第十九話 エルンスト・リンドブルムの豹変


 時は少し遡る。


 エルンスト・リンドブルムはアシュバーン・ダントンという引退したとはいえ帝国の重要人物を領地に招くため、リンドブルム領周辺の領地を管理する貴族たちの協力をつのることにした。

 魔法総省と帝国の高官相手に単独で希望を通すのは難しいと感じたからだ。


 エルンストは当主間に存在する緊急の連絡網を通じて周辺領地の当主に招集をかけた。

 中には都合により出席出来ない者やエルンストの指定した時間に間に合わないため辞退した者もいたが、滅多にかかることのない侯爵家当主の招集。

 貴族たちはあまりに性急な呼び出しに僅かに不穏なものを感じながらも、エルンストの性格を知っているためか概ね足取り軽く招集に応じることとなる。

 

 そう、長年気弱な領主として舐められ続けたエルンストを周辺領地の貴族たちは見下していた。


「アシュバーン・ ダントン? ああ、引退した老人か。確か……変身魔法の使い手らしいがあんな奴が欲しいのか? 戦争経験者らしいが年寄りロートルなどいらんだろう」

「まったくです。珍しく緊急で話があると聞いたから集まったのにそんな訳のわからないことを言い出すとは。話がそれだけなら私は帰らせていただきますよ」

「まあ待て。せっかくエルンストが我々を呼び出したのだ。なにか手土産でもあるのだろう? なにせ侯爵家七家で最も古い家柄だぞ。さぞ我々を驚かせてくれるお宝でもくれるに違いない」


 エルンストは舐められている。


 それを差し引いても貴族たちの態度は酷かった。

 同じ領地を持つ貴族同士、しかし、爵位という目に見える権力差があるのに楯突こうとする失礼な態度。

 これが他の侯爵家なら無礼だとして首を跳ねられていてもおかしくない。


 当然彼らもエルンストだからこそこんな態度を取れる訳だが……今日この日においては間違った対応をした。


さえずるな。貴様らに贈る土産などない」


 エルンストの発した第一声は貴族たちの集まる議場ぎじょうを凍りつかせた。


「ど、どうした、エルンスト。今日はえらく張り切ってるじゃないか。……何か気に障ったか?」

「え、ええ、一体どうしたのです?」

「お、おいおい、我らは共に領地の隣接する仲間同士じゃないか……そんなに怒らなくてもいいだろう」


 エルンストの何時いつにない険しい態度に先程まで調子に乗っていた貴族たちが一斉に取り乱す中、この議場ぎじょう唯一の女性当主が声をあげる。


「エルンスト卿、アシュバーン先生はわたくしも存じておりますが、かの御方はいま皇帝陛下の直轄地にいらっしゃいます。何故なにゆえアシュバーン先生をリンドブルム領へと招かれるのです? 理由を伺っても?」


 リンドブルム侯爵家の領地より北方に位置するアーグマイアー領。

 そこを治める女伯爵セレスレミア・アーグマイアー。


 聡明な彼女だけがアシュバーン・ダントンの恐ろしさに気づいていた。

 故にこそ理由を尋ねる。

 変身魔法によって容易に他人と成り代われる彼をどんな理由で領地へと招くのかを。


「アーグマイアー、理由が必要か?」

「……ええ、でなければわたくしは協力出来ません」


 緊張が辺りを包んだ。

 他の貴族が固唾を呑んで見守る中、エルンストは『はぁ……』と一息溜め息を吐き説明をする。


息子ヴァニタスのためだ」


 理由は端的だった。

 しかし理解するには少々の時間を要した。

 しばらくののち、皆は口々に件の息子ヴァニタスについて話し始める。


「んん、息子ぉ?」

「確かエルンスト殿のところは……」

「ああ、あの悪行三昧の乱暴者か! ヴァニタス・リンドブルム! 我が領地でも帝都の魔法学園でも悪評しか聞かない少年!」

「三人の奴隷の娘たちを魔法学園に連れていった彼ですか……」


 堰を切ったように飛び出すのはヴァニタスをざまに語る口汚く罵る声。

 だがそれはヴァニタス・リンドブルムに対する正当な評価でもある。


 彼が領民含め自らの奴隷相手に理不尽な暴力を振るっていたことは事実だからだ。


 罵る声は止まない。


 しかし、それはこの議場にいる一部の者、その他多くの貴族はすでに感じ取っていた。

 今日のエルンスト・リンドブルムは何処かおかしいと。


「言いたいことは終わったか?」

「は……? は、はい」

「…………」

「いや、その……」

「本題に入ろう。この書類に皆のサインが欲しい」

「これは……拝見いたしますわ」


 エルンストの秘書エリーカの手を通じてセレスレミアに一枚の書類が渡される。


「嘆願書……アシュバーン先生を直轄地から動かすための?」

「ああ、たとえ短期間だとしても私単独の嘆願ではアシュバーン先生を動かすことは敵わないだろう。だからこそ協力を頼みたい」

「だがなあ、名前だけ貸すにしても対価がなければなぁ?」

「そ、そうです。我ら尊き貴族が対価もなしに協力するなどそんな簡単には……」

「ハハハッ、まったくだ。老人一人とはいえ、我らの協力が欲しいなら誠意を見せていただかなくては到底了承は出来ませんなぁ」


 貴族が名前を貸す。

 その意味は大きい。

 何時もと異なるエルンストの態度に萎縮していた貴族たちは再び調子を取り戻していた。


 そんな中エルンストが静かに問う。


「……アーグマイアー、君も同じ意見か?」

「いえ……わたくしはエルンスト卿に協力いたします」

「そうか……やはり君は賢いな」


 そのエルンストの口から溢れた言葉を聞いた時、セレスレミアは自分の判断が間違っていなかったことを悟る。


「フードニック、ラクスル、オバリア。――――少し黙れ」

「なっ……」

「あ……」

「…………」

「いままでは見過ごしてやったが数々の私への無礼な発言。それがどんな意味を持つのか忘れたのか?」

「いや……それは、我らとて……」

「私は貴様たちを問答無用で処罰しても許される立場にあるんだぞ。それに、ここには奇しくも多くの貴族が集まっている。貴様たち三人と私、どちらが間違っているか判定して貰うか? 私は構わんぞ」

「ぐ……ぐ、ぐ…………申し訳、ありませんでした」

「お、お許しを……」

「何故、こんなことに……」


 セレスレミアはエルンストが三人の調子に乗った貴族をやり込める光景を見て戦慄していた。


(あの三人以外にも多く貴族がエルンスト卿を罵り蔑んでいた。だが彼はいまのいままで一つも反論することはなかった。ご子息のこともそう。自らの子供の悪評も甘んじて受け入れていた。寧ろ侯爵家でありながら頭を下げて謝罪することもあった。……しかし、いまはどうだ)


 長い間罵られ蔑まれても反論してこなかったエルンストが遂に牙を剥いた。

 しかも、この場にはエルンストが竜車と呼ばれる馬車よりも高速で移動できる乗り物によって呼び寄せた貴族が多数いた。


(いままで切ってこなかった爵位を盾に立場の違いを思い出させた。ここにはエルンスト卿に集められた多くの貴族がいる。彼らはもうエルンスト卿を軽々に扱うことは出来ない。目の前でこんな光景を見せられたら逆らえる訳がない)


 エルンストの豹変に他の貴族たちは完全に萎縮していた。


(多数の貴族の目がある場所で叱責された彼らは、今後温厚なエルンスト卿を怒らせた貴族として隣接する領地から距離を取られることは間違いない。それに、貴族たちがこの話を持ち帰り自分の領地で噂すれば、彼らの領地の発展は今後見込めなくなる。商人は権力者から目をつけられた土地になど寄り付きはしないのだから)


 エルンストが手を下す必要すらなかった。

 この場で叱責された時点で彼ら三人は貴族として終わっていた。


「い、いままでのことは謝罪いたします。ど、どうかお赦しを……」

「私たちが間違っておりました。爵位を軽んじて大変失礼なことを……申し訳、ございません」

「は、はは、終わった。何故俺は侯爵家になど逆らったのだ……」


 哀れにも許しを懇願こんがんする彼らをエルンストは一瞥いちべつもしなかった。

 それがまたこの光景を見ていた貴族たちを恐怖させる。


 あそこでひざまずこうべを垂れていたのは自分だったかも知れないと。


 こうしてエルンストは多数の貴族の支持を得てアシュバーン・ダントンを領地へと招くことに成功する。

 恐ろしいのは彼がこの一連の出来事をたった数日で行ったことだ。


 気弱だったエルンストは最早別人のように変貌していた。

 抑圧から解放された彼は果断な決断力と実行力を兼ね備えていた。


 そうして、エルンストの劇的な変化は遂に領地の外へと知られることになった。


 世界は怪物エルンストの存在を知った。

 だが、エルンストを変えた人物、もう一人の怪物ヴァニタスに辿り着けるかはまだ誰も知らない。


 

 



 余談だがエルンストの秘書エリーカは彼のワイルドな一面を見て惚れ直したのは言うまでもない。


「はぁ……はぁ……エルンスト様、ヴァニタス様のために怒っていらっしゃる姿も素敵です」










近況ノートにも書きましたが初めてギフトをいただきサポーターになっていただきました。

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