第百四話 竜の猛りは月には届かない


「まだ死なないのか。……しぶといな」


 ヴァニタスは冷静に思考を巡らせながらも何処か苦い表情でその様子を眺めていた。


 ハベルメシアの魔法緑に輝く流星が胴体に直撃した月食竜エクリプスドラゴンだったが、横転し激痛からわめき散らすことはあっても命がついえるまでには至っていない。


 岩盤のような竜鱗は砕け、皮膚は赤熱し、焼け焦げた肉の臭いが周囲に立ち込める。

 耳をつく絶叫が周囲に響き渡った。


 魔法流星自体は有効な攻撃だったのは確実。

 だが……それだけで終わってしまっている。


 決着はまだついていない。


ハベルメシアの魔法流星で倒し切れない。アイツ……どこまで耐久力があるんだ。僕は魔法で誤魔化せるとして、ヒルデガルドの体力は限界に近い。そろそろ決着をつけるべきだが……)


 ヴァニタスの懸念けねん通りヒルデガルドの体力はすでに限界だった。


 一撃でも喰らえばすぐさま致命傷となっておかしくない攻撃を避けつつ、慣れない掌握魔法で膨大な魔力を操作する。

 彼女がいま立っているのは意志の力であり、とうの昔に限界を超えている。


「フッ、フゥッ、ハァッ」

(呼吸が荒い。それに度重なる強握マイティグラップの使用で右手はもうボロボロだ。これ以上戦いが長引けば……何処かで集中力が切れ致命的なミスを犯す)


 ヴァニタスが己の身を度外視しヒルデガルドの心配をしている最中さなか、月食竜の首元に百足ごと張り付いていたはずのモーリッツは、ハベルメシアの魔法流星によって発生した爆発により地面へと激しく叩きつけられていた。


「がッ……つうぅ……いってぇな」

(何だったんだいまの魔法? は。魔法……だよな。緑色の何かが光ったと思ったらエクリプスドラゴンの腹で爆発しやがった。あれはヴァニタスでも、小娘でもない。新手、だと!? どこにいるかすら、姿形すらわからなかったぞ。クソ、もうなにがなんだかわからねぇ。一体何がどうなってやがるんだ!?)


 攻撃の方向こそモーリッツにも辛うじてわかった。

 だがあれが一人のハーフエルフによる超絶なる魔法の結果だとまでは流石の彼でも推察出来なかった。


 モーリッツは魔力で生成した百足で激突の衝撃を和らげてなお全身に走る痛みの中、これまでの行動について考えていた。


(……関わるべきじゃなかった。エクリプスドラゴンは確かにオレたちで捉えられるほど、首輪を嵌められるほど弱っていた。だが、あれはあの災害魔物は弱体化しているからって、たかが数人でどうにかなる相手じゃねぇ。それをヴァニタスと小娘は完全に翻弄していやがるだと? 何故オレは……あんなヤツらを簡単に排除出来るなんて思っちまったんだ)


 ヴァニタスたちの実力を甘く見積もったことを後悔するモーリッツ。

 彼の言葉通り月食竜エクリプスドラゴンは弱っていた。


 彼らが封印を解いた時、月食竜エクリプスドラゴンの取った行動は封印を解いた彼らに襲いかかるのではなく、ひたすら大地を貪り自身の回復を促すことだった。


 月食竜エクリプスドラゴンを封じていた『封緘ふうかん』魔法はその当時の時ごと封じ込めるかの如く、いにしえの姿のまま月食竜エクリプスドラゴンをこの地に縫い止めていた。

 故に回復のために真っ先に大地を喰らう必要があった。

 モーリッツたちはその隙をついて特別製の従魔の首輪を嵌めたのである。


 いま月食竜エクリプスドラゴンは弱体化したままとはいえ、隙を晒していないにも関わらずたった数人に追い詰められていた。

 命を脅かすほどの危機。


 そして、その姿を一番間近で目撃することになったモーリッツが結論づけたのは……諦めることだった。


 いまさら遅いとは言えない。

 彼同様ヴァニタスたちがこれほどの実力を持っていると見抜ける者は少ない。

 だからこの行動も納得のいくものだった。


 第一目標を諦め、すべてを破壊し尽くすことに目標を変更シフトしても何らおかしくはなかった。


「――――もういい。もう構わねえ。……首領しゅりょうにはこいつを持ち帰れと命令を受けたが知ったことじゃねぇ! ……やれ! エクリプスドラゴン! ――――首輪を外せ!」

「む……」


 首輪は枷だ。

 ある意味で強大な力を持つ月食竜エクリプスドラゴンを押さえ込める唯一のもの。


 モーリッツはそれを外せと命令した。


 負傷し地に横たわっていた月食竜エクリプスドラゴンが立ち上がると全身に力を入れる。

 それだけで彼を支配する首輪は粉々に砕け散った。


 鈍い輝きを湛えた無機質な銀の瞳に生気が戻る。

 封じられた意識が表層に現れた。


「ガアアァーーーーーーーーッ!!!!」


 それは解き放たれし歓喜の叫び。


 そして、おもむろ月食竜エクリプスドラゴンは動き出す。


 竜と人、最後の決戦が始まる。






 先手を打ったのは月食竜エクリプスドラゴン


 彼の思考はシンプルだ。

 まず脅威を払い自分を利用し操った者を殺す。


 脅威とは何か。

 何処かから飛来した爆撃流星


 月食竜エクリプスドラゴンは見た。

 数キロ先、高台に自分に匹敵する、あるいは上回る脅威がいる。

 周りで飛び回る二匹の羽虫よりアレを優先すべき。


 アレを野放しにしたら危険だ。


 故に――――。


「ッ!? ヒルデガルド! ハベルメシアだ! ヤツはハベルメシアを狙うつもりだ!」

「!? うん!」


 だが二人がハベルメシアを狙う月食竜エクリプスドラゴンの行動をみすみす見逃す訳がない。

 咄嗟に妨害すべく射線を遮るように動き出す。


 しかし、月食竜エクリプスドラゴンは前足を可動域限界まで高く振り上げる。


 これまでとは異なる行動。


 ヴァニタスは全身の毛が逆立つような感覚を覚えていた。

 強烈な危機感。


「ガッ!」

(下かっ!)


 大地震グランドクエイク

 前足の振り下ろした先、大地が激しく振動し、引き裂かれ隆起する。

 

「うっ」「ぐっ……」


 その規模、月食竜エクリプスドラゴンの半径約一キロメートル全域。

 平坦な踏み荒らされた荒野が、一瞬で谷と山が存在する無数の鋭い突起を備えた地面凶器へと様変わりする。


「――――ガァッ!!」


 溜めチャージの少ない小規模な吐息ブレス

 向かう先は当然のようにハベルメシアが潜伏する高台。


「させるかっ! 双握ダブルグラップ――――極握砲撃波フルインパクト・バスター


 体勢の整っていない砲撃は吐息ブレスの方向を僅かに逸らすことこそ出来たものの、その威力は死んでいない。

 

 逸れた吐息ブレスは高台の真横に当たると、爆音を鳴り響かせその大部分を容易く吹き飛ばす。


「ハハッ! 見ろ! これが、これがエクリプスドラゴンの本当の実力……これで全部終わりだ! お前たちは終わりだ!」


 遠くでモーリッツが喝采かっさいでもあげるかのように月食竜エクリプスドラゴンを称賛する姿をヴァニタスは無視した。


 それどころではない。

 首輪から解放された途端、負傷を忘れたかのように活発に動く月食竜エクリプスドラゴン

 いや、手負いだからこそ、ヴァニタスたちを危険視するからこその行動なのだが、彼にもそれを推察する時間と余裕はなかった。


(ハベルメシア……遠目だが咄嗟に防御の魔法アースウォールを発動したように見えた。無事……だよな。……必ず無事でいろよ)


 嫌な想像を振り払い、高低差から危険を増した足場をヴァニタスは駆ける。

 見ればヒルデガルドも同様に急激に変化した足場に苦戦しながらも、月食竜エクリプスドラゴンに向かい距離を詰めていた。


 二人の思考は同じ。

 ヤツを自由にすれば何もかもを失う。


 月食竜エクリプスドラゴンは劣勢からでも盤面を容易くひっくり返せるほどの実力を有していた。


「グウゥッ」


 近づくヴァニタスたちに月食竜エクリプスドラゴンは巨体を縮めるように力を篭めると、岩盤の如き厚い竜鱗を逆立たせる。


「ガッ!」


 岩の竜鱗、その先端が周囲一帯に砲弾のように飛び散る。


泥硬連打でいこうれんだ! うっ、硬い」

「ヒルデガルドっ……く……」

(数が……多い。それに一発一発が重い。しかも鱗自体の数は減っていない。次から次へと補充されている)


 それでも弾幕を越え月食竜エクリプスドラゴンに接近する二人。


「ガアアアッ!!」

(身をよじって何を……)


 ヴァニタスが月食竜エクリプスドラゴンの不可解な行動に疑問を抱く。

 それもそうだ。

 月食竜エクリプスドラゴンは身をひるがえしヴァニタスたちに背を見せていた。


「主、アレ! 尾が!」


 巨大な何かが物凄い勢いで地面を削り土煙を上げながら迫ってくる。

 鎖付き連接棍フレイルのような太い棘が無数に生えた尾が、壁のように視界いっぱいを埋め尽くす。


(範囲が広すぎる。躱せない)


 迎撃のためにヴァニタスとヒルデガルドが構える。

 だが……。


「ん……ぇ!?」


 ヒルデガルドが突然力を失ったかのように片膝をつく。


(限界!? こんな時に!)


 ヴァニタスが迫る尾から逃げるために彼女を抱き上げた。


グラップ――――」


 片手での集束。

 この魔力量では防げない。

 それでも……ヒルデガルドだけは。


 ヴァニタスが自らが傷つく覚悟を決めつつあるその時、再び流星は空に輝いた。


「ガアアアッ!?」

「もう一発、だと? ……ハベルメシア、あいつ……無茶なことを……」


 二発目の超長距離狙撃魔法。


 一発ですら至難の業を二発。

 超絶なる魔法を行使するハベルメシアの負担は如何なるものか。


 事実彼女は高台の頂上で超難度の魔法の連続行使に、負荷が許容量を越え倒れていた。

 後のことを仲間ヴァニタスとヒルデガルドに託し、荒い息を吐きながら、爆発に苦しみのたうつ月食竜エクリプスドラゴンを眺める。


 ヴァニタスは見た。

 ハベルメシアの献身を。


 だからこそ切り札を切る。

 彼女にとって相応しい主であるために。


 まだモーリッツ次なる脅威が控えていると知っていても構うものか。


 負けられない。

 彼女の想いに答えなければ。


 抱き抱えるヒルデガルドが頷いた。

 彼女も同じだった。

 ハベルメシアの言葉ない援護に助けられ、励まされていた。


 失った気力が胸の内からこみ上げ、力無い体を動かす。


「落ち、ろ! 強握マイティグラップ――――奈落大泥沼ならくおおどろぬま!」


 掌握魔法で集束した魔力を利用したヒルデガルドの『泥』魔法。

 月食竜エクリプスドラゴンの四脚ある足の内、前方左足の一本を丸々飲み込む巨大な泥沼。


 巨体の一部が沼にとらわれ動きが制限される。

 翼のない地竜月食竜がこの拘束から抜け出すのには時間がかかる。


重握レイヤーグラップ


 そのかんにヴァニタスは準備を整えていた。

 両手を組み合わせるようにして大気中から魔力を集める。


 そして――――そのすべてを右腕に集中させる。


 この魔法はリスクのある魔法だ。

 極握撃フルインパクト以上の威力を秘めた魔法。

 しかし、高密度に圧縮された膨大な魔力は、ヴァニタスの制御力を遥かに越えており、魔力を一点に集中させた右腕は酷い損傷を負うことになる。


(構わない。こいつを黙らせられるなら)


 相手に致命傷を与えるにはどうしたらいいか。

 つまるところいまから放つ魔法はそこを追求した結果でもある。


 あくまで外部から衝撃を与えることの多いヴァニタスの魔法。

 しかし、この魔法は敵の内側に集束した膨大な魔力を浸透させ炸裂される。

 殺傷性を突き詰めた破滅と崩壊の魔法は、取り返しのつかない破壊を彼の敵へともたらす。


 奈落の如く濁る沼から抜け出そうと藻掻もが月食竜エクリプスドラゴン

 その銀の瞳に恐怖が浮かぶ。


 月食竜にも理解出来ていた。


 アレをまともに受ければ自分はどうなるかわからないと。


 だが、それでも沼に嵌まる月食竜は逃れることすら叶わない。

 ヴァニタス・リンドブルムに敵対したものとして代償を払う時がきていた。


 ヴァニタスが地面を這うように駆ける。

 月食竜エクリプスドラゴンの真下までくると、竜鱗に包まれた胸を見上げた。


 ここに狙う弱点はある。


 心臓。

 竜の巨体に新鮮な血を供給する機関。

 ヴァニタスはその急所目掛けて魔法を放つ。


 すべてはこの一撃に。


「お前は……ここで終われ。――――凶握撃フェイタルインパクト

「――――――――」


 悲鳴は聞こえなかった。


 月食竜エクリプスドラゴンの心臓を内部から破壊し尽くす一撃。


「ぐあっ! っぅ……」


 自らにすら跳ね返る威力の魔法に、ヴァニタスの右腕が崩壊するように傷つき、大量の血が流れ落ちる。


 だが驚いたことにまだ月食竜エクリプスドラゴンは動いた。

 心臓を破壊され、呼吸すらままならず、全身が崩れ去ろうと、最後の命の煌めきが彼を衝き動かす。


 眼下のヴァニタスを噛み砕こうとアギトを開く。


「くっ……――――後は頼んだぞ、ヒルデガルド!」

「うん、主! 強握マイティグラップ!」


 しかし、ヴァニタスたちの攻撃はまだ終わっていない。

 主役はヴァニタスからヒルデガルドへと移る。

 彼女は最後の駄目押しのための魔法を用意していた。


 とはいえこれは月食竜エクリプスドラゴンの最後の足掻きを予想していたからではない。

 ただヴァニタスもヒルデガルドも、最後は彼女であり自分ヒルデガルドが決めるものだと疑っていなかった。


 ヒルデガルドは月食竜エクリプスドラゴンの眼前に跳躍し、最後の魔法を放つべく構えた。


 だが……そこに視界を遮るようにして乱入する者がいた。


「ヴァニタス! 大したもんだよ、お前は! エクリプスドラゴンの心臓を破壊するなんてな! だがな、まだだ! まだ終わらせるかよ! ――――鋼殻大百足球体!」


 気配を消し、機を伺っていたモーリッツ。

 ヒルデガルドと月食竜エクリプスドラゴンの間に彼は強引に割り込む。


 だが彼は一歩も二歩も遅い。


 何故魔法の反動で血を流し、動きを止めるヴァニタスを狙わないのか。

 何故もっと早く乱入し共に戦わなかったのか。


 彼は恐れていただけだ。

 縋りたかっただけだ。


 月食竜エクリプスドラゴンならヴァニタス狂人だろうと倒してくれると信じたかっただけだ。


 だから、心の拠り所にしていたものがもう終わりつつあるということが明白なのに、諦めきれずにそれを必死に守ろうとする。


 彼はそれが最早何の意味もない行動だと理解出来ていない。


「小娘を殺して、次はお前だ! ――――紙切大百足進軍!」


 宙空を走る刃のような顎持つ百足をヒルデガルドはまったくもって顧みなかった。

 彼女の目標はその先、五月蝿くさえずる男と蟲など眼中にない。


「関係、ない! 貫く――――泥螺瞑目でいらめいもく!!」


 それはさながら一本の渦巻く槍だった。

 泥にまみれた槍。


 だがそのヒルデガルド泥の槍は決して折れることはない。


「――――は? ああっ、ああっ!?」


 重なり合う蟲ごと障害物モーリッツの右腕を吹き飛ばし、ヒルデガルドは邪竜の右目へと到達すると――――最後の止めを与えた。


「グアアアアアアアアアアッ!!」


 絶命の叫び。


 月に憧れた竜は地に伏し二度と起き上がることはない。











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