覚悟

 大宮駅のホームに滑り込んだ列車から吐き出される人間の集団。僕と彼女もその一部だ。いくつかの塊ごとに降り立った人々は改札に向けてまた一つの大きな塊に昇華していく。僕は友人改札を、彼女は自動改札を通ってコンコースで再び合流する。行く当てもなく歩き、目についた喫茶店に足を踏み入れる。

 夕飯時の喫茶店は人が少なく、僕らはすぐ席に案内される。控えめな音量でジャズが流れる落ち着いた雰囲気の店内に客はまばらにしか居なかった。飲み物と軽食を注文し、無料の水に手を伸ばす。柄にもなく緊張して喉が渇く。

「すみません、急にお誘いしてしまって……」

 水の入ったグラスをそっと置きながら口を開く。

「い、いえ。特に予定は入っていなかったので大丈夫です」

 目の前の可憐な女性もまた、控えめに水を飲み軽く微笑む。きっと、こうして声を掛けられお茶に誘われることに慣れているのだろうな、と思い勝手に少し寂しくなった。

「春哉さん……でしたっけ──はここら辺の方なんですか?」

 どう会話を広げたものか思案していると彼女に先を越されてしまった。初っ端から下の名前で呼ばれるとは思わず、動揺してしまう。

「あ、えっと、僕は西のほうの落窪というところに住んでいて」

「あ、落窪!私の母の実家が落窪にあるんです」

 なんと世界の狭いことか。

「それは奇遇ですね。……架耶さんはここらにお住まいなんですか」

 こちらも少しの覚悟を決めて下の名前で呼んでみる。意外と架耶さんのほうも動揺していた。

「ひゃ、はいっ!東京のほうの大学に通っているんですけど、大学近くは家賃とか物価が高くて……」

 そこで自分がただのフリーター、なんなら今は無職の旅人であるということを思い出す。少し気まずい。

「なるほど……。あ、じゃあ一人暮らしされているんですか?」

「はい、一応。春哉さんはどうして今日この辺りに来られたんですか」

 ついにこの質問が来てしまったか。

 僕は一拍置いて小説を書いていること、自信作が賞に落選してしまったこと、小説に昇華するため旅に出て様々な経験をしようとしていること、などをかいつまんで話した。家出のことは特に話すこともないかと思い端折った。

「──すごい行動力ですね!」

 僕のこの行動は思ったより好意的に受け止められた。

「まあ、どれくらいの経験が積めるんだかって感じではありますけど」

「じゃあ、私との出会いもいつか春哉さんの小説に出てきちゃったりするんですか」

「もしかすると、そうかもしれないですね」

 僕は苦笑いを浮かべる。架耶さんとの出会いが運命的な出会いかもしれない、なんてどう伝えればいいんだ。

「そういえば私、電車の中で春哉さんと目が合ったじゃないですか。あれのずっと前から春哉さんを目で追ってしまっていたんです」

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昇華 音槌和史-おとつちまさふみ- @OtotutiMasamune

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