第2話 あぬびす

「レイジくーん!もう少しだよー!」


「ハァ…ハァ……はい!」


目的地はこの急勾配の先らしい。

大した荷物も持っていないのに、既に呼吸は荒くなっているし、繰り出す足は重く、ふくらはぎに力が入らない。

港と会場は、距離にすれば、互いに近い位置にある。しかし、その高低差は極端に大きかった。


「キツ…すぎるだろっ…!」


肩で息をしながらフラフラと歩く僕を尻目に、ダンボール箱を抱えた1人のスタッフさんが大股で坂を登っていった。


なんでそんなに軽々と登って行けるんだ。

ここの人たちはいつもこんな坂を登ってるのか?息が上がってないのは慣れているせいなんだろうか。

遠くなっていく背中を見つめながら、ため息をついた。体力には自信があるつもりだったが、坂を登るという行為はどうも、ボールを追いかけるとか、ラケットを振り回すのとは違うらしい。


うん、そっちで進めてもらって構わないから。うん、了解。そう、それだけ置いといて。分かった、それは大丈夫。

飯田さんの叫び声が上から響いてくる。

何人か、スタッフさんが確認や報告を伝えに来ているらしかった。話し相手の声までは聞き取れなかったが、なんとなく、スタッフさん達が飯田さんの能力を信頼しているのを感じた。


今になって、待たせているのをひどく申し訳なく思った僕は、力を振り絞って残りの坂を駆け上がった。

景色が一気に開け、僕の意識は眼前に聳える人工の建造物に釘付けになった。


豊かな緑と海鳥の鳴き声の中に鎮座する鈍色の塊は、見たものに一種独特の神々しさを感じさせるような、異質な存在感を放っていた。


「ようこそ!競命遊戯場、“プレーランドあぬびす”へ!」


前を歩いていった飯田さんが大袈裟に両手を広げ、仁王立ちになって僕の方へと向き直る。


「…職場のことそんな風に紹介するんですね?」


「ツレない反応っ!組織の上層が歓迎って、デスゲームだったら盛り上がるとこだよ?」


「従業員相手にやってどうするんですか!?」


苦笑しつつも、こうやって常に、みんなを楽しませることを考えているから飯田さんはこの業界でのし上がってこれたのかもしれないと思った。


飯田さんは一瞬、うむむ、と呻いて、考え込む素振りをしてから、明るい声で言った。


「どんなお客さん相手でも盛り上げてこそプロのエンターテイナーでしょ?」


「絶対今考えただけだ!てかそもそも僕客じゃねぇし!」


僕のツッコミに、飯田さんは妙に嬉しそうな声で応える。


「ふふふ、レイジくんエンジンかかってきたね〜〜〜」


はっとして僕が非礼を謝るより先に、飯田さんが僕の肩をバシッと叩いた。面白くなってきた、とでも言いたげなニンマリ顔をしている。


「よーし、このままお仕事も張り切っていこう!」


銀灰色のドアを威勢よく開けた飯田さんに連れられて、僕は建物の中に入って行った。


僕が案内されたのは何かの収録スタジオのような部屋だった。壁のうちの1面に複数のモニターがかかっており、机やマイクがそれに向かい合うように配置されていた。その横側にあたる壁は一部がガラス張りになっていて、隣の部屋で作業しているヘッドセットを着けたスタッフさんの姿が見える。


「レイジくんにやってもらうのは、GM秘書だよ」


「ジーエム…秘書…ですか?」


聞き慣れない単語に首を傾げる。


「うん。ゲームの進行を担うのがGMなんだけど、GM秘書はGMが円滑に仕事ができるようにサポートするんだ。次のゲームの資料を渡したり、GMが言葉に詰まったら助けてあげたり、休憩前にGMのお茶と軽食を準備したり…あとは、参加者から質問があったときも、GM秘書が対応することがあるね。」


「なるほど…縁の下の力持ちですね」


飯田さんは机の上に置いてあった紙の束を手に取り、僕に差し出した。


「マニュアルと、今回のゲームの資料。この2つはよく読み込んで、頭に入れておいて。あぬびすの地図も印刷しておいたから、全部自由に使っていいよ。」


「うおぉ…デスゲームってこんな感じなんだ」


マニュアルをパラパラとめくってみる。

デスゲームを観客としてすらまともに見たことが無い僕は、初めて得る知識に驚くばかりで、繰り返し目を丸くした。

注意事項が記されたタイムスケジュールの頁でめくる手を止めた。


「参加者にも休憩時間があるなんて思ってもみなかったな…」


「じっくり読んでおきなさい。ああ、あとGMの子とも仲良くね」


そう言って飯田さんは部屋を出ていった。


ドアが閉まると、部屋の中は外部の音から遮断され、それまで聞こえていた足音も、反響していた遠くの話し声も、一切が消えた。

耳がおかしくなったのかと思うほどの、あまりの静けさ。


静かすぎてなんだか落ち着かない。

1、2度椅子に座り直してから、言われたとおりマニュアルに目を通した。


パラリ、と紙をめくる音が響いては、

すぐに壁に吸い込まれ、無音が再び部屋を支配する。


そのうち僕の思考は深い集中の世界に沈みこんで、印刷された情報を脳でなぞる作業に意識の全てを向けていた。


どれくらいの時間が経ったんだろうか。

我を忘れてマニュアルと資料を読んでいた僕は、ドアが開く音で現実世界に引き戻された。


「よろしくお願いしまーす」


挨拶をして部屋に入ってきたのは、僕と同じくらいの年齢に見える女の子だった。


ワンテンポ遅れて僕は椅子から立ち上がり、頭を下げる。


「よろしくお願いします、垣谷怜治です」


「GMの明村羽乃あけむらうのです」


明るいセミロングの髪を耳の後ろにかけ、彼女は明瞭な声で名乗った。そのまま部屋の中を見回して、僕に尋ねてくる。


「秘書さんは…?」


「あ、元々秘書だった方はお子さんが熱出して来れなくなったらしくて、僕がその代わりで、…」


語るうちに露骨に彼女の表情が曇ったので、僕はそれ以上言葉を続けるのをやめた。


「あ〜〜〜〜……………」


彼女は眉間に皺を寄せ、落胆とも苛立ちとも諦めともつかない、とにかく複雑な表情をして暫くその場に立っていたが、目を閉じて、


「代わりの人材雇ってあるだけマシかぁ…」


と小さく呟くと、僕の隣に座った。

まだ表情に苦々しさが残っている。


「レイジくん…だっけ。敬語外してもいいよね?今日はよろしく。」


「よろしくお願いします、明村さん」


「下の名前でいいよ」


「じゃあ羽乃さんで」


羽乃さんは納得したように頷くと、机に向かって静かにため息をついた。

重い空気に耐えかねて僕は口を開く。


「あのー、なんか…僕にできることあれば…」


「あーごめんごめん、変な感じになっちゃって。気にしないで。キミに罪は無いからね。」


爽やかにそう言いきって、何かやってくれるのなら、場所の確認がてらお茶を取ってきて欲しい、と頼んできた。

僕は地図を持って部屋を後にした。

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【大会準備・運営】春のデスゲームアルバイトスタッフ募集……!? 易井どらゴン @DragonYasai

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