第五十一話 麗しき三輪の花を優しく手折る


 小さく華奢きゃしゃな体をさらにちぢこませ、僕に向けて謝罪するように拒絶を絞り出したラパーナ。

 ヒルデガルドが首輪の交換を了承する姿を横目で眺めていた彼女は僕の反応に怯えていた。


 しかし、僕は彼女を安心させるように笑いかける。


「フ、なんだ怒られるとでも思ったのか?」

「え?」

「我が侭になれと言ったのは僕だぞ。君がまだだと言うなら僕は待つさ。寧ろ自分の意思を示してくれたことが僕は嬉しい。いまのは君の心からの声だろうからね」

「ご主人、様……」

「だが覚えておいてくれ。君を手放すつもりがないのは本心だと。クリスティナやヒルデガルドと君は違う。だが価値が劣っている訳ではないんだ。ラパーナ、君は一人しかいないんだ。――――僕は君が欲しい」

「ううっ……」

「奴隷から解放され、もう一度奴隷になれだなんてこくに感じるだろう。だが必要なんだ。この真紅の首輪は僕と君を繋ぐ架け橋。互いを縛り繋げる。この首輪が僕たちが繋がっている証なんだ。それが粗末そまつなままなことを僕は許せない。だから……君の決意を待つ」

「はい……その時は……」


 見上げるラパーナの潤んだ瞳と目が合う。

 ラパーナの表情も力づくではないとわかると幾分か和らいでいた。


 さて、そろそろクリスティナも再起動したかな。

 視線を自身の首輪を撫でるラパーナからクリスティナに移せば、彼女はいまだに呆けたままだった。


 僕は彼女の前に真っ直ぐに立つ。

 動揺したまま揺れる澄んだ水色の瞳を覗き込み問うた。


「クリスティナ、返事はどうだ?」

「……本当に貴方様に……はないのですね」

「そうだ。僕は我が侭で、理不尽で、気まぐれで、自分勝手なんだ」

「…………ラパーナには待つと言ったのに……」

「ああ、でも君にはもう待たない。待ちたくない」

「!?」

「クリスティナ」

「……はい」

「僕の奴隷となれ。真の意味での奴隷に」


 それは傲岸不遜ごうがんふそんな宣言。

 一人の気高き女性を我が物としようとする許されざる蛮行。


 だけど、僕は欲しいんだ。


「クリスティナ、君のすべてを僕にくれ」

「…………はい。私もヴァニタス様のお側にいたい。共に同じ道を……」






「じゃあまずはヒルデガルドからだね。クリスティナ大トリは最後と決まってるからねぇ……」


 ねっとりとした視線でクリスティナに流し目を送るシュカ。


 まったく、そう脅してやるな。

 クリスティナが伏せた顔を耳まで真っ赤にして震えてるじゃないか。


「さ、ヴァニタス坊っちゃん、アンタの血と魔力を頂戴しようか。それで契約を解除するよ。ヒルデガルドはこっちだ。アタシの左手側に立っておくれ」


 シュカは新しい首輪に夢中だったヒルデガルドを呼び寄せ、僕の対面に立たせる。


「む、ちょっとヒルデガルドにはしゃがんで貰った方がいいね。ヴァニタス坊っちゃんは小さいから」

「しゃがむ! こう?」

「ああ、それでいいよ。素直でいい子だね、ヒルデガルドは。……じゃあヴァニタス坊っちゃん」


 僕は次の工程を促すシュカの言葉に一つ頷くと、腰に下げた短剣の刃で指先を切り裂いた。

 鋭い微かな痛み。

 珠のように膨れた血液が指先を伝い、床へとひたひたと零れ落ちていく。


「血のついた指で魔力を籠めてヒルデガルドの首輪に触れるんだ。そこからはアタシの出番だね」

「ヒルデガルド、いいな?」

「……うん」

「では、ここに両者に結ばれた主従の契約を解除する――――契約解除コントラクト・キャンセレイション


 仄かな発光。

 それは微かな温かみのある橙色にも見えた。


 カランと床に何かが落ちる音がする。


 黒色の首輪。

 さっきまでヒルデガルドと僕とを結びつけていたはずの主と奴隷の証。


「…………」


 眼下に転がったそれに一抹の寂しさを覚える。

 だが、違った。


 ヒルデガルドは僕を真っ直ぐに見詰めていた。

 そこに先程までとの違いなど欠片も存在しなかった。

 首輪がなくとも僕たちは結ばれていた。

 信頼という鎖に。


 シュカに促される前に真紅の首輪を手に取る。

 僕の手は血に濡れている。

 それでも構うものかと首輪を掴んでいた。


「主、お願い」


 ひざまづき首を差し出すヒルデガルド。

 柔らかな髪を避け、彼女のたおやかな首に真紅の首輪を嵌める。


「ヒルデガルド」

「主」


 見上げた彼女と視線が結ばれる。

 言葉など要らなかった。


「――――隷属契約スレイバリーコントラクト


 シュカの厳かな声が室内に響き渡る。

 それだけで僕たちは再び主と奴隷になった。

 しかし、以前の僕たちとは違う。


 信頼の上につむがれた主と奴隷の絆は、前までより遥かに強固に繋がれていた。


「主、首輪、綺麗?」

「ああ、よく似合っているよ。綺麗だ」


 場を包んでいた緊張を新たな首輪にはしゃぐヒルデガルドが和らげていく。

 真紅に輝く首輪は彼女の天真爛漫な美しさを一層際立たせていた。


 ……さあ次だ。


「クリスティナ、覚悟はいいか?」


 僕は無言でヒルデガルドとのやり取りを見守っていたクリスティナを見る。

     

「その……主様……」

「どうした、クリスティナ?」

「手を……握っていただけませんか?」

「ああ……わかった」


 おずおずと差し出してきたクリスティナの手を握る。


 ハーソムニアの街に繰り出す時には結べなかった手。

 細く張りがありながらもところどころに剣ダコの目立つ努力の詰まった手。


 僕はそっとその手を包みこんだ。


「クリスティナ」

「はい、いまこそあの時の答えを。ヴァニタス様、『私のすべてを貴方様に委ねます』」


 血に濡れた指で彼女の真紅の首輪に触れる。

 温かかった。

 まるで彼女の熱が僕へと伝わっているかのように。


「――――契約変更コントラクト・チェンジ






「…………」

「どうしたクリスティナ。どこか首輪に違和感があるか?」

「い、いえ! ただ……」

「ただ?」

「これで私は主様のものになってしまったんだな、と」


 クリスティナの首輪を撫でる手付きは優しかった。

 愛おしいものに触れるかのように繊細だった。


「ああ、これでクリスティナのすべては僕のものになった」

「……はい」

「ありがとうクリスティナ」

「え?」

「僕を受け入れてくれて。こんな僕の側にいる決断をしてくれて。僕は――――」

「主様……その先は言わないで下さい。私は主様と共に歩みたいと願いました。たとえ貴方様の歩く道が茨の道だとわかっていても、私も一緒に歩きたいと願ってしまった」

「…………」

「私は貴方に出会えて良かった。だから……何も言わないで」


 真剣なクリスティナの瞳に僕はただ押し黙ることしか出来なかった。

 でもそれで良かったんだ。

 気持ちが伝われば、心が伝わればそれでいい。

 それだけでいい。


 しかし……。


「それはそれとして今日は三人共僕の寝室を訪れるように。いいな。三人共ハーソムニアで買ったネグリジェを着てくるんだぞ」

「え……? あ、三人共、ですか!?」

「…………え? わたし、も?」


 クリスティナとラパーナが驚きに目を点にしている。

 何故だ?

 ラパーナはともかく、クリスティナは特にそのために契約を変更したとわかっているだろうに。


「主、部屋? 行く!」

「なんで、わたし……首輪変わってないのに……」

「そ、そんなすぐのすぐなんて……物事には順序が……せ、性急過ぎます!!」


 三者三様の反応を見せてくれる奴隷三人娘。

 僕はそんな彼女たちに努めて冷静に告げた。


「異論は認めないぞ。今日の夜を楽しみにしている」






 そうして時は経ち暗闇の支配する時間。

 僕の部屋には明かりを灯す魔導具マジックアイテムの光だけが揺らめいていた。


 静かな室内にノックの音だけが響き渡る。


「よく来てくれたな。寒くなかったか? さあ、三人共、こちらに。ん? ああ、ラパーナは見学だ。部屋の隅で控えているように」


 僕は子供に手を出すつもりはないが、見学くらいはいいだろう?

 露骨にホッとした顔を浮かべるラパーナを寝室の隅に座らせ、直立不動のクリスティナと緊張とは無縁のヒルデガルド、二人をベッドへと手招きする。


 そうして僕たちは――――。


「………………」


「あ……え、そんな!」


「………………」


「え? あ? そんなこと……まで?」


「………………」


「あわわわ」


「………」


「あわあわあわ」


「…………」


「あ、あ……あ……」






「ヴァニタス・リンドブルム。朝から申し訳ないのですけど、少し魔法学園についてお話が――――ハア??? な、なんて格好してますの!? は、早く服を着てくださいまし!」

「何故、急に扉を開ける? ここは僕の寝室だぞ?」

「だって、だって貴方のメイドが通すんですもの! 『婚約者ならまあいいですか』ってそういうことなんですのーー!!」

「まったく……朝から騒々しい、な……二人共」

「………………はい」

「マユレリカ、元気!」


 主と奴隷、関係は変わらずとも僕たちは新たな絆を得た。


 それがなによりも嬉しかった。


「クリスティナ、ヒルデガルド、ラパーナ。ずっと僕と一緒にいてくれるか?」

「はい……ずっとお側に」

「主、一緒、永遠!」

「…………考えておきます。前向きに」


 ここから先茨の道が待ち受けているとしても僕は歩みを止めることはないだろう。


 信頼する彼女たちと一緒ならば……。











★評価、フォロー、ご感想をいただけると幸いです。


貴方様の応援が執筆の励みになります!


どうかよろしくお願いします!!


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る