何も無い
スギモトトオル
本文
ひたりと。首筋に触れる冷気は、空気を研いで作ったナイフのよう。私の神経をざわつかせ、緊張の糸がぴりぴりと張り詰める。
暗闇。心臓が吸い込まれてしまいそうな、そんな暗闇。
私の足元を、黒猫が音もなくトコトコと過ぎて行き、闇に帰ってゆく。
静寂。
私は、どこへ行くのだろう。
孤独。
私は、何をしたいのだろう。
「にゃあ」
二つの瞳がギラ、と睨み、お前は来ないのか、と問うてくる。
振り返る。
戻る道はない。どこから来たのかも、分からない。
振り返る。
黒猫はもういない。四方は等しく、闇の中。
無、それだけ。
無。
そうだ、闇なんてものは無い。ただ文明が作り出した概念。
何かがあるか、無があるか、だ。空気だってそうじゃないか。黒猫だって。人間だって。
ちょいと、分子の密度が濃い部分と薄い部分が分布しているだけ。それだけの差。
それなら。
それなら、命は?意識は?知性は?
唇に、血が滲んでいた。どこかでいつか、切ったらしい。
血の味は、紅(あか)。
「ふふっ」
陳腐な表現だ。
私は笑った。
わたしは、わらった。
ワタシハ、
ワ、
ワラ、
ワラッ、タ
タタタタタタタタタタハハハハッアハハッハハハハハハハッハハハハアハハハハッハハハ
〈了〉
何も無い スギモトトオル @tall_sgmt
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