第百十一話 アンヘルは友情を育む
多くの学生たちが詰め掛けるゼンフッド帝立魔法学園の食堂。
楽しげな笑い声がそこかしこから響く中、相向かいの席に座るレクトールが日替わり定食を食べながら興奮した様子で話し掛けてくる。
「学園の施設ってどれも充実してるよな。寮は平民だろうと費用は一切掛からないし、訓練設備は最新のものが揃っていて申請さえすれば誰でも使える。医務室には回復に特化した魔法使いが常駐してくれてるから万が一の怪我にも安心だ。なんてったって学食が食べ放題なのが最高だよな。入学してから毎日お世話になってるけど、メニューも豊富だし、どれを食べてもハズレがない。それに毎月の新メニューに加えて季節限定のメニューまである。腹いっぱい食えて、しかも全部が無料なんて、ルアンドール帝国サマサマだよな。な、アンヘル」
「……うん」
「どうした? あんまり食べてないじゃないか。食わないと授業についていけないぞ。そっちのクラスも午後から実技だろ? ならなおさら体力をつけとかないと」
「……うん。そうだね」
熱心に話し掛けてくれるレクトールには悪いけど、どうにも食欲が沸かない。
……原因はわかっている。
自分でもこんなに
「……もう気にすんなよ。そりゃあ、お師匠様のことは残念だったけど。お陰で退学は免れたじゃないか」
「まあ、ね」
「まさかヴァニタスが退学の代わりに出した条件がお師匠様との条件付きの模擬戦とはな。アンヘルのお師匠様が宮廷魔法師ってのにも大分驚かされたけど……それを奴隷にしちまうヴァニタスが一番あり得ねえだろ。一学生が宮廷魔法師に勝つなんて。いまも学園内では半信半疑のヤツが多いけど、奴隷の首輪をつけた本人を見たヤツは……信じるしかないよな。それにしても魔法を発動出来なくする魔法だっけ。……ヤバすぎるだろ。対魔法使い用の最終兵器かよ」
師匠がヴァニタスくんと模擬戦を行ってもう一週間近く経つ。
二人の戦い。
ヴァニタスくんの厚意で模擬戦を見学させて貰ったけど、勝敗は一瞬だった。
あの師匠が、いままで一度だって勝てたことがなかった師匠が手も足も出なかった。
そもそも汎用魔法で相手を殲滅するはずの師匠が、たった一つの魔法すら発動出来なかった。
ヴァニタスくんのあの魔法。
……あれも掌握魔法だったのかな。
「うん……俺との決闘でこそヴァニタスくんは使わなかったけど、あんな魔法使い殺しの魔法を使えるなんて思っても見なかった」
「……体術のなってない魔法使いじゃ碌な抵抗も出来ないだろうな。アンヘルには悪いが……相手が悪かったとしか……」
対面に座る俺を
少しだけ静かな時間が流れる。
「でも……師匠のことは……まあ大分吹っ切れたかな」
「そうか? ヴァニタスがお前のお師匠様を食堂に連れてきた時は卒倒してたじゃないか」
「ア、アレは師匠がっ……その……あまりにもヴァニタスくんと親密そうな様子だったからっ!」
「お前……」
「だって師匠が……あの師匠が、確かに恥ずかしそうだったけど、あんな晴れやかな顔をしている姿は見たことなかったんだ。その……師匠が本当に遠くに行っちゃったんだな、と思ったら急に……」
「ま、まあ育ての親だもんな。奴隷となった姿を見れば複雑な感情を抱くこともある。う、うん、普通だよ、普通」
なんだか様子のおかしいレクトール。
……変なこと言ったかな?
「でもいまはちょっと感情も落ち着いてきたというか。ヴァニタスくんたちが学園にいないのも理由かな。それに、ヴァニタスくんのクリスティナさんたちへの態度を見ればね。奴隷といっても師匠が大切に扱われているんだろうな、ていうのは想像がつくから」
「命懸けの決闘を繰り広げた対戦相手に対して謎の信頼だな。お前殺されかけたんだぞ。いやクロード先生が止めてなければもっと酷いことになってたってのに……。まったくお前には呆れるぜ」
「うっ……」
「だがまあ、最近のヴァニタスが奴隷を大切にしているってのは同意だ。長期休暇の前までだったらあいつの奴隷なんて絶対に不幸になるだけだと思ってたが、いまならまあそれなりの扱いをしてくれてるだろ」
「うん。きっと仲良くやってると思う。師匠は我が侭な人だけどヴァニタスくんなら……」
「お師匠様のことでもないとすると……クラスメイトから避けられてる件か?」
「え! わ、わかるの!?」
レクトールの鋭い質問に思わず驚いた声が出てしまう。
食堂で談笑していた生徒たちの視線が一斉にこちらを向いた。
う……ちょっと恥ずかしい。
「そりゃわかるだろ。いまだってお前の大声に視線こそ集まったけどすぐにみんな無かったことのように視線を逸らした。どいつもこいつも……関わりたくないんだ。……やっぱり新しいクラスに馴染んでないんだな」
「……うん」
レクトールの指摘は正しい。
そう俺は……避けられている。
クラスのみんなだけじゃない。
会う人すべてに距離を置かれていた。
「すまないが、近寄らないでくれないか。君と仲良くしていると……勘違いされたくない」
クラス替え初日に俺へと声をかけてきたのはクラスを束ねる委員長、テオバルトくんだった。
ヴァニタスくんの婚約者、マユレリカさんと入れ替わるようにしてフロロクラスからクラス替えが行われた。
これも決闘、引いては師匠との模擬戦の結果なのだから当然なのだけど、まさか初日にいきなりこんなことを言われるだなんて思わなくて、びっくりして体が硬直してしまったのをよく憶えている。
委員長はさらに畳み掛けるように続けた。
「……アンヘル君、君が悪い訳でないんだ。だけど侯爵家のような大貴族と揉めた君と、ボクたちは……関わりたくない。このクラスには貴族も平民の生徒もいる。けど、大貴族と揉めて決闘騒動まで発展するような君と仲が良いと勘違いされることは避けたいんだ」
「…………」
「……君ももうすでに知っているだろうけど学園は決して生徒を守りきれる訳じゃない。悲しいことだけど結局親の爵位や後ろ盾の力関係に左右されてしまうところがどうしても存在している」
「…………」
「本当は君とこのように話している場面を見られるだけでも危険なんだ。……わかってくれとは言わない。ただボクたちだって必死なんだ。魔法学園に入学出来たのはとても栄誉なこと。無事に卒業さえ出来ればどんな進路を辿るにしても非常に優位に働く。だけど……それも権力の大きい者に目をつけられればどうなるかはわからなくなってしまう。……君は目立ち過ぎたんだ」
「……うん……迷惑かけて……ごめん」
あの日から俺はずっと無視されている。
朝の挨拶も、廊下ですれ違っても。
クラスメイトたちは授業こそ最低限の会話はするけどそれも事務的なもの。
話が終わればそそくさと離れていってしまう。
これもすべて身から出た
けど……意図的に無視され続けるのは少し堪える。
「……オレには少なくともラルフやイルザがいるからな。ラルフは同じヴァニタスに絡まれた者同士だし、イルザは自分から積極的にヴァニタスに関わってる。ヴァニタスと同じクラスなのも大きい。オレを取り巻く環境はいまのところ表面上は前とそれほど変わっていない。でも決闘の当事者であるお前は……」
「…………自分でもこんなにショックを受けると思わなかった。全部自業自得なんだけど……せっかく学園に残れたのに結局無視されて居ないものとして扱われるなんて……」
「ああ」
「これじゃあ何のために学園にいるのか……やっぱり決闘の結果を
「アンヘル……」
何のために学園に残ったのか。
師匠は正当な決闘ではないと言った。
条件が一方的過ぎると。
でもそれを承諾したのは俺だったんだ。
俺がヴァニタスくんの出した条件に頷き、そして完敗した。
それなのに負けの精算もせず学園に残ってしまった。
……本当に正しいことだったのか。
学園にいる価値はなんなのか。
わからない。
わからなくなってしまっていた。
「……落ち込んで何になるんだ?」
「え?」
そんな落ち込み悩む俺に、レクトールは顔をあげろと言った。
強い眼差しだった。
俺の弱気を吹き飛ばすような力ある言葉で彼は続ける。
「アンヘル、もしお前が決闘の結果通り学園を去ったとして何処にいくんだ? 何をする?」
「それ、は……」
「地方の領地で騎士でも目指すのか? 大陸を旅する冒険者にでもなるのか? それともどっかで世捨て人のように一人で生きていくってのか?」
「わから、ない」
「学園、特にゼンフッド帝立魔法学園は最高峰の学び舎だ。それでも確かに貴族と平民の
「…………」
「だけど……理不尽があるからこそ己の力を鍛えるんだ」
「!?」
「学園は力を得るには最適な場だ。オレも目標のために、果たさないといけない約束のためにこの学園に来た。ひたすら強くなって、強くなって……理不尽を跳ね除けられるように」
「レクトール……君は……」
「アンヘル、オレはお前が優しいヤツだと知っている。とんでもない世間知らずで、思い込みが激しくて、自分の気持ちしか見えてなくて……でもって馬鹿らしいくらいお人好しなのを知っている」
「……言い過ぎだよ」
「いまお前を取り巻く環境は確かに自業自得の部分が大きい。無知ゆえの過ちってやつだな。だがだからこそ、落ち込んで塞ぎ込むぐらいなら……強くなれよ。そして少しでも多くを学ぶんだ。周りの連中に無視されたって関係あるもんか」
「それは……」
「いまはひたすら前だけを見ていればいいってことだよ。無視? 結構じゃないか、その間に自分自身を鍛えて力を蓄えればいい。……その内お前自身を見てくれて、認めてくれるヤツだって現れる」
「そう、かな」
「ああ、間違いない」
「……君みたいに?」
「オ、オレは違うからな。オレは……そう、ヴァニタスとの決闘でも手を貸しちまったし。いまさらなところもあるから付き合ってるだけで……。おいちょっと待て! なんだよ、その生暖かい目は!」
慌てふためくレクトール。
さっきまでの真剣な眼差しはいつの間にか何処かにいってしまった。
彼は『同じ船に乗った者同士だから』と言い訳していたけど、それだけでこうして違うクラスになってまで気にかけてくれる人なんていない。
「ありがとう、レクトール。君がいてくれて良かった。君が友達でいてくれて……本当に良かった」
「う、五月蠅い。どうせお前は考えるだけ無駄なんだから前だけ向いてればいいんだよ! それなのに、まったく変なところで悩みやがって。大体学園に残ることだって勝者であるヴァニタスが認めてるんだから悩む必要なんかないんだ。周りの奴らだって貴族の特権が怖いだけで、結局お前がどうとか関係なく臆病になってるだけなんだ。それを余計な心配をして、せっかくの帝国最高の教育機関で学べる機会を放棄するなんて馬鹿がすることだ。ここに入学するために一体何人が涙を飲んできたことか。オレだって必死に勉強して魔法を鍛えたんだぞ。それをだなっ!」
「はは、ごめん」
「はは、じゃねんだよ。お前はなぁ。あのヴァニタス・リンドブルムと張り合えるぐらいの強さがすでにあるんだぞ。決闘だって一瞬で勝負がついたように見えて実は接戦だったんだろうが。だからヴァニタスは勝負を急いだ。それを……はぁ……何でオレはこんなヤツに付き合ってんだか……」
「レクトールが俺のことを好きだからじゃないの?」
「違えよ! オレが……オレも馬鹿だからだ!」
レクトールに励まして貰い少し元気の戻ってきた午後。
昼食を終え、食堂から教室に戻る途中だった。
「……ん? 何だ」
校舎の陰になったあまり人の寄り付かない場所。
いま、誰かの話し声、いや怒鳴り声が聞こえたような。
隣を歩くレクトールを見れば彼も同じだったらしい。
目配せした後、そっと声のする方向へと忍び足で近づく。
「――――ッ。 ――――! ッ!」
「オ……! 立てよ!」
「……あんまりいい雰囲気じゃねぇな。喧嘩か?」
気配を消しつつ覗いた先。
思いもよらない光景が広がっていた。
「……おい、アレ、あの眼鏡。殴られてるヤツってお前のクラスの委員長じゃないか?」
「テオバルトくん……」
三人の……あれは上級生?
学園の二年生と思わしき男子生徒三人がテオバルトくんを囲んでいる。
レクトールの言うようにあまり良い雰囲気ではない。
それこそ楽しくお喋り、ではなく恫喝でもするような相手を萎縮させるための言動を彼らは取っていた。
「一年生よぉ〜。俺らは女子と仲良く話してただけなんだぜ。な〜んで邪魔するかな〜」
「『すみません、もう許して下さい』ってさ。俺らが何か悪いことしたわけぇ? ちょっと放課後後輩ちゃんに付き合って貰いたいな〜、て相談してただけだぜ」
「すみません……」
「謝って済む問題かぁ? 俺らの楽しい時間を邪魔しやがって!」
「ぐっ……」
上級生と思わしき生徒。
中でも体格に優れた生徒がテオバルトくんの頬を殴る。
アイツッ……。
「……おっとなにする気だ」
「っ」
レクトールが静止するように腕を掴む。
その瞳は冷静になれと訴えかけていた。
彼は周囲には聞こえないように耳元に近づくと小声で話す。
「……見たところあの上級生たちは貴族の子息たちだな。だからお前のクラスの委員長も殴られても抵抗しないんだろう。上手くやり過ごせることを祈って無抵抗のままでいる。……ここでお前が突っ込んでも事態は好転しない。いや、寧ろ悪化するかもしれない」
「だからってこのままじゃテオバルトくんが……」
「……悔しいけどオレたちに出来ることはない。精々が学園の教員を呼んできて止めて貰うことぐらいか。……首を突っ込むべきじゃない。わかるだろ? ややこしいことになる」
難しい表情を浮かべつつ忠告してくれるレクトール。
彼もテオバルトくんの暴行を受ける場面に心を痛めていた。
それでもぐっと堪えて自分のすべきことをしようとしていた。
……確かにクロード先生やフロロ先生を呼べば力になってくれるはずだ。
あと少しでお昼休みも終わりになる時間だけど、職員室にならいるかもしれない。
わかってる。
頭ではレクトールの言う通り先生たちに止めて貰うのが最善の策だと。
でも……それじゃあ……。
目の前で理不尽に殴られる彼を見捨てるようなものじゃないか。
「レクトール、お願いを聞いて欲しいんだけど……」
「はぁ……本当にアレを穏便に解決する算段があるんだろうな。ったく何でオレはこんなヤツに。……言えよ、取り敢えず聞いてやる。そのうえでそれがあいつを助けられるものなら……乗ってやるよ。どんな馬鹿らしい話でも。オレはお前と同じ――――飛び切りの馬鹿だからな」
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