第二話 老執事から見た違和感ある光景


 ユルゲン・ホス。

 リンドブルム侯爵家の執事として長年仕えてきた私はいま非常に悩まされている。


 ヴァニタス坊ちゃま。

 十五歳になったばかりの侯爵家嫡男にして二人の妹君を持つリンドブルム家の後継者候補。


 坊ちゃまは遠馬での遠征先にて深い底なし沼へと落ちてしまった。

 居合わせた奴隷の一人がなんとか坊ちゃまを救出するも意識不明の重体。


 侯爵家お抱え医師のドミニク先生に見てもらうも原因のわからない高熱に三日三晩うなされることとなった。


 その坊ちゃまだがいまは高熱が嘘のように元気を取り戻し、ベッドの上で退屈そうに歴史書を読んでいる。


 当初なにかをお悩みになっている様子だったが『寝ているだけではつまらんな。父上の書庫から本を持ってこい。そうだな。この世界の歴史の本、いや何でもいい。片っ端から持ってこい』と我々にエルンスト様の書庫から大量の本を持ってこさせるよう指示を出した。


 ベッドの脇に山積みにされた書籍の数々。

 驚いたのは坊ちゃまはあれを尋常ではない速度で読む。

 本当に理解できているのかすら不敬にも疑問に思ってしまう速度。


 ……以前の坊ちゃまは勉強などしなかった。

 ご両親に強請って購入した奴隷を侍らせ侯爵家の領地を練り歩く日々。

 表立っては苦情こそこないが、街の代表者からはそれとなくエルンスト様へと報告が上がっていた。


 どうかヴァニタス様の横暴をお止め下さい。


 街中で奴隷の一人が意味もなく蹴られていました……あれではあの娘があまりに不憫です。


 一歩街に繰り出せば坊ちゃまの行動を糾弾する領民の声が私にも聞こえるほど悪評は広まっている。


 魔法学園でも良い噂は流れていないようだ。

 三人の奴隷を従え、侯爵家の権力の元思うがまま、我儘に過ごす貴族の中の……クズ。

 聞くに耐えないが……否定もできないのが辛いところだ。

 仕える身としてはこの身が裂けてもそのようなことは口に出せないが。


 エルンスト様とラヴィニア様が本当にお労しい。

 幼少期のヴァニタス坊ちゃまはそれはもうお優しいお子様だった。

 ラヴィニア様のため花を摘み、花冠を作ってプレゼントしていた光景はいまでも鮮明に思い出せる。

 エルンスト様も二人の微笑ましい姿に日々の疲れさえ忘れ、坊ちゃまを肩車して屋敷へと帰ったほどだ。


 あの事件、いや事故さえなければ坊ちゃまは誰からも後ろ指を刺される存在にはならなかったのに。

 悔やんでも悔やみきれない。

 

 だがそれは別としていまの坊ちゃまはどうだ?

 次々と本を読み進める姿は凛々しく、以前までとは顔つきすら違って見える。

 メイドはもとより私にも丁寧に礼儀正しく接して下さり、言葉遣いもまったく異なる。

 まるで別人に入れ替わってしまったかのよう。


 坊ちゃまに何があったのか?

 あの高熱に魘されご両親の名前をしきりに、呟いていた坊ちゃまに何が起きたのか?


 だが……。


「きゃ!」

「ん、ああ、すまん。つい」


 坊ちゃまがメイドの尻を撫でた。

 ……こういったところは以前までと変わりない。

 本を読まれる片手間にさっと撫でる手付きは熟練のそれ。


「……まさか、無意識なのですか?」


 変わってしまったところと変わりないところ。

 私の胸に巣食う違和感。

 それが解消されるのは遠い日のことではなかった。


 無事快復された坊ちゃまを交えてのお食事の席。


 そこで私はヴァニタス坊ちゃまの真実を知る。

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