『雪凪刹那⑤』
緋色坂徒京と神楽鐘雪凪は”緋色坂家”にいた。
そう、愛しの我が家だ。或間町の辺境に位置する──二階建ての一軒家。両親が大金をはたいて買った、自慢の家だ。
もっとも駅からは自転車や自動車を使わなければ行き来にかなりの時間を要するぐらいの立地に建っているし、周りは廃校した旧校舎だったり、お墓だったり、と良い場所とは言えないだろう。
だがそれでも、ここは愛しの我が家である。
僕が生まれて十七年間、愛情をもらいながら育ってきた土地であり、家屋。
ただひたすらに嗅ぎなれたマイホームの香りが鼻をくすぐるかと思えば、モダンな雰囲気を醸し出す白熱電球が音を奏でていたり、慣れた景色が、空気が、漂っていた。
いつもと同じような日常の景色、なのだが。
一つ。違うところがある。
そう。
そんな愛しの我が家で、”
いや、拘束されていた。が正しいニュアンスかもしれないな。
どっちでもいい。取り敢えず、自分の家で拘束されている……その点だけでいえば、異常事態。
なんでだろ、何が起きたんだ、と思うだろう?
奇遇だな、僕もそう思う。
何がおかしいんだ、笑うなよ?
正直に言えば、おかしな所しかない。
前方に見える少女はスヤスヤと目を瞑り、僕のベットで休息を取っている。肝心のコチラは四肢を縄で縛られて、身動きが取れずに床に転げているわけだが。縄、とはいっても縄跳びである。
どこから引っ張り出してきたのか。
大方この部屋にあった、僕のやつだろうが。縄跳びは中学時代に授業でやって以来、そういえば触れてないな。別に運動は好きなわけじゃあないし、いいんだけども。
「どうする、かね」
壁掛け時計を一瞥し、現在が深夜の三時であることを確認した。
あれから、大体五時間後……か。
にしても四肢は縄できつく縛り付けているから、腕や脚は血流が止まり、痺れるどころか感覚を失ってきている。
ああ、くそ。
アイツめ。
気持ちよさそうに僕のベットで寝やがって。
にしても、ああ、なるほどねぇ。床でゴロゴロと転げまわりながら頷いた。
敵というのは、案外身近にいるものらしい。
灯台下暗しというのはこういうことか。クク、僕も成長したものだ。まさか闇の組織に命を狙われるぐらいになってしまうとはな。
ハニートラップ要員に負けてしまう自分もなんと愛らしいことか。
────なんて冗談にならないからやめてくれ。
「おい、ちょっと、辛くなってきたからそろそろ。この縄ほどいてくれないか?」
「すぅ、すぅ」
「あーくそ。早く起きやがれ。単純に辛いんだよ、っていうか縄きつく縛り過ぎ。ガチもうむりぃ、助けて! 助けて誰か!!!!」
「もぉ、なに? うるさいんだけど」
「お前の所為でだと思っている」
コイツはくそ野郎だ。
僕の四肢という四肢を縄で縛り付けて、そして寝ようとしている。暴力行使の獅子王、まさにそれは彼女だった。四肢拘束の獅子王ってか?
あははは。って、笑えねぇよ。
目をこすってツインテールの髪をベットのシーツに垂らす悪魔。
「そろそろ解いてくれと言っている」
「や・だ♡」
「じゃあ死ね。浮遊霊みたいに浮いてればいい」
「ちょっと酷くない?」
「酷いのはお前の方だ、雪凪」
ゆっくりと僕の目の前に立ち上がり、彼女は見下してきた。
「ふふーん、この視点。新鮮」
「そりゃ良かったな、ああ。はやく解放してくれ」
「や・だ♡」
「じゃあ死ね。地縛霊みたいに恨んでればいい」
なんで緋色坂徒京は自宅で監禁されているのか。
それを説明するには、数時間戻ることになる。
◇◇◇
単刀直入に言おう。
僕の鼻からは血が出ていた。
彼女からの予想外の誘い、それを断った代償……というヤツなんだろう。
ノーの返事を返した瞬間。
彼女は「おっけ、じゃあ実力行使でいくね?」
なんて言ってきて、ガチで殴ってきたのだ。
最悪すぎる。横暴すぎる。殴られたのが僕じゃなければ、泣きわめいて、警察に被害届を出していたかもしれない。
邪知暴虐の王──ここに現る。
ツインテールガールはなんとも剣呑な雰囲気を纏って、コチラを狙い続ける。狙い続けるというのは、獲物の”命”を狙うという意味合いだ。
危険。
痛い。
殴られ、蹴られる。
死ぬ。
殺される。
様々な危険信号を飛ばす語句が僕の脳内を行き来している。
「い、いだいなっ。何するんだよ急に」
「え? 私何もしてないよ? ただ、このスーパー可愛いツインテールの美少女の私のお誘いを断った腑抜けモノに、神様が天罰を下しただけじゃない?」
「そんなわけあるかよ」
「なに、私が可愛くないって言うの?」
そういうことじゃねぇ。
なにもかも、全ての会話がすれ違う。
鼻が、というか顔面の全てが滲むように痛い。
口の中もどこかが切れてしまったか。吐血している。口内からは鉄の味のする液体が吹き出して、赤色の
くそう。なんて野郎なんだよマジで。
「そんなことは言ってないし。言っとくが、僕は暴力なんかに屈しないぞ。いでっ! おい、次は脚を蹴るな」
そこには僕の知っている天才少女、
彼女は善良、普通などという概念を通り越して正しく世界の悪だったのだ。人を殴ることに躊躇いなんて見られない。
もういい。暴力少女キャラはかぶってるから、要らないんだよと叫びたい。思いっきり、街中全部に響き渡るぐらいの大きさで。
それに溜息を吐きたい気分なのだが、殴られそうなのでやめておく。
一つ付け足しておこう。
僕は精神年齢の高い紳士少年であり、善人だ。
日本の道徳教育は基本的に正しいと思うし、逆張りもしないし、基本的にはしっかりと守っている。
本音と建前だって理解している。
だから『殴られたら殴り返す』といったやられたらやり返すなんて愚の骨頂のような問題行動は起こさない。
残念だったな、天才少女。
どうやら、僕の方が一枚上手だったようだ!
「おい、待て。どうして僕を殴る、蹴る!」
「そりゃあ家に連れてってくれないからでしょ? 実力行使、君を倒して。私は先に進む」
「僕はゲームの四天王でもないし、ゲームの途中で行く手を阻む悪役じゃねーよ」
「ニシシ」
「ニシシ?」
西新宿? 西氏? にしんそば?
全部ちゃうなぁ、ほな笑い声か。
じゃあ僕は笑われたんか!?
前にも同じことをした気がするなと思いながらも、殴り蹴りを繰り出してくる彼女から適切な距離を取りつつ会話を求める。
飛んでくる攻撃はどれも一級品だ。どれか一発でもモロに食らえば、気絶モノである。にしても前からスポーツ万能とは思っていたが、まさか格闘技にも精通しているとは思わないのだ。開いた口が塞がらない。
どれだけの才能の持ち主なんだコイツは。
僕は狼に体を半分犯されている。
そのため、普通の人間に比べ身体能力もそうだが──五感が変化しているのだ、上昇しているといってもいい。身体能力上昇バフである。
狼らしく、犬の亜種らしく、嗅覚と聴覚は通常の人間に比べて以上に発達しているのだ。もっとも概念的な匂いは読み取れないし、幽霊の足音が聞こえるとか、そんな化け物みたいな力じゃない。
それはいいとして、あくまでも狼の五感を人間に移植した感覚が正しい認識だろう。だから悲しい匂いがします、とかそんなのは僕に出来やしない。
まぁそれはともかく嗅覚と聴覚が発達していることはいいのだが、その代わりとはいってか視覚の能力が低い。
簡単にいって、無条件でちょっとばかし視力が悪くなったのだ。
だから肉弾戦は僕にとって不利でしかなく、負けるトリガーでしかない。
「暴力はやめろ、やめるんだ!」
「やめなーい。だって美少女のお誘いを断るんだもん?」
「この毒女が。今の僕の家には妹がいるからな。夜に女の子を連れてきたら、どんな勘違いされるか分かったもんじゃないんだよ。にしても、お前の性格は最悪なんだな。ああ、分かったとも」
「そんなことないし!」
空気を切る音ともに僕の真横の、空気の壁に拳が着弾した。音速とすらも錯覚する果てしない攻撃に息を切らしつつある自分。これが顔面に当たっていれば骨折していただろう。
変な冷や汗を掻きながらも思考し続ける。
まずいな、このままだと。
出来るならば短期決戦に持ち込むしかない。
作戦を変えよう。
『殴られたら殴り返す』はしないが、拘束させてもらう。
「っくそ、やれるもんならやってみろ。なら僕もお前を倒して、言う事を聞かせてやる」
「ほーん。私と戦う気なんだ?」
「言っとくが、僕は強いぜ。狼だからな。がおー」
ゆっくりとファイティングポーズをとる。拳の先にはしっかりと雪凪が立っている、これならいけるだろう。
格好はまさにプロボクサーだ。
”本気で行くと意気込んで行く”。
とはいっても、今日の夕方やったように狼の力を表に出したり、魂だけではなく、形として出そうとするとかなり疲れるのでやらないけどね。これはあくまでも脅し文句だ。
というか、わざわざ本格的に狼の力を使わなくても、身体能力上昇バフが常時かかっているようなもんだからな。
問題はない。
ま、本気を出したところで力は大して変わらないんだけども。なにせ、狼の化け物の力で体が半分犯されてるとはいっても、その力は本来の能力の残りカスみたいなものなのだから。
「しかも今は月夜だ。知ってるか? 狼男っていうのは、月の出てる夜に覚醒する
んや!」
そう叫びながら、全速力で彼女に突っ込んだ。
僕の
彼女を勢いのまま押し倒して拘束する。
そしてそのまま、抱き合いながら暴力はやめようとカッコよく説得するのだ。流石にいくら、暴力で全てを解決しようとしたりするキチガイ鬼畜ツインテ美少女でも、イケメン紳士の僕に迫られれば大人しくなるはずだ。
この計画は完璧である。
失敗するフューチャーは見えない。
しかし。
「あー、今日は満月じゃないからノーカンかな?」
「あっ!?」
全速力で突っ込んだのだが、彼女は僕よりも早い速度で体を動かす。突進に反応したからか、腰を落として僕の懐に入ったのだ。
そしてがら空きのコチラの顎に、全力のアッパーを投擲してくる。
だがこれは反応出来た。歩みを止めて逆走──、当たる寸前ギリギリで僕は身を引くことで、彼女の拳を回避する。
「よし」
この勝負、貰った。
そう確信したのだが。
「おりゃ」
「ぐえ」
彼女は更なる一撃を持っていたのだ。拳が空振ったことにより発生しなかった、威力の減衰。彼女は止まることを知らないパンチの威力をそのまま、体の軸と共に回して蹴りに流用したのだ。
回し蹴りが飛んでくる。
こればかりはもう、回避の仕様がなかった。
直後、頬で鈍い音が響く。
頬を蹴られた瞬間、激しい衝撃波が脳内をかけめぐった。頭の軸がブレて、焦点がぼんやりと定まらず、泥酔したようにクラクラして夜空を見上げていた。
ああ、月が見える。
これが見事な一発ケーオーだったのだ。
「う……あ……」
そして綺麗な黒と白が混じるパレットに、流れ星が通るのを視た。流れ星には、願い事をするのが筋だろう。
確か、なんだっけか。
流れ星を見つけたら、通り過ぎる前に心の中で『三回願い事をする』と叶うっていう話だったか。由来は知らないがそんな伝えがあるぐらいの常識は、いくらこの僕でも流石に携えている。なんだ、不吉なもんではないし祈っておこうじゃないか。
どうか。
彼女が暴力的でなくなりますように。
キャラが被るから。
そうして、僕の意識は闇に落っこちた。
ああ、体が倒れる感触が最後に伝わってくるのが、死んだって勘違いさせてちょっとばかし恐ろしい。
本当に死んでないといいけど。
それでも頭をぶつけたら、バカになってしまいそうだ。
ああ、元からだったわ。
そして最期の最期に、何かがぶつかった音が鼓膜を伝って聞こえてきた。
”話は冒頭に”。
「ああ、やっとしっかり思い出してきたぞ」
「何を?」
「お前に殴られて気絶させられたことだよ、ボケなす。少しは可哀想だと思わないのか」
「思ったよ、心の中でね」
だが、行動には起こさない。
じゃなきゃ意味がないからだ。つまり、可哀想だと心の中で思うことは別に被害者に対して何の謝罪にもならないし、気休めにもならないし、意味のないことなのである。
「この邪知暴虐の王め」
「殴る身が辛いかね、殴られる身が辛いかね」
「殴られる身の方が辛いわボケ」
ああ、くそう。
体中が痛い。特に言うのなら、頬と後頭部が痛い。……身に覚えのある部位だ。まず、頬は彼女に回し蹴りされたからだろう? で、アッパーされて気絶したときに地面にでも後頭部をぶつけたのだろう?
もうあたしの体はボロボロよ!
これ以上はやめておくれえ!
そう叫びたい。
「これ食べよー」
だが、四肢を拘束されていく自分を差し置いて鬼畜ツインテさんは、スナック菓子を食べ始める。やだなぁ、夜食は太るぜ? というか、それ僕のじゃね? だってここ、僕の部屋だしさ。
おい、待て。
というか、それって僕が食べ盛りの妹に食べさせないで、独りで食べようと画策していた……大切なお菓子じゃないか?
「おい、それは、ダメだ。やめろ、やめてくれぇ!」
「食べたいの?」
「そりゃそうだ。それは期間限定、しかも数量限定全国で千個しか生産しなかった伝説のスナック菓子『激辛アンドエンド』だ! 僕が楽しみに取っておいたお菓子なんだよ!」
「へぇ、じゃあ一個あーげる」
「……!!」
そう言いながら、彼女は開いた菓子の袋から一つ真っ赤なスナックを取り出して、床に転がっている僕の口の前へと運んだ。鋭い嗅覚から察せる。これは美味いやつだ。辛い物が大好物の自分からすれば、食欲をそそりまくるスイーツだ。今日は昼以降、何も食べておらず空前絶後の空腹であることもあいまって、とても良い匂いによだれがこぼれてしまいそうにすらなる。
お下品なのにな。
まぁ、それを食おうとするのは許せないが。
くれるなら、良いだろう。
そう思って大きく口を開いた。が、数秒が経過してもソレは投下されなかった。……おかしいな、と思って前を見てみると。
スナック菓子は、彼女の口へと運ばれていた。
「なんちゃって。このフェイントをする快感、ぞわぞわする……!」
「お前のクソみたいな性癖をここで発動しようとするな! やめろ!」
まじでなにやっているんですか、と訊きたい。誰か助けてくれ。早くこの悪魔を家から追い出してくれ。
サク、と音がした。
「おぉ、ピリ辛で美味しいねぇ~」
「ぐ、ぐぅ! よよよよよよよよくも⁉」
「美味しいねこれ。ちょっと辛すぎるかもだけど、それが病みつきになるって感じ」
やめろ。
その食レポはじらされた僕にとって、ただの地獄でしかない。
もはやこれは拷問だった。
僕が何の罪を犯したっていうんだよ。
正直、男子高校生でありながらも、ガチ泣きしてしまいそうである。
外聞なんて関係ない。
ただ泣きたい。
「もうそろそろ、この茶番にも付き合ってられない」
「えぇ、なんでよ」
「お前の身を案じて、だよ。なんでそんな思考に至らない。あの探偵が言っていたはずだ。危険が危ないってな」
「……なんか頭痛が痛い気分」
因みにだが、今のは天然だった。
僕はカッコイイ言葉を言おうとして、馬から落馬してしまったのだ。ああ、くそう。恥ずかしい。
恥ずかしさを相殺するために、いつもなら思いっきりに叫ぶのだが。
今は深夜だ。妹が僕の叫び声で起きたら、きっと更なる地獄絵図を呼ぶことになるだろう。
ん? 妹……?
「あ。そういえばだが、
「ん、サクサク、なに? サクサク、あっ、コレおいしー」
「……ごほんっ、と。お前はさ、どうやって僕をここに連れてきたんだよ。僕とお前は前に接点があったとはいえど、家の住所なんて教えた記憶はないぜ?」
「あーそれね。私たち運が良かったんだよ」
「そりゃどういう意味だ」
全くもってわけがわからないよ。
「いや、ね。或間駅前でさ。気絶した緋色坂クンの首根っこを捕まえてぼーっとしてたらさ。塾帰りの君の妹ちゃんに会っちゃって、家まで案内してもらっちゃった」
「ぎゃぁ……っ!! そ、それ
喉から自然と、変な声が出た。
「おかしな日本語だね」
「そ、れ、よ、り、も!」
「マジのマジリアルだよ?」
────どうやら、僕はそうとうな不運の持ち主らしい。
なんでそうなるんだよ。
それってどういう確率だよ。天文学的すぎる確率だろう?
というか、アイツ。どういう心境で雪凪を家に案内したんだよ。普通に考えてアホだろ、馬鹿だろアイツ!
気絶したお兄ちゃんの首根っこを捕まえている怪しい女、圧倒的──そう、不審者の極みってヤツを、なぜ家に案内しようとする!
あまりにも馬鹿げた話である。
信じられないぐらいに。
「ああ、なんでこんな事になるんだろうか。僕はそう思う、強くそう思う」
「そんなにも妹に兄としての痴態を見られたことが恥ずかしいの?」
「そりゃそうだ。僕は頼りになる兄貴をやっているからな。今回のことでイメージが崩れていくだろうな」
「そっかー、じゃあわざわざ妹ちゃんに、兄の性癖をバラさなくても問題なかったのか」
ああ、くそ。やってしまった。
まぁ別に頼りになる兄貴っていうのは、僕個人の理想像であって、実際は頼りにならないんだけどな。宿題を手伝えって言われても数学と社会以外分からないし。
それに妹は僕よりもずっと優秀だからな。
逆に兄貴が頼りになるっつーか、そんな気恥ずかしい関係というか。もっとも、そんなことを彼女にバラすつもりはないけどな。
だって恥ずかしんだもん。
……そこまで考えた。
そして、聞き逃せない発言一つを僕は汲み取った。
「え? ちょっと待て、おい。なんだって?」
「え? 妹ちゃんに、兄の性癖をバラしたって言っただけなんだけど?」
「え? ちょっと待て、おい。もう一回言ってみ?」
「え? 妹ちゃんに、兄の性癖をバラしたって言っただけなんだけど?」
その一瞬はまさに硬直したことだろう。
先程までの驚愕の比にならない。大きな、あまりにも大きな精神的な
「ああ……お前、僕の妹になんてこと教えてんだ────っ!!!」
そうして深夜にもかかわず。
先程まで自分が、妹を起こすから叫ばないようにしておこうなんて言っていたことさえも忘れて、僕は大きな声で叫びながらついに泣いた。
もうガチ泣き、大洪水の号泣。
「え? いやぁ、そんな泣かれるとは……ちょっと予想外なんですけどー」
「ぼくの! ぼくのぉ……! 兄としての矜持が! 矜持がぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
小説としては情けない。ああ、なんとも情けないが。
ここでは大きく叫ばせてもらう。
それだけ、この出来事は衝撃的で、絶望的だった。
ここで僕の理想像である『頼りになる兄貴』になるという夢は崩れ去った。
「え、えぇ。あれ、もしかしてやっちゃった? 緋色坂クン? ひいろざかくーん。あれ、これって本当にちゃんと泣いてるの?」
「うわああ、うわあああ!!!」
「あーー、ごめん」
数分後。
「ごほん、と。すまんね、先程はみすぼらしい姿をお見せしてしまったよ」
「あれ、緋色坂クン。キャラ変わった? あれ?」
「なにかねゴールデンガール。我は何一つとして変わっていないよ、ええ! 全くもって!!」
「いや、おかしいから! キモい! キモいし! それに、キモち悪くて、キモいから! ごめん、私が謝るから! キモいから、やめて! その顔!」
「そんなキモいって連呼すんなや。というか、キモいのは僕の顔なのかよ、このキャラじゃないのかよ。悲しいわ」
怒ったので、自分の性格を適当に選んだとあるおっさんに変えて、真似てみたのだが。そんな中で謝るものの、彼女は僕のことを馬鹿にしやがった。なんやねん。キモいから、やめて、その顔って。
僕はその瞬間、変顔なんてしなかった。そうだ。通常フェイスだ。
なのにキモいとか言ってきやがった。
そろそろ本気で傷つくよぼく。まぁさっき何年ぶりかに泣きまくったばっかだから、傷つきゲージはリセットされたけどさ。
「というか、早くさ。この縄ほどいてくれ」
「嫌だけど」
「じゃあ自分でほどく」
仕方がないので、爪だけに狼を宿らせて人とは一線を画す凶器を手に入れた。狼の爪で僕を縛っていた縄跳びを切り裂いて、すぐに力を解除する。
そうすることで、大して疲れることもなく力を行使することが出来るのだ。
やっとこさ解放された体で、伸び伸びと両腕を天井に向けてあげた後に、ゆっくりと立ち上がる。
縄跳びには悪いが、死んでもらう。
まぁいいだろう。思い入れはないし。
にしても。
あぁ、自由に動けるってこんなにも最高なのか。
自由っていうのは最高だ!
「なんだ、自分でほどけるじゃん」
「極力この力は使いたくないんだよ。疲れるし」
「ほへー」
「中身のない返事過ぎないか?」
てへぺろ、と彼女は握りこぶしをツインテールの頭にぶつけて微笑した。僕はそんな地獄絵図に苦笑交じりに苦笑した。
いやそれはもう、全てが苦笑なんだよ。
セリフツッコミをしつつ、進行させていく。
「ま、良いさ」
「なにが?」
「なんでもない。ただ僕は許容しただけさ」
「なにを」
「
「は、はあ。そりゃ助かるけど」
そこでふと思い出した。
あの探偵野郎に言われた台詞。……話を聞いてやれよな、みたいな内容だったはずだ。人に自分のストレスを打ち明けることで、負の感情が少しでも軽減されるかもしれない、という目論である。
小南のアドバイス通りに動くのは不服だが、こればかりは仕方がないだろう。
「その代わりとはいってもあれだが、聞かせてくれ。お前の話を」
僕は腕を組んで、そう告げた。
ストレスの軽減が目的というのは大きいが、純粋に自分も気になっていたのだ。心の中で、ずっと。天才少女と呼ばれ、クラスメイトからも人気である彼女に掛かる重みというのが何なのか、その正体が純粋に気になった。
天才少女。
ずっと前から知っていた雲の上の存在。
それが目の前にいるってんだから、話を聞かない理由なんてない。
「そんなに聞きたいの? 女の子を秘密をさ」
「まあね。──だって、心配してしまうだろう。探偵はああも言っていたが、僕はこのかた十七年間、物理的に浮いてる人間なんて見たことなかった。今の雪凪の状態ってのはいつ崩れるかも分からない状態を彷徨う、そう、危険な状態なんだよ」
「それは探偵さんから聞いたから、分かってるよ」
「じゃあなおさらだな。逆に心配しない理由が見つからない。言っておくけど、僕は力になってやる。ちゃんと一緒に悩んでやるし、考えてやるからさ」
体は普通ではなくても、頭脳においては凡人の域を出ない僕が出せる言葉は、これで精一杯だ。これ以上は絞っても、絞り出せない。
「隣、座ってもいいか」
「う、うん」
柄にもなくうわずった彼女の声に、少し驚く。
「話せないなら話せなくてもいい。でも話せるなら、話してほしい。ああ、でもそんな急がなくてもいいさ。夜は長いからな、普通の意味で」
「あ、う」
「ゆっくりとでも良いから」
「……もちろん、マイペースでいくよ」
これはかなりいい調子。空気を読まないのが仕事、といえるほどに空気を読むのが苦手な僕からすれば、これはかなり良い雰囲気に持っていくことが出来たのではないだろうか。百点満点中、百点はいかずとも九十五点ぐらいはマーク出来そうなもんだけれど。
「ま、まさかね。こんなドウテイキモオタ性癖こじらせの緋色坂クンが、人に気遣いできるとか思わないじゃん……」
「お前はボクという存在をなんだと認識しているんだよ」
「言ったでしょ、変態ドウテイキモオタ性癖こじらせの緋色坂クン」
「僕は童貞だが、変態ではない」
「変態だよ、君は? 何を言ってるの? 女性の匂いがあれば、栄養を取らずにも三百年は生きれるって言ってたじゃん」
「言ってねーし、お前はボクという存在をなんだと認識しているんだよ!」
お前はボクという存在をなんだと認識しているんだよ。
緋色坂徒京は紳士も紳士、至高も至高。優しいが取り柄で、変態なんて言葉の欠片一つも当てはまらないような秀才だぞ。……多分。
もっとも、この天才様の前じゃそんな肩書は無に等しいだろうがな。僕とコイツでは、立っている土俵が違うのだ。もちろん彼女が上。
「変態ドウテイキモオ──」
「ああ、分かったよ。僕は断じてその認識を認めないが、お前はそのままでいろ。だがその代わり、お前という存在を、僕も変態と認識させてもらうからな」
「えっ、君って女子にそんなこといっっちゃうんだ。さーいてー」
立場が悪くなったら、いつもは気にしてない女の子属性みたいのを出してくる神楽鐘。なんて奴だろうか、我田引水。
僕は彼女の言っていた理論を流用しただけというのに。
神楽鐘雪凪という人間には、ソレが通用しない。
よし、本題にいこう。
「お前ってさ……、やっぱり話してて分かったけど」
「なによー、へんたいー」
「僕の前での性格が何なのかは置いておいて、やっぱり、探偵の言う通り、学校ではさ本当の自分を隠して過ごしているだろ」
その疑問に、返答はなかった。いや、正確には数秒待った程度では来なかった、というのが正確だけれども。
やはり小南という人間の推理は、時間を置いて確認してみたけれど、正しかった。
ここで、そう確認したことには意味がある。
話を聞くだけで彼女のストレスが少しでも軽減されるなら、失う時間なんて安いもんだ。
それに彼女にわざわざソレを尋ねるのは酷かもしれないが、呪いというものが重症化した末路を知っている僕からすれば、それを軽減出来るというのならば、する以外の選択肢はないのである。
小南が言っていたように、ただ重症化して、死ぬだけなら楽な話。
小南が言っていたような、重症化したら死ぬなんて話は、『重症化した場合で、もっとも楽観的に捉えたとき』のケースだ。
大体は、ただ死ぬだけじゃ終わらない。
──だからこそ、僕は危惧している。
「あー、あはは……うん。やっぱりもう、ここまで来たら誤魔化せないよねー……」
乾いた笑顔。
そこに気持ちは籠ってはいただろうが、あまりにも希薄で、少量。やはり彼女は溜め込んでいるのだ、大きなストレスを。
じゃなきゃ、こんな風な笑顔が出てくることなんてない。
これは演技ではない。
いくら空気が読めない自分でも、分かった。
やはり、そうなのだ。
「話したくないか?」
ここは慎重にいくべき。友達としてじゃなく、男としてじゃなく、常識のある人間としてそう感じた。
これはかなり際どい話である。下手に、いわゆる”地雷”と言われる部分を踏んだらどうなるか分かったもんではない。怒られるで済まされるものではないだろう。
なにせ何も暴力で解決しようとした少女である。
だから、再び、確認として僕は目の前に立つ天才少女へ問う。
どう来るか。分からない。
どう答えてくるのか。分からない。
だが精一杯、気を遣って聞けたはずだ。
「……」
「───」
「……緋色坂クンはさっき言ってくれたよね、『悩み事を一緒に考える』ってさ」
「もちろんだ。僕は大事な話で噓は吐かない」
首を縦に振って、真摯に答えた。
だからこそ、それに呼応するように。
彼女は僕の眼、その奥を見つめるように。
「──ストレスを感じるようになった、他の人との隔たりっていうのを感じるようになったのは、確か小学二年生ぐらいのころだったかなぁ」
神楽鐘雪凪は、真摯に答えた。
そして、彼女は話し始めた。浮遊病が発現するほどに溜め込んでいたストレスが何なのか、その根源を。
探偵ごっこ遊び 星乃カナタ @Hosinokanata
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