第百十話 混沌の宴


 ジオニス神聖王国、王都エバーレイズ。

 多くの無法者たちが集うスラム街の一角で、秘密の会合がもよおされていた。


 漆黒の円卓に座るは三人。

 その中の一人、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうな大男が片肘かたひじをつきながらぶっきら棒に周りを見渡す。


「で? 結社のためにオシゴトに励んでいたオレサマを呼び出すたぁ一体どういう了見りょうけんなんだ? 普段滅多に顔を合わせることのねぇオレサマたちを一同に集めるなんて余程のことでも起きたんだろうが、何処ぞの大馬鹿野郎が結社に歯向かってきたか? だとしたらオレサマの仕事が増えて嬉しいんだがなぁ。……本拠点まで変更とは只事ただごとじゃねぇ。一体何がどうなってやがる? あ?」


 大男の名はディグラシオ・ガルナット。

 モーリッツたちと同じ無為混沌の結社アサンスクリタの幹部の一人だった。


 ディグラシオの威嚇するような態度に、不機嫌さを隠そうともしない灰色の騎士甲冑に身を包んだ女が反応する。


「口を開けば文句ばかり……やはり粗野で野蛮なだけの男は駄目だな」


 橙色の片眼を銀の髪で隠した彼女はフリーダ・アルテム。


 元はルアンドール帝国シュバルヒ伯爵家に仕えた女騎士。

 彼女もまた無為混沌の結社アサンスクリタの幹部に名を連ねる者。


「秘匿されている本拠点を変更しなければならないほどの差し迫った事態。だからこその幹部全員の緊急招集だろう。……こんなことは考えればすぐに分かる」

「そんなこたぁわかってる。だがよぁ。いままで一度だって本拠点が変更になったことなんてなかっただろうが」

「私も急遽きゅうきょここに来ることになったのだから詳しくは知らん。だが……そこでだんまりを決め込んでいる男なら何か知っているのではないか? なあ、案山子男スケアクロウ。貴様は首領しゅりょうに一番近い男。であるなら心当たりぐらいはあるだろう」

「…………」


 フリーダから問い正されたのは赤茶けた襤褸布ぼろぬのを纏い同じく円卓に座る男、案山子男スケアクロウ

 邪竜復活の騒動の際、ヴァニタスとも敵対しておきながら逃げおおせた相手。


「……相変わらずか。愛想のない奴だ」

「フリーダよぉ、愛想がねぇのはオマエだって同じだろ?」

「……フン」

「ああ? フンじゃねぇよ。お高く止まりやがって。ハァ……まったくこれだから――――年増は」


 瞬間室内の空気が凍る。


「…………聞き違いか? いま何と言った?」

「聞こえなかったかぁ? 年増って言ったんだよ」

「あ゛? …………お前……氷像ひょうぞうにしてやろうか」


 腰掛けた椅子の傍らに立て掛けてあった魔剣の柄を握るフリーダ。

 刹那、冷気の籠められた白いもやが辺りを漂い始める。


「だってよぁ本当のことだろ。確か三十だっけか? モーリッツの奴がいってたぜ」

「アイツッ。私はまだ………………二十……きゅ……ぅだ」

「なら十分年増だろ」

「ッ、殺す!」


 殺気が空間を軋ませる。


「おお怖え」

「……前々から貴様は気に喰わなかったんだ。いくら結社の『掃除役』だからといって身勝手が過ぎる」

「ガハハハ! イイぜ! いい殺気だ! フリーダ、オマエとは一度戦ってみたかったんだ! ホラこいよ! オレサマがオマエを粉微塵に打ち砕いてやる!」

「暴れることしか脳のない不埒者ふらちものがっ!」


 円卓を挟んで睨み合う二人。


 といってもフリーダは怒り心頭といった様子だが、ディグラシオは獰猛な笑みを浮かべ迎え撃つ気満々であった。


 そこに能天気な声が二人の間を割るように響く。


「お二人ともまぁた喧嘩してるんですか〜。あちゃ〜、いつも通りですけど協調性ないですね〜」


 円卓の間に白衣を身に着け、丸眼鏡をかけた黄色髪の女が入ってくる。


「……パルラトラ、か」

「はいは〜い。フリーダさんお久しぶりですぅ! お元気でした〜。あ、そういえば魔剣の調子はどうですか〜。何か変なところありませんか〜」

「あ、ああ。氷気魔剣フロストピリオドは何も問題はない」


 無警戒にフリーダへと近づいていくパルラトラに、室内を満たしていた殺気の渦が霧散していく。

 ディグラシオも不満げな顔をしながら降参といわんばかりに肩を竦め両手をあげていた。


 フリーダの携える氷気魔剣フロストピリオドは冷気を増幅する特別な効果を備えた剣。

 この魔剣を制作したのは他でもないパルラトラだった。


 彼女は結社の『研究役』。

 モーリッツやエリメスがイカれた魔導具研究者マッドサイエンティストと呼ぶ存在。


 フリーダとディグラシオ、二人のいさかいを意図せず止めたパルラトラだったが、そんな彼女に続き円卓の間に足を踏み入れる人物がいた。


「――――やあ、みんな。元気にしていたかい」


 視線が集中する。

 そこに立っていたのは一人の男。


「っ!?」


 その男には気配がまるでなかった。

 それどころか何処にでもいるような普通の男のようだった。


 紫の長髪、覗いた者に考えを読ませない銀の両瞳。

 多少端正な顔立ちこそしているものの、特別何かが優れているようには見えない。


 だが……彼を見る者はみな何処か違和感を覚えるだろう。

 フワフワとした底知れない異様さが人の形を成しているような形容し難い存在だった。

 

「……首領」

「よう、首領! 何時ぐらい振りだ? 相変わらずよくわかんねぇ奴だな!」

「…………」

「あ、首領、遅いですよ〜。もうみんな揃ってます〜」


 首領と呼ばれた優男は漆黒の円卓を見回し、その場の人物たちを一人一人確認する。


「フリーダ、ディグラシオ、案山子男スケアクロウ、パルラトラ……みんな良く集まってくれた。おや、ネーレはいないようだね」

「……あの女のことだ。情報を引き出すためと大義を口にして、また何処ぞの者を拷問でもしているのだろう」

「三度の飯より拷問が好きなんてよぉ。悪趣味な女だよなぁ。ガハハハ、あいつ碌な死に方しねぇよ」

「ネーレもお前にだけは言われたくないだろうが……業腹ごうはらだが、珍しく同意見だな。結社の役に立っているからいいものを、あの女の悪辣あくらつさは目に余る。……ところで首領、モーリッツやエリメスらがいないようだが彼らは……」


 フリーダがゆっくりと椅子へと腰掛けた首領へ疑問を投げ掛ける。

 それはこの場にいない者たちへの言及。


 普段なら幹部全員が招集されるような事態には、真っ先に現れ場を搔き乱す言動ばかりするモーリッツと、我関せずとばかりに自分の話ばかりする勝手気ままなエリメス。

 フリーダから見ても結社の任務を真面目に果たしているとは思えない二人だが、いざいないとなると二人の実力を知っているが故に、彼らの身に何かが起きたのか、もしくは特別な何かを命じられているのかと勘ぐってしまう。


 そして、そのフリーダの勘は正しかった。


「ああ、モーリッツか……彼は死んだよ」

「死ん……だ?」

「穏やかじゃねぇなぁ。おバカなエリメスはいつかヘマすると思ってたが、あの生き汚いモーリッツが死ぬ? ハッ、何か変なもんでも食ったんじゃねぇか?」

「でも本当だよ。モーリッツは殺され、エリメスは帝国に囚えられた。一緒に任務に向かって貰った案山子男スケアクロウから詳しく聞いたからね。間違いはない」


 首領の補足に案山子男スケアクロウが無言のまま頷く。


「エリメスが囚えられた? だから本拠点を変更に?」

「そう。彼女は幹部だったけど、別にボクたちに特別思い入れはないだろう。……悲しいけどね。身の保身を考えればすぐに口を割るはずだ。だからこそあの拠点は廃棄してみんなにはここに集まって貰った」

「だからってスラム街たぁ、逆に目立つんじゃねぇか?」

「大丈夫だよ。パルラトラの作ってくれた魔導具マジックアイテムもあるし、ここには二重、三重と偽装工作を施してある。それに木を隠すなら森の中。格好にさえ気を付ければスラム街でも問題は少ない。入口は特に厳重に隠してあるしね」


 『ならいいけどよぉ』とあっさり引き下がるディグラシオ。

 首領はそれを一見満足そうに眺めながら話を続ける。


「モーリッツとエリメス、幹部が二人もいなくなってしまったのは手痛い事態だ。彼らの替えは効かないからね。だがそれにもまして直近ちょっきんの問題がある」

「問題? まだ何か?」

「……帝国でボクら無為混沌の結社アサンスクリタの賛同者が次々に消されている。それもかなり巧妙な手口で。中には今後の計画のために重要な者たちも多数含まれていた。……いままではあの聡明なる皇帝からもなんとか逃れて来れたんだけどね。ここに来て攻勢を仕掛けてきた。こちらに欠片も正体を掴ませない駒を隠し持っていたとは……参ったよ」


 口では困った風に装う首領だったが、特段慌てている様子はない。

 ただ淡々と事実だけを語っているだけだった。


 少しの不気味さにフリーダは息を呑む。


「……では帝国からは身を引くと?」

「幸い最大の協力者の身元は露見していない。彼の存在を知るのはボクだけだ。だからそうだね。暫く活動を控えていればそれでいいだろう。『勧誘役』のモーリッツもいなくなってしまったことだしね」

「首領! そんな細かい話はもういいだろ! そんなことよりモーリッツを殺したヤツの話をしてくれ! で? どんな強敵ヤツがあの野郎を殺したんだ?」


 鼻息荒くモーリッツを殺した首謀者を問うディグラシオ。


「確か案山子男スケアクロウたちは邪竜と呼ばれる古の竜を復活させるべく行動していたのだったな」

「あ? そうなのか? オレサマは聞いてねぇけど」

「……貴様如きに計画の詳細を話したら何処で漏れるかわからんだろうが」

「たく、いまだ独身の身は寂しいなぁ。まだ構って欲しいのかよ」

「貴様ァ……」


 再び再燃する二人のいさかい。


 それを止めたのは他ならぬ首領だった。


「……落ち着いて」


 たった一言。

 何でも無い一言が彼らの動きに迷いを生じさせる。


「……席に座るんだ」

「あ、ああ……」

「……そ、そうだな。座ら、ないと……」


 やがてふらふらと円卓の席につく二人。

 彼らの表情は何処か虚ろで所在なさそうに揺れていた。


 案山子男スケアクロウはその様を襤褸布ぼろぬのの向こう側からじっと注視していた。


「話の続きといこう。モーリッツたちには古の邪竜、月食竜エクリプスドラゴンを復活させ、パルラトラの作ってくれた特別な従魔の首輪で操ることで、結社の戦力として活用するつもりだった」

「そうです! 首輪を装着した魔物を命令通りに動かせる魔導具マジックアイテム! ワタシの大傑作です〜!」

「帝国では非公式だけど『隷魔の首輪』と呼ばれているようだね。少し安直だけど返ってわかりやすくていいかもしれない。……しかし、計画は失敗、邪竜は無事復活するも殺され、挙げ句モーリッツたちまで失うこととなった」

「首領が戦力として利用しようってんだ。邪竜ってヤツも相当強かったんだろ? そいつまで殺されたのか!?」

「ああ、そうだね。首謀者……というかボクたちの前に立ち塞がった者たち。そのおもだった者は三人」


 漆黒の円卓に何処から取り出したのか三つの銀の駒が置かれる。

 奇しくもそれぞれの駒はチェスでいうところのキングとクイーンに似ていた。


「三人……」

「その内の一人はフリーダ、君の良く知る人物かもしれないね」

「何……?」

「“暴竜皇女”ラゼリア・ルアンドール。皇帝お気に入りの第四皇女。『竜骨』の先天属性一つで一騎当千の武力を持つと言われる戦乙女」


 二つあるクイーンの一つが円卓を滑り中央で止まる。


「“暴竜皇女”だぁ!? めちゃくちゃ有名ドコロじゃねぇか! オレサマも一度戦って見たかった相手だ! イイね! イイじゃねぇか! 敵としては申し分ねぇ!」

「皇女、様……」

「何だフリーダ、まだ帝国に未練があんのかよ」

「…………未練などない。元はといえば私が騎士を辞することになったのは皇族の管理不足が原因だ。あのような下衆な貴族を放置するからこそ、私は結社に身を置くこととなったのだ。……恨みこそあれいまさら……未練などと」


 フリーダの言葉は弱々しかった。

 だが今度は誰もそれを指摘しない。

 そんなことをすれば先程のように烈火の如く怒り出すのは明白だからだ。


 なにより首領の話はまだ終わっていない。

 もう一つのクイーンが円卓を滑る。


「もう一人は“無窮無限”の二つ名を持つ帝国宮廷魔法師第二席、ハベルメシア・サリトリーブ」

「ハベルメシア様か……だがあの方は世俗せぞくのことになどさして興味はないはず。皇帝陛下の命か? 邪竜討伐に強制的に駆り出されたか……」

「いや、彼女は奴隷となったらしい。それで主の命令で同行していたようだ」


 首領の言葉に時が止まったかのように動きを止めるフリーダ。

 まばたきすら忘れるほどの衝撃。

 それほど彼女の中ではハベルメシアと奴隷とが結びつかなかった。


「ど、奴隷!? あ、あのハベルメシア様が!? な、何か失態でも犯したのか? 昔から他人には高圧的な方だったが……ついに皇帝陛下が咎められたのか!?」

「模擬戦で負けたそうだよ」

「は……?」

「どうやら侯爵家の嫡男に己の身を賭けた模擬戦で瞬殺されたらしい。噂を集めるのは簡単だったよ。つい二週間ほど前の出来事らしいけど、帝都ではいまだにその話で持ち切りだそうだからね。魔法学園の一学生が現役の宮廷魔法師を奴隷にした、とね」

「奴隷……ハベルメシア様が奴隷……が、学生の?」

「宮廷魔法師を倒す学生だぁ? ハッ、何だそりゃ! 化け物か!」

 

 あまりの衝撃からか虚空の一点を見詰め続けるフリーダに、増々興奮した様子で嬉しそうに吠えるディグラシオ。


「そして、三人の中でボクが一番に警戒する相手。案山子男スケアクロウからも彼が最も危険な存在だとそう報告を受けている」


 キングに似た駒が円卓を滑り、そうして二つのクイーンへと並び立つ。


「先程の話でハベルメシア・サリトリーブを倒し奴隷とした少年。宮廷内ではラゼリア・ルアンドールと婚約したなんて不正確な噂もある。しかし、魔法学園でも帝都の街中でも、彼について聞くのは悪評がほとんどだ。……何故だろうね。これ程までに話題に事欠かない人物でありながら、いままで彼が頭角を現すことはなかった。つい数ヶ月前までの彼は故郷たるリンドブルム領でも散々な評価であり、両親の爵位を傘に無辜むこの人々を苦しめる、そう……傲慢たる貴族そのものだった」


 評価の一定しない異質な経歴に誰も口を挟めない。


 測りかねていた。

 自分たちに敵対する者が何者なのか。

 たとえ無為混沌の結社アサンスクリタを束ねる者の言葉でも信じ切れないほどに謎めいていた。


「彼は第二席以外にも複数の奴隷を所有している。一人はエリメスを打ち倒しほどの実力の持ち主。もう一人は邪竜討伐の決め手となった。そして、彼自身はモーリッツを殺した張本人でもある。彼の名は――――ヴァニタス・リンドブルム。彼をただの侯爵家の息子とあなどってはいけない」

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