「愛は鎖じゃない」と彼は言った。
猫屋 寝子
***
「他に、こういうコトをする女の子がいるの?」
私の質問に、彼はタバコを右手に答えた。
「いるよ」
当たり前のように答えた彼。私は涙目になるのが分かった。彼は私を特別に扱ってくれているような気がしたのに、それはどうやら勘違いだったらしい。
――彼の特別が別にいるのなら、彼を諦められるのだろうか。
私は諦める理由を探して質問を続ける。
「その子のことが本気で好きだから、私と付き合えないの?」
「いいや。そういうわけじゃない」
彼はそう言うと、困ったように空いている左手で頭を掻く。その仕草すら愛しく思えている私は、彼の深いところで溺れているのかもしれない。
私は安堵のため息を吐いた。彼に特別な存在がいないのなら、まだ救われる。
しかし、彼は残酷な言葉を続けた。
「付き合ったら、いつか別れなくちゃいけないじゃん? だから俺、彼女作らないようにしてるんだよね」
――ああ、やっぱり私は彼の特別になれないのか。
我慢しきれずこぼれた涙。私は慌てて袖口で拭った。重い女だと、嫌われたくない。
彼はその様子に気づくと、タバコを灰皿につけて優しい手付きで頭を撫でてくれる。
「別にさ、キミのことが嫌いなわけじゃないんだよ。一緒にいるときは、可愛いし、優しいし、好きだって思うんだ」
「それじゃあ、どうして――」
私の震えた声を彼が遮る。
「関係に名前をつけてしまえば、それに縛られるでしょ。俺はそれが嫌なんだ。恋人だからとか、友達だからとか、一緒にできる行動を制限されたくない。だから、キミ以外の女の子も一緒」
優しい声色は私を慰めているようで、絶望に突き落とす。彼は優しいけれど、残酷だ。
「それじゃあ、せめて、約束だけでもちょうだい。これからも私の側にいてくれるって」
私は寂しさを和らげるように、彼の胸元へ身を寄せた。彼は慣れた手付きで私を包み込むように抱きしめる。
「ごめん。俺、約束も嫌いなんだ」
なんとなく分かっていた返事に、私は彼のシャツを軽く握る。
「守れるか、分からないから?」
「うーん、ちょっと違うかな」
彼は真剣味を帯びた声でそう言うと、きちんとした解答を私にくれた。
「俺にとって、約束はある種の縛りなんだ。約束したらそれを守らなきゃいけないから。約束を平気で破る奴もいるけど、俺はそんなことしたくない。約束とは信頼関係があって初めて結ばれるものであって、その信頼を裏切りたくないんだ」
その後彼は一息吐くと、私の頭上で小さく笑った。
「女の子に最低なことしてる俺が言っても、説得力ないかもしれないけど」
私はその言葉に思わず小さく笑う。彼は本当に最低な女たらしだ。しかし、それでも嫌いになれない私がいる。
このまま彼の側にいても救われることがないと思った私は、ある決意をし彼から離れた。彼のシャツが涙で濡れ、握っていたところにしわができている。
――もう、彼と会うのはやめよう。これ以上、傷つきたくない。
「私、もうあなたと会うのやめる」
やっとの思いで、彼の目を見ず言った。彼が息を呑む音が聞こえる。
しばらく無言の時間が続いた。それを破ったのは、彼だった。彼が、私を抱き寄せた。
「どうしてそんなこと言うの? さっきの話聞いて、俺のこと、嫌いになった?」
耳元で聞こえる寂しそうな声は、私の心を簡単に揺らがす。
「嫌いになったわけじゃないよ」
「じゃあ、離れないでよ。もう会えなくなるなんて、俺、嫌だよ」
いつになく真剣な声。私は結局、この声から逃れられないのだ。
「……私のこと、好き?」
「もちろん。好きだよ」
――1番ではないけれど。
そんな言葉が後ろに続いたような気がして、気分が沈む。しかし、彼の温もりに包まれていると、そんなことどうでもよくなった。
――彼が私のことを好きなら、それでいいか。
そんな風に思ってしまう私は大概彼に甘い。
私は顔を上げ、彼と目を合わせる。彼の怯えた子犬のような瞳に、私は答えを決めた。
「それなら、私はあなたの側にいる。あなたが本当に好きな人を見つけるまで、もしくはあなたが私のことを嫌いになる日まで。これは約束じゃない。私の決意」
彼の表情が喜びを表すそれに変わる。彼の笑顔は煌めいて見えて、苦しみが和らいだ。この残酷さに、私は惹かれたのかもしれない。
「あなたのこと、愛してるよ」
私はそう言って、彼に口づけをする。それは少しだけ塩味を帯びた味だった。
「愛は鎖じゃない」と彼は言った。 猫屋 寝子 @kotoraneko
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