第七十二話 完全なる敗北と盤外の人物
「う……」
「あ、起きたか」
「レク……トール?」
「ああ、ここは学園の医務室だ。おい、まだ動くなよ。回復魔法で傷は治して貰ったけど、魔力もほとんど使い切ってたし、体へのダメージも深刻だったんだ。……お前血だらけだったんだぞ」
「え……?」
……血だらけ?
痛く、ない。
でも学園の制服だったのが生地の薄い簡易的な服へと変わっていた。
「短期間だけど
起き上がろうとしていた俺をレクトールが押し留める。
真っ白い天井を眺めながら徐々に現実感が襲ってきていた。
「俺は……負けたんだな」
「ああ。だが命があっただけマシだ。クロード先生から聞いた通りだった。ヴァニタスは……殺す覚悟が出来ていた。多分殺される覚悟も」
「……うん。それは戦って実感したよ」
殺意に裏打ちされた魔法の数々。
ヴァニタスくんは本気だった。
本気で俺を殺す気だった。
……同時に自分が殺されることも覚悟していたように思う。
冷徹に物事を見通す瞳をいまでも思い出せる。
何もかも飲み込むような漆黒の瞳は……冷たかった。
対して俺はどうだったか。
甘かった。
何もかも。
真剣勝負だと言われるがままにただ刃引きのしていない武器を持っていっただけだ。
それで相手を傷つける覚悟は出来ていても、殺す覚悟なんて……定まっていなかった。
殺される覚悟も。
ヴァニタスくんの攻勢に一度だって反撃に出ることは出来なかった。
挙げ句クロード先生に助けられなければ降参することだって……。
何も……出来なかった。
失意の中、しかし、それを遮るかのようにコンコンと医務室の扉が鳴る。
返事をする前に入って来たのは――――。
「少しいいか?」
「っ!? ヴァニタス……さん」
「レクトール、敬語はいいと言ったぞ」
「な、何の用だ」
すたすたと気負いすることもなく歩いてきたのは先程の決闘の勝者ヴァニタスくん。
……体が少し震える。
いまの彼には決闘で浴びた強烈な殺意こそないが体が覚えていた。
あの恐怖を。
彼は背後にイルザさんを引き連れこちらに歩いてくる。
クリスティナさんは……いない。
他の二人の奴隷の人たちも。
「それで? 何の用なんだ? 決闘にはヴァニタス……アンタが勝った。アンヘルは退学になる。……もうここに用はないだろ?」
レクトールは口調こそ横柄に聞こえたが、そこに籠められた感情は諦めが一番近いように感じた。
「何、少し気まぐれに様子を見に来ただけだ。これで主人公面、お前と会うのも最後だと思ってな。別に挨拶をする必要も感じなかったが…………傷は治ったようだな」
「う、うん」
「遠目からでもかなり酷い傷でしたけど、やはり魔法学園に常駐する回復魔法の使い手は優秀ですね。見たところ何処も不自由していないようですし」
そう言ってじっと観察するように体を見詰めてくるイルザさん。
「ぅ…………」
この服、簡易的な服だからところどころ薄いんだよな……。
気恥ずかしさからつい隠すように身動ぎしてしまう。
「……イルザ、もういいだろ? 帰るぞ」
「はい。怪我の具合も確かめましたしね」
え……本当に気まぐれに来ただけなの?
てっきりもうこれ以上付き纏うなと警告でもされるのかと……。
しかし、ヴァニタスくんは本当に入ってきた医務室の扉へと歩みを進めてしまう。
俺はその背中を見て――――。
「ヴァ、ヴァニタスくん!」
「……何だ?」
うっ……振り返った視線が刺さる。
決闘の時の恐怖が
でも。
「その……申し訳ありませんでした」
「おい、無理すんな。お前はまだ体が――――」
「でも、ここで謝らないともうヴァニタスくんには会えないと思って……」
僕は
決闘に負けた身で、もうヴァニタスくんは関わりたくもないだろうけど、それでも……。
もうここしか、この時しかないと思って。
「クリスティナさんにも……ヴァニタスくんさえ良ければ伝えて貰えれば、アンヘルが謝っていたと――――」
「はぁ…………馬鹿が」
「えっ……?」
謝罪の言葉を口にした瞬間、ヴァニタスくんは呆れたように溜め息を吐く。
それはあの決闘の最後に見た何処か残念そうな瞳で……失望の眼差しだった。
「主人公面、何故お前は謝る」
「それは……二人に失礼なことをした、から」
「失礼、か……何がだ?」
「何がって……二人の絆に何も知らずに横から入っていって……」
「それは謝る必要があるのか?」
「…………え?」
「お前の気持ちはその程度だったのかと聞いている。簡単に覆せてしまうものなのか? 謝って納まってしまうものなのか? お前のクリスティナを想う気持ちは」
「あっ……」
「僕からクリスティナを奪うならすべてを賭けろ。
「…………う、あ」
「何故、泣く? ……泣いて後悔するくらいなら初めから僕を殺す気で来れば良かったものを。そうすれば僕ももっと苦戦していても可笑しくなかった。はぁ……つい余計なことを口走った。忘れろ」
クリスティナさんに惹かれたのは本心だった。
一目見た時にその凛々しさに憧れた。
美しかった。
ヴァニタスくんを献身的に癒そうとする姿に彼女の本質を見た気がした。
彼女の側に居たいと願った。
側に居て欲しいとも。
なのに。
それなのに俺は……。
「うあぁ……あぁっあぁ…………」
初めから負けていたんだ。
大粒の涙が止め処なく溢れる。
完敗だった。
実力でも心でも。
同じクリスティナさんに惹かれた者として完全に負けていたんだ。
「……では僕たちはこれで失礼する。じゃあな」
簡素な別れの挨拶。
俺にはもうヴァニタスくんを止める理由はなかった。
しかし……。
「む……」
「え?」
バタンと医務室の扉が音をたて開く。
イルザさんを伴い扉に向かっていたヴァニタスくんの前に立ち塞がる誰か。
アレは。
あの人は。
この魔法学園に編入するようにと見送ってくれた……。
「アンヘル〜〜! 遊びに来たよ〜〜!!」
「し、師匠?」
つ、疲れた。
ここからまだ色々あるのに……。
遅くなってすみません。
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