第百八話 ヒルデガルドと馬車の中
「うぇ〜、気持ち悪いぃ〜。なんで薬効かないのぉ」
「おかしいな。マッケルンからは乗り物酔いによく効く薬を用意して貰ったのだが……」
街道をゆったりと走る馬車の中で、元々真っ白な顔色をさらに青白くしたハベルメシアが、ラゼリア様に背中を
グラニフ砦を
ハベルメシアはその間ずっとバケツを顔の前に待機させ、気持ち悪そうにして嘆いていた。
「こんなにも薬が効かないとは。これはもしや…………乗り物酔いが癖になったのか?」
「ウソぉ!? ヤダぁ!? じゃあわたし馬車に乗る度にこんな風になるのぉ? いままで馬車に酔ったことなんてなかったのに〜。毎回気持ち悪くなるなんてヤダよぉ。なんとかして〜」
「こればかりはなんとも……取り敢えず窓を開けるか。ほら、心地よい風が吹いている。多少はマシになるだろう? 後はそうだな……とにかく気力を強く持て」
「……結局精神論なのぉ? うえ……気持ち悪いよぉ……」
封印の森へ向かう時は速度に優れる竜車を使用した私たちの旅。
帰りの道はそれに比べたら遥かにのんびりしたものだった。
「……それにしてもクリスティナには悪いことをしてしまったな。拘束されているとはいえ
クリスティナとラパーナ、それからマユレリカの三人は一緒の馬車には乗っていなかった。
彼女たちは私とも戦った
はじめはクリスティナだけが監視のために乗る予定だったけど、ラパーナが自分もクリス姉と一緒に乗ると言い出したためマユレリカも当然のようについていった。
「クリスティナ自身が提案してくれたことだ。それにクリスティナがいれば
「魔封の枷。希少な物なのもあるが、普段滅多に人が寄り付かない
「クリスティナなら問題ない。気になるなら後で顔を見せて
「そうだろうか……」
まだ少し納得のいっていないような表情のラゼリア様だったが、ふと何かを思い出したかのように話を切り出す。
「それはそうと邪竜討伐の功績についてだが……」
そうしてラゼリア様が話し始めたのは邪竜を倒した主と私、そしてハベルメシアについてだった。
功績?
そんなこと考えたこともなかった。
ただ夢中で戦っていただけなのに。
「邪竜……いまはもう死んだモーリッツ曰く月食竜エクリプスドラゴンだったか。あの竜が帝国領内で暴れ回れば被害は想像もつかないほど甚大なものだっただろう。
「……しかしそういうなら僕たちだけでなくラゼリアだって――――」
「皆まで言うな。……ヴァニタスが私に気を遣ってくれるのは嬉しい。だが私自身が一番良くわかっている。邪竜戦で私は何の役にも立てていない。
「…………」
「だが落ち込んでばかりいられないのもわかっている。なによりこれから再びあの男と
「ラゼリア……」
決意に満ちた表情。
ラゼリア様はさらなる強さを求めていた。
すると会話の途中でラゼリア様の視線がこちらに向く。
「それに聞いたぞ。というか私も遠目ながら多少は目撃した。ヒルデガルド、どうやら次に戦えば私でも勝てるかどうか……。というより私が挑戦者側に立つことになるだろうな」
「え?」
「当然だろう。ヴァニタスと同じ魔法。伝説に謳われる掌握魔法。大気中から魔力を集束するのだったか……。魔力容量に関係なくほとんど無限に魔法を使用可能な相手では分が悪い。だが……明らかな格上相手でも私も強くなることを諦めたりはしない。ヒルデガルド、お前がそうだったように。お前に勝つためにも私はさらに強くなる。新魔法のアテもあるしな」
私に……勝つ?
私の
それでもラゼリア様は私への闘志を燃やしていた。
私がラゼリア様を超えることをあの敗北から目標としていたように。
今度は私を超えることをラゼリア様が目標にしていた。
不思議な感覚。
でも……悪くなかった。
「……と話が逸れたな。いまは私の心情の話はどうでもいい。話を戻そう。当然
「報酬か……別に報酬が欲しくて戦った訳ではないのだがな」
「そうだな……だがその……
「自分のためだ」
「あ、ああ! 勿論わかっているとも!」
「フ、半分嘘だ。ラゼリア、君のためでもある。君の悲しい顔は見たくなかった」
「うっ……あ……うん。……嬉しいぞ、ヴァニタス」
むむ、やっぱりラゼリア様は危険。
いまだって主に何気なく距離を詰めると、そっと手を握り上目遣いでお礼を言っている。
大きい体を精一杯小さくして、さらに主に寄り添うような物凄い近い距離。
あざとい。
皇女様、あざとい。
「ゴホンッ……報酬の話だが、貰えるものは貰っておいた方がいいだろう。だが……その……こんなことは帝国でも
「まあ、いきなり古の邪竜が復活してグラニフ砦が半壊、騎士たちからは多数の死傷者が出て、皇帝直轄地の封印の森の三分の一程度が荒野へと変わったなど、口頭では信じられないのもわからないでもない」
「……私でもすぐには信じられないことだからな。彼らの直接見てからでないとという言い分も理解出来なくもない。だが今回の一件は帝国に甚大な被害を及ぼす
「ラゼリアに?」
「勿論ヴァニタスの口からも説明が必要になるだろうが、私も当事者の一人。きちんとヴァニタスたちの活躍を
「そうか」
主の活躍をきちんと伝えて見せると張り切るラゼリア様。
幸い証拠の一つとなる邪竜の死体はほとんど手つかずのままなので、あれを見れば否が応でも納得するだろうとのことだった。
因みに邪竜は後で解体し有用な素材は送ってくれる手筈になっているらしい。
竜の素材はどれも貴重なものでそれが古の邪竜ともなれば価値はどれぐらいになるかもわからないそう。
ただ、出来れば帝国にも売却という形でもいいので、多少の素材を渡した方が文句をいう奴らを黙らせるにはいいらしい。
文句……?
危険な魔物を殺してなんの文句があるのだろう?
私には貴族のことはわからない。
けど色々力関係? とか調整? が難しいらしい。
でも主はそういった面倒そうなことも予測していたらしい。
ある程度自由に立ち回れるラゼリア様に今回のことを任せるようなことを言っていた。
「あぁ……なんか頭も痛くなってきたぁ。うぅ……気持ち悪いのも治らないし、サイアク……」
「はぁ……仕方ないな。ヴァニタス、この話の続きはまた後で。しかしこの体たらく……
「うん……うぇ……」
ラゼリア様に連れられ馬車の後ろの席に横になるハベルメシア。
確かに、あの時私たちの危機を助けてくれた魔法を放った人物とは思えない情けない姿。
「まったく、ハベルメシアはどこでも騒がしいな」
でも主にはそんなハベルメシアもらしく映ったみたい。
うっすらと微笑む主はここ数日の疲れの見え隠れする表情が嘘のようだった。
……主は疲れている。
私でもわかってしまうぐらいに。
当然だ。
主はあの激闘の後、首謀者を追いかけ奇襲すらも行った。
昼間にあれだけ戦ったのに深夜の行軍、疲労が溜まっていて何もおかしくはない。
でも本当のところは少し違う。
主は……邪竜との戦いの後、数日の間目覚めなかった。
理由は単純。
主は限界を超えていた。
主の魔法、
主は魔力で体を動かす便利な魔法だと言っていたけど、欠点がない訳じゃない。
体力がなくなった状態で無理矢理体を動かせば、疲労は溜まっていく一方。
当然後から体の限界を超えたツケを払うことになる。
邪竜戦の後ですら
主は寝台から起き上がれないほどに疲労していた。
それもすべて主は自分の招いた結果だという。
自分のために行った結果が返ってきただけなのだと。
……だから私は提案した。
ちょっとだけ恥ずかしかったけどそれ以上に私は……。
「……主、ちょっと、寝る?」
「膝枕……か? フ、そうだな少し借りようか」
主がゆっくりと横たわる。
「ン……」
膝の上に少しの重み。
軽い。
こんな軽い体で主は……。
ふと主の右手を見る。
包帯に包まれたままの完治していない手。
主は自分の治療を優先しなかった。
魔力が勿体ないと私とクリスティナ、そして砦の騎士たちの治療を真っ先にするように指示をした。
分厚く巻かれた包帯の下はまだ血に濡れている。
主はあの戦いは自分のためだという。
でも知ってる。
さっき話していたようにラゼリア様のためでもあったのだろうけど……私のためでもあったのだと。
「――――、――――」
主の吐息の音だけが聞こえる。
主……。
傷ついた右手をそっと握る。
主は邪竜が私の母の仇に似ていると知っても、私の意思を尊重してくれた。
仇に似た相手を前に立ち止まる足手纏いな私も最後まで信じてくれた。
主の髪を撫でる。
艷やかな白い髪。
私より指通りのいい髪。
主、守るべきだった主はいつの間にか私よりずっと先にいっていた。
でも今回主と同じ魔法を使えて少しは追いつけたと思ったのに。
やっぱり主は……強い。
体だけでなく心すらも。
「主……好き」
思わず呟いてしまった言葉は本心だった。
私は膝の上で寝息を立て
「……ああ、知ってる」
もうっ、主は寝てたんじゃないの?
私は熱くなる頬が風で冷やされるのを心地よく感じていた。
いつも遅くなりすみません。
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