいだから今更か。学園長も無理矢理公欠扱いにされたーってあの当時は溜め息を吐いてたし」

「学園長はなんというかお疲れ様ですとしか……。二つ名ですか……確かに学生の身でありながらというのはかなり珍しいですね」


 ゼンフッド帝立魔法学園の歴史を紐解いても学生、しかも一年生から二つ名を持つなど前例のないことでしょう。

 と、私が二つ名について物思いにふける中、ヨハン生徒会長は普段の陽気さを潜めて真剣な表情で呟く。


「……よこしまなる悪を殺す者。いや、外道に堕ちた者をちゅうする者という意味もあるのかな? ……皮肉だね。かつて、いやいまも少数から悪童と呼ばれ悪評の残る人物が悪を殺す者として呼ばれることになるなんて」

「……ええ」

「一部ではその二つ名にも批判があるらしい。彼にはそんな大仰な名は相応しくないとね。所詮他人のことのはずなのに文句ばかり言う連中には困ったものだよ。だけどね……どうにも僕には彼に不釣り合いな名だとは思えないんだ。……悪を殺す悪、シンプルだけど悪くないと思うんだけどなぁ。ふふっふふふ」


 はぁ……また生徒会長の悪い癖、ですかね。

 

 ヨハン生徒会長は才能ある人物や何かが飛び抜けた人物など、一度興味を持った相手には異様な執着を見せることがあります。

 以前までならヴァニタス・リンドブルムに対してそれなりの興味は持っていても執着まではいかなかったはずなのに、これではどんな行動に出るのやら……。


 はぁ……戻ってきたばかりの彼に迷惑を掛けなければいいのですが……。


「ふふっ、とにかく! これからもヴァニタス君の担当はリズ君、君だから! よろしく!」

「え!?」

「当然だろう? 一度担当に指名したんだから彼への接触はあくまで君のオ・シ・ ゴ・トだよ」

「……お言葉ですが会長、私は一度失敗した身なのですが……」

「いや〜楽しみだなぁ。ヴァニタス君ってさ。良くも悪くも帝国に新しい風を吹き込んでくれそうじゃない? 何かを変えてしまうような大きな力を感じるよ。なんだかラゼリア様が気に入るのも分かってきた気がする。そうだ! いまの内にサインを貰っておこうかな。ねぇリズ君、そっちもお願いしていい?」

「……全然話を聞いてない」

「ん? 何か言った?」

「何でもありません! はい、出来ましたら頼んでみます! しかし、期待はしないで下さい!」

「もちろんさ! 君の希望するタイミングで接触してくれ! 任せたよ!」


 ……大声で約束してしまったもののどうしましょう。


 何だかいまから息が詰まるような。

 ヴァニタス・リンドブルム。

 多大なる功績と共に帰還した彼に相対する日はいつのことになるのやら。


 私は胸に巣食う不安に自分自身が驚きながらも、微かに高鳴る心臓の鼓動に何かが変わっていく息吹を感じていた。












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