3-3 新しい朝
翌朝、女官がやってきて、葵に衣服を着させている時間も、まるで、まだ夢でもみているかのように、終始上の空だった。
「それで、昨夜は?」と浅見は聞いた。
「あ、え、そうですね、終始敬語で話されて、生きた心地がしませんでした」と葵。
浅見は扇を開けることもなく、クスりと笑った。
「葵様、敬語はおやめくださいませ」
「そうであった」と葵はやっと笑顔になった。
「皆噂しておろう」と葵は言った。
「私どもも、3位様の噂話をしておりました。10位様の元への右大臣様の久しぶりのお越しに、沐浴までするのかと話あったこともございました。それと一緒でございます。皆、暇なのです」と浅見はにこりと笑った。
「部屋を出づらくなるのう。何を言われるかわからぬ」と葵。
「どっしりと構えればよろしいのです。寵愛を得られたのですから」
「二度目のお渡りがあろうか」と葵。「二度目がなければ、大きく構えたところで恥ずかしきこと。これならば何もない方がよかった。もう、元には戻れぬのだ。朝焼けこれほどに、冷たく思ったことはない」
「私がお支えいたします。どのような苦難が待ち受けましょうとも」
29位様が部屋へとやってきた。
「葵様、このたびはおめでとうございます。実家より菓子が届きましたので、お持ちいたしました」
29位はお菓子の包み紙を渡した。
「葵様?」と浅見は言った。
「これは失礼いたしました。28位様」
「よいのです。どうか葵とお呼びください」と葵は言った。
「それにしても、中宮様の元にはお越しになられず。葵様がご寵愛を受けられるとは。ほんに、私とは違いご幸運の持ち主にございますね」
葵は扇を開けると、笑みを浮かべた。
「一夜限りのほんのお戯れでは」
「まさか、そのような。少しでも気が無ければお渡りなどわざわざいたしませぬ」
「無礼への罰に、私をもてあそんでいるのやもしれませぬ」
「まあ」と浅見が言った。「あれ」と29位様が言った。
「そんなに昨夜は激しかったのでございますか?まるで何かの罰であるかのように?」と29位様は言った。
そ、そういうことでは、と言って葵は顔を赤らめた。29位様は扇を開いてクスリと笑った。
「戯れ言にございます。今後無事お渡りが続けば、きっと手のひらを返しましょう」
そういうと29位は下がっていった。
「手のひらを返すとはどういうことだ」と葵は浅見と赤石に言った。
「噂が立つことは仕方のないことです」と赤石は言った。
「どのような噂だ」と葵。
「いつまで帝のご興味が続くかと、皆出方を考えているのでございます。味方につけるべきは、中宮様か、葵様かと」
「私に中宮様を出し抜こうなどと大それた考えはない」
「人の心など、誰もわらかぬのです。それゆえ皆おそろしがっているのでしょう。ひとたび選択を間違えれば、西丘をお下がりになられた二位尼様の御姉君のようになりかませぬ」と赤石。
「中宮様のお味方をするものこそ正しいと思う。それに私が何を思おうか」
「人は変わります」と赤石は言った。「葵様がもし今後お力を手に入れたとき、当時軽くあしらったものをどう思うか。それは葵様自身にもわからぬことなのです」
葵は不安そうな表情を浮かべた。
「深く考える必要はございませぬ。謙虚さを忘れず、中宮様を敬愛してまいればよいのです。さすれば、あのお方のようには・・・・・・」と赤石は言った。
「まや様、まや様は二位尼様の御姉君のことをよくご存じなのですね」と浅見は言った。
「ええ。私の姉が、二位尼様の御姉君、御台様のおつきでございました」
「御台様?」と葵。
「御台様は、かつて西丘で中宮にまで上り詰められたお方です。当時の帝ともたいそう仲がよろしかったのです。しかしながら、それを恨むものもおりました。策略に乗せられ、髪結に落とされたあげく、無実の罪で西丘追い出されたのです。やっとのことで武蔵にまでたどり着き、武蔵の武家に庇護され、今は御台様とおなりです」
「武蔵の武家?」
「ええ、当時東野にお住まいだった方が、東野を去られたのち、本郷にて家を興され、武力を通した政をおこなっているとのこと。御台様は医者の家系。医術でお支えになられているとのことです。そういえば、こちらは、御台様より送られし、銀杏にございます」
赤石は銀杏を差し出した。「葵様にと思いもって参りました」
「それは嬉しいこと。さっそく夕餉にだしてください」
「承知いたしました」
「おかげで元気になれそうです」と葵は言った。
「そういえば、帝はたびたび二位尼の元に、お渡りとのことでございますが?」と浅見。
「ご挨拶にございましょう。帝も医術にご興味があおりです」と赤石は言った。
「帝は医術にご興味がおありなのか・・・・・・」と葵はつぶやいた。
この日の夜も、帝はお渡りになった。
「お上、嬉しゅうございます」と葵は言った。
「なぜそう震えている」
「おそろしいのです」
「おそろしい?」
「・・・・・・。お上と添い遂げられるかがわからないゆえです」と葵は消え入るような声で言った。
「添い遂げたいのか?」そう言うと帝は優しく笑って葵を見つめた。
「おなごに生まれた以上、愛しき方と添い遂げるは、一生の夢にございます」
帝は葵を抱きしめた。葵も帝の背に手を這わせた。
夜が明けようとしていた。遠くの山際は白くなりはじめ、紫色の細い雲がたなびいていた。
帝は起き上がると、衣服を着始めた。
「二位尼様のもとにたびたびお越しなのはなぜですか」と葵は言った。
「尼様には、大切なものを守っていただいております。そのお礼にまいっているまでです」
「大切なもの?」と葵。
「私が守るべき大切なものです」
立ち上がろうとする帝の裾を葵はつかんだ。帝は座り込むと、葵を抱きしめた。
「それ以上のことはありません。また来ます」と帝は言うと寝所を出て行った。その様子を葵はただじっと見つめていた。
[改訂版]なりきり平安貴族! 夏目海 @alicenatsuho
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