『雪凪刹那④』
「名前は?」
「小南ミト」
「年齢は?」
「三十四歳だ」
「仕事は?」
「探偵をしている」
雪凪による小南への問答が続く。
此処、カフェテリア兼パン屋である『夢丸』は八時閉店だ。今は七時だが……、間に合うだろうか。
そういえば小南は事務所を持っているんだった。
要らぬ心配だったか。
でも、気になることが一つだけある。
ここは一般人の目に付く場所だ。
そんなところで、企業秘密的な会話をしても構わないのだろうか。
していいのだろうか?
そんな折にふと気づいた。
ああ、そういえばコイツは呪術、ないしは魔術が使えるのだった。だからアレか、ファンタジーとかでよくある人除けの力でも使っているのだろう。
道理で人気店であるあhずの店内には、僕たちしかいないわけだ。
「具体的に言うと?」
「裏軌跡に関しての事を担当する探偵さ」
そこでちょっと前にコイツからは聞いたものの、未だ聞きなれない単語が飛んできた。裏軌跡。今さきほど僕がいった呪術、魔術、まじないについての話に関してだ。
「裏軌跡? 詐欺師が増したわ。なにそれ、中二病が頑張って考えた設定ノートにありそうな単語は」
彼女のいう言葉は妙に解釈度が高い。実体験てやつだろうか。
「そう捉えられても仕方がないな」
「何なの、それって」
「簡単に、大衆的な言葉で表すとするのならば、『呪い、魔術、幽霊』などの総称。一般人では見ることも体験することもない奇怪な珍事のことさ。僕はそれらが原因で起こる事件の、原因を解明する
小南は至って真面目に、そう述べていく。
ファンタジーな話だが、魔術師ってヤツみたいなもんらしい。幽霊や呪い、魔術と現実ではあり得る筈もないことが、有り得てしまった場合に起こる事件の解明。
そう、一般人から見たら半ばキチガイのような専門的な探偵。
それが彼という存在なのだ。
「怪しいけど、私の身に起こっていることだって信じられないし……信じるしか、ないのかな」
「少なくとも、僕はコイツのことを本物だと信じているとだけ言っておく。いや、信じてはないけど。実際に助けられたからな。一応、命の恩人なんだよ。詐欺師みたいなヤツだけどな!」
それらを聞いて悩む彼女に対し、そんな助言をしておいた。
「……分かった。
「僕は変態じゃないのだが、訂正させてくれ」
「分かった。セクハラクンのアドバイスに、私は乗らないよ」
「それ実質訂正してねぇじゃねぇか! いや、後ろを訂正したのか……。ちょっと待て、訂正するところを間違ってるんだよ!」
へんたい=セクハラクン。
言葉を変えただけであり、訂正したのは後方部分だった。ちょっと待てぃ。
「はいはい、私はこの探偵のことを一応信じてみることにするよ」
「そりゃあ、助かるよ」
彼女の僕へのからかいが終わり、そこで会話はやっと進展するかと思ったが、なんとなんとここで柄にもなく探偵が否定を入れた。
「さて。ここで話は最初に戻るが、その行為はオススメしない。最初から私のことは信用なんてしなくていいのだよ、神楽鐘」
「はい? それってどういう」
「そのまんまさ。ここにトリックはない。信じるということは意味がないと言っている。これこそ本末転倒だと思うだろう? その通りだ。だからこそ君に教えてあげよう、ヒトの話は半信半疑で聞きたまえ」
「は、はぁ」
困惑する神楽鐘。それも無理はない。
進展はしたが、こんな展開をするなんて僕も予想していなかったからな。どういう意味かすらも把握していないのに。
信じるために会話していたのに、信じてはダメだって。
本末転倒ではないか。
「先に言っておくが、私は過度な期待をされることが嫌いでね。誰かにすがられるという行為が嫌いだ。だから信用はしなくていい。ただ私は君に教えるだけだ、原因の答えを」
「簡潔に言ってくれないですか」
探偵はタバコを胸ポケットから取り出した。
「だから、君の意志なんて関係ないと言っている。私はただ目の前にあった事件を解明し、情報を集めるだけだ。君はただ目の前に現れたヒントを手に、解決すればいい」
はぁ、どうしてそんなに急に。
「だから、決めたよ。やはり君は対価を支払わなくて構わない。その仕事は、君の隣にいるヒトに預けるからね」
「えっ」
え。
「……僕かよ!?」
なんでそんなに急に、僕がコイツの代わりにコイツの仕事をやらなきゃいけないんだ。あっ、そっか。緋色坂徒京ってコイツの助手じゃーん。
こき使われるじゃーん。というか、絶賛ブラック企業でこき使われてますわ。トホホと嘆きたい。
「まぁ別にいいけどさ、あんたには恩があるし。でもどうして急に、そんなにも方針を変えたんだよ」
「分かったからだよ」
「え?」
小南は取り出した煙草に、ライターで火をつけて煙を上げた。アレ、ここって禁煙じゃなかったけか。
おかしいな。あれ?
さっきのセクハラ紛いな探偵の発言もそうだが、コイツ……モラルなくね? 僕がズレてるだけなんだろうか。いいや、コイツがズレてるよな? どちらが異常なのか、わからなくて少し怖くなる自分がここにいる。
「ここまで会話で察した。どんな呪いかをね」
「……は?」
そこで、ピースが一つはめられた。
「浮遊病。そのまんまだ。浮いてしまう病気だよ。物理的にね。……原因は精神的に”浮いている”ことにある」
「原因は、精神的に。だって?」
どうやら彼は解ってきたらしい。
「そうだとも。どこか浮いているんだ。どこか、その他人任せの芯のない行動原理と発言。まるで自分は他人とズレてるからと、本当の自分を隠して、まさしく浮いているんだ」
本当の自分を隠す? コイツが。
「過度に浮いた人間はね、どこかネガティブな思考に陥る。元々そうなのかもしれないが。そして、ネガティブな思考……いわゆる、負の感情。呪いの源でもあるソレが蓄積すれば、呪いになるのは当然なのだよ」
そのまま独り言のように、何の偽りもなく彼は語り始めた。
『浮遊病』。それはどこにでもある、普遍的な呪いの病だそうだ。自分の負の感情が蓄積して、周りと隔たりを感じていくごとに、症状を──現す。
まさにその名にふさわしいものだ。
だが、負の感情が蓄積されたら発現するとはいっても、並大抵の蓄積じゃ症状は出てこないらしい。
「人間はね、実際みんな浮遊病みたいなものなのだ。だがしかし、我々が発現していないのはソレが軽傷だからさ。負の感情、その蓄積の深度が浅い」
つまるところ、浮遊病が発現しているということは、心の中で何かがかなり大きなストレスに感じていることなんだそうだ。
本当に相当追い込まれない限り、発現しない。と詐欺師紛いの彼は念を押してそう言っていた。
っていうことは、だ。
この鬼畜ツインテさんは、何かが相当なストレスになっているのだ。これは僕にとってだが、今の時期にストレスになることといったら、勉強や友好関係、家族との関係、自分の性格や容姿についてだけれども。
この鬼畜ツインテさんは、それら全てに対しレベルの高い合格点を超え、パーフェクトを出してくれている。
彼女にストレスを感じる要素が分からない。
第一、劣等感なんて感じるタイプにも思えない。
静かに隣を見て、ふと考えた。
「ここで敢えて言わせてもらおう。今の君の状態は危険そのものだ。なにせ浮遊病の発現っていうのはただのストレス程度が、普通では有り得ない現象を引き起こすほどの力を持ってしまったということなんだからね。浮遊病が進行すれば、自我が崩壊して、浮遊する悪霊になりかねない」
「……」
「これ以上ストレスを与えたら、危ないんだ。だから君に仕事を任せるのは危険だと判断し、ちょうどよくいた助手に任せることにしたのさ。先程君に任せると言ったのは、ちょとしたカマカケだったのさ。まぁこのことを告げるかどうかも、さきほど一瞬考えたがね」
ここまで聞いて、ああ、やはりコイツは探偵なんだと改めて気づかされた。先程の短い問答。それは神楽鐘が一方的に小南へ質問するモノだったのだが、あれは彼女から探偵への問答でもあって、探偵から彼女への問答でもあったわけだ。
つまるところ、ここまで全てが彼にとっての予定調和なんだろう。やはり頭がキレる男、探偵が天職だと断言せざるを得ない。
そして、ここまで聞いて黙っている彼女。
僕はちょっと今の話を聞いて鬼畜ツインテのメンタルが大丈夫か気になるところだが。
「私の推理、合っているかね?」
「…………うん、分かったよ。あなたが探偵なんだってこと」
「それは良かった」
なるほど。
どうやらこの話の流れ自体が、
これには流石と、圧巻である。
そんな中でツインテールの彼女は溜息を吐いた。
そりゃそうだ。推理が当たっていれば、彼女は心の中に眠る闇を見透かされた、なのとも言えない気分なはずだからな。
空気は必然的に重くなる。ああ、くそっ。僕はこういう雰囲気が苦手なんだ、重い空気とか話しにくいしさ。いや、話す友達とかいないんだけどね。
いや、だからさ別に空気を読むとか必要ないんだけどね。
いや、いつも一人だからさ。独りぼっちだったからさ。
って悲しくなるだろぼけ!
仕方がない、ここはコチラから話を切り出すとしよう。
この重い空気を破壊するには、空気が読めない自分がちょうどいいかもしれない。っとは言っても、ココは空気を読んでいく。
「なぁ、じゃあ肝心の治し方を……」
「シャラップ、私の助手よ」
「はぁ?」
「その言葉は本人から紡いだ方がいいだろう」
小南は乱暴な言葉遣いで場を制した。
どうやら、その懇願はしっかりと彼女の口から言わせたいらしい。
まぁ人にお願いする時は自分から言うのが普通だ。だが、細かい事情は聞かれてないとはいっても、核心を突かれてしまった彼女にソレを聞くのはあまりにも酷じゃないだろか。
いくらコイツに馬鹿にされまくった僕でも、それは可哀想だと感じた。
だが探偵は目で語る。これは大切な工程なのだと、決して抜かしてはいけない。
そういえば、前に探偵が言っていた気がする。
『呪いとは、ヒトが生み出す感情が膨張したモノがほぼ八割を占めている。だからね、解呪しようとするのならば、呪いに掛かった人間の自己意識。この束縛から解放されたい、という強い気持ちが必要不可得なんだよ』と。
つまり、これはそういうことなんだろう。
いや、でも、それを差し置いても。
彼女の様子を見るに、相当落ち込んでいるようだが、街で話していた時に放っていた雰囲気とはまるで違う。
これは本当に落ち込んでいる姿だ、僕にはそう見えた。
だから。
「なぁ、やっぱり今のコイツにじゃ無理だ。だから僕が────」
「良い、大丈夫。そこまで気を遣わせるわけにはいかないよ。しっかりと、私が頼むから」
「そ、そうか」
だが、その心配も無用だったらしい。
神楽鐘雪凪は落としていた顔を上げる。
そして席から立ち上がり、再び大きく頭を上げた。
「お願いします。この浮遊病、から私を解放する方法を教えて下さい」
その台詞は震えていた。
彼女にどんな事情があるのかは知らない。だが、その言葉の裏に幾千もの逡巡があったことは、当たり前に見て取れた。僕にはそんな悩むべきことはほぼなかったから、彼女のこのことは大変だなと思いながらも羨ましくも思う。
彼女からすれば、失礼に当たるだろう。
「……ま、及第点といったところだろうか」
そして、その頑張りを笑みを浮かべる小南ミトは認めた。
そして、答えた。
「浮遊病の解決方法は大きく分けて二つある」
「──その一、ストレスの原因を認めきって逃げないで受け止める。その二、ストレスの重さを超える幸福で全てを上書きする。そのどちらか、だ。とはいっても、そのどちらかをしたところで浮遊病の発現が治まるだけで根本的な解決にはならない。浮遊病っていうのは不治の病だからね、そこは認識しておくといい」
そして、付け足す。
「呪いっていうのは、治らないからこそ”呪い”なんだ」
────なるほど。
治らない、か。
それに症状を軽減させる方法のどちらも、簡単そうで実はかなり難しいもの。因みにだが、僕が彼女の立場だったら諦めてしまうだろう。
だがしかし、彼女のメンタルはそれほど弱くなかった。
そんな強いメンタルを持っているツインテでも浮遊病が発現するほどのストレスは、ありきたりな表現になってしまうが僕の想像を絶するのは確実だ。
いやでも、案外ストレスの原因ていうのはあっけないのかもしれないな。だけどそんなこと、憶測でしかない。
それは正直、本人にしか分からないことだ。
僕が今ここで、どれだけ心の中で考察しようと、一生かけてもたどり着くものではない。
「なる、ほど?」
「理解したら帰りたまえ。もうすでに私の仕事はない、ああ、あと助手。君は残ってくれ」
「は? なんで」
「ちょっとした情報収集さ」
仕方がないので、僕は先に雪凪を家に帰らせることにした。
「じゃあ、悪い。先に帰っててくれ」
「え、あ……う、うん」
「僕はこれでもアイツの助手をやってるからな。何かされるのはいつも通りのことだから、安心してくれよ」
「分かった、うん」
夜道は危険だから、気を付けてくれとだけ言い残して。
時間は七時五十分。閉店まであと十分ほどだ。
雪凪は扉を開けて、外に出て行った。
さて。
「今日はありがとう、悪かったと思ってる。時間に遅れたあげく、仕事持ってきちゃって」
「いいや、構わないさ。珍しいものが見れたからね」
「アイツの浮遊病のことか?」
「いいや、浮遊病なんてありきたりな
「……?」
もったいぶってないで、早く言ってくれないか。
僕はそろそろ尿意がマズいんじゃ。
今日はトイレに行ってないからな、かなりヤバイよ。要件は早くしてほしい。
……ていうのは建前で、本音は早く家に帰りたい。
「今日は随分とこの店に客が来なかっただろう」
「え? ああ、確かに、一人もこなかったな。話している最中に。いやでも、それの何がおかしいんだ? これって人除けのまじないだろ、あんたの」
「君は私を過大評価しているようだ。私はどっかの誰かさんみたいに怪物交じりの人間でもないんだ、そんな高等なまじないは使えないさ。これは私がやったものじゃない」
「はい?」
待て、それじゃあ僕の仮説が通じないぞ。
でも人除けの魔術がなかったワケでもないだろう。
実際にこの有名で人気店に一時間、一人も僕たち以外の客が来ないなんてことはそれ以外ありえないし。
「
「ヨケイ、って。なんだよそれ」
「異なる者を避けさせる、っていう呪いの副作用さ。これが彼女に発現していたのだ。だから、簡易的な人除けの魔術みたいになって、人は誰も来なかったのだろう」
「待て、じゃあ僕がアイツと会ったことはどうなる。人除けが副作用として作用しているのなら、僕は彼女と出会えなかったはずだが?」
そうだ。
人除けの魔術が僕に適用されていれば、僕は彼女という存在が目の前を浮いて通り過ぎていったことさえも気づかなかっただろう。
だが確かに、合点がいくこともある。あんな街中を浮いていても、話題にならなかったことの説明はそれで解決する。
いくら死角を通っていたところで、流石に屋上を飛んでいるのだからバレるのも時間の問題だったはずだ。なのにバレなかったということは、人除けの魔術が発動していたからなんだろう。
だが、今さきほど指摘したように。
その理論を通すと、僕が指摘したような矛盾点も出てくる。
「いいや、それはあくまでも簡易的な”人除け”に過ぎない。彼女から寄ってきた場合は効力を発揮しないだろうし、何より君は半分が狼に犯されているからね。全くと言っていいほど効力を発揮しなかったのだろうさ」
「はぁ、そういうことかよ」
良くも悪くも、僕の半分を支配している狼のおかげってわけか。
「そうだとも、ま、別に悪いことじゃない。ただ人が避けていくだけだ。それにコレも浮遊病の症状が治まれば解決出来ることだ」
「そんなもんか」
「ああ、それと彼女の話はよく聞いといた方がいい。そちらの方が気持ち少し軽く、最後の仕上げも楽に済むだろう」
「どういう意味だ」
探偵はいわゆる意味深な言葉が好きだ。
そんなものは余計なお世話なんだがな。
「言っただろう。浮遊病は過度なストレスが原因だ。そのストレスをできるだけ減らしておくのさ。辛いときに話を聞いてもらえる有難さは君も、理解しているだろう?」
「……いやでも、僕なんかが聞いてもな」
「その気遣いは不要だ。行き過ぎた自己嫌悪と自己肯定感を高めようとする癖のアンバランスさが君の仇だね。これだから、君には友達が出来ないんだ」
「余計なお世話だよ」
当の本人はこれをマジなアドバイスとして言っているから、困るもんだ。そんなこと自分が一番理解しているさ。友好関係ゼロも、自己肯定感を高める癖も、時折発動する自己嫌悪も。
だって仕方がないだろう。自分は何の才能もない、ただの獣なんだからさ。
「よろしく頼むよ。今回の件で私の仕事はほぼないからね」
「僕に仕事を任せたからな、そりゃあな。まぁ明日が土曜日で助かったさ」
「明日が休日じゃなかったら、流石に助手である君にも仕事を任せなかったさ。大丈夫、安心してくれ。期待はしてないから」
「悲しいな!」
サングラスの位置を調整しながら、彼はそんな風に蛇足を述べていく。
そこは嘘でも期待しているよ、と言ってほしかったぜ。
いや、言われたら言われたらでなんか嫌だし。これで良かったのかももしれない。
いや、この会話はただの僕に対する侮蔑ばかりだから、決して良くはなくて聞いていて心地のいいものではない。
いち早くこの場から立ち去ろうと
席に座ってコーヒーと煙草を堪能する探偵に背を向けて。
「じゃ、今日は悪かった、あんたを色々と忙しくしたり、遅れて。それとありがとう」
「安心したまえ、今感謝を言わなくてもこれからの残り一か月で飽きるほど感謝を言う事になるだろうからね」
「……余計なお世話だよ」
「ごほん、やはり待ちたまえ」
「──なんだよ。珍しいな、あんたがまた呼び戻すなんてさ」
歩く両脚を止めて、もう一度振り返って彼の方を見た。するといつの間にか、眼前に小南は立っていて。
僕に何かを手渡してきた。
「いやね、必要なものを渡しておくだけさ」
「余計なお世話、だって……ってなんだこりゃ」
「お守りだよ、大切なね。緊急時にはコレを破ってくれたまえ」
それは、いわゆるお守りというものだった。
神社とかで売っているような、紐で口を閉じた小さい純白色の袋。──あれ、緊急時にコレを破れってさ、お守りって破っちゃだめなやつなんじゃなかっただろうか?
「破っていいのかよ」
「問題はないよ。これをお守り型にしたのは、単なる気分だ」
「はぁ、そうか。で、これは何に使うんだ?」
「いっただろう? 緊急時に、ね」
具体性が何もない。
絶妙に分厚い、というか硬い。……あれだろうか? この裏軌跡を扱う探偵のことだ、呪いを破壊するお札でも入っているんだろうか。
いやでも、この世にそんな便利なものはない、とか昔言ってるのを聞いた気がするな。
「ま、有難く受けっときますよ」
「うむ。助手はそれでいい」
「じゃ、また」
友人との別れの挨拶程度の軽い会釈を済ませて、僕は歩き出した。貰ったお守りはなくさないように、バックにしまっておく。
そして、最後に背後から彼の様式美が飛んでくる。
「ああ、それと。私のことは先生と呼びたまえ」
とな。
もちろん、そんな台詞で呼んでやるか。
小南は僕の命の恩人であるが、尊敬しているわけじゃないからな。もっとも色々と助けられているから、感謝は人並みにするつもりだが。
ただ、それだけの関係だ。
三ヶ月だけの探偵と助手の関係。
ただ、それだけ。
店を出るために扉を開くとカランカランと鈴が鳴った。
木で丁寧に作られた長方形を開けて、外に出ると一気に冷気が舞い込んできた。寒い。体が全部凍ってしまいそうである。
息を吐けばやはり白くなる。外はもう真っ暗だった。時刻は八時頃、といったところか。なんだか今日は疲れたな。
そう思うものの、目の前を見て(まだ休めないな)と、溜息を吐く。
視線の先には鬼畜ツインテが氷点下の夜空の下で、立っていた。
「まだいたのかよ」
「待ってたんですけど」
「なぜだ、僕を待つ理由なんてないだろう」
「……えいっ!」
無言で彼女が駆け寄ってきて、腕に抱きついてきた。
いやぁ、健気な女子高校生だ。暖かい。ふわと微かに体にあたるツインテールの感触はどこか心地よくて興奮を誘う。それになんかいい匂いがしてきた。
うっとりしちゃうわ、あたし。うふっ。
────え?
そこで我に返った。
思わず死後硬直してしまったが、直ぐに氷解。
「ひょっぉ!? 何やってんだお前!」
驚きすぎて声が裏帰りながらも、後ろへ飛ぶ。
しかし足を地面の段差に引っ掛けて、腰を抜かしたように後方に転んでしった。
いくら鬼畜ツインテといえど天才美少女である彼女に抱きよられたのだ、そんな関係ですらないのにもかかわらずに。そりゃあ驚くに決まっているだろう。
柄にもなく、天才紳士少年な僕は冷静さを失ってしまった。
こんな状況、冷静でいられるはずがないだろう。
心臓は燃え尽きた。
「うわっ、危ないなぁ」
「それはこっちのセリフだ! なぜ、急に抱きついてきたんだよ」
「ほら、私……魅力あるから? 誘ってあげたら嬉しいかなーって。感謝しなさい」
「お前はジャパニーズヘンタイか! やめろ、冗談にならない!」
そんなに慌てなくてもいいじゃーん、と彼女は笑顔を見せる。
いやですね、いままで女友達どころか男友達すら出来ないこの凡人、いや、下の下ぐらいの男子高校生にそんな耐性ないんですって。
彼女は悪だ、男子高校生の敵だ。
こういう些細なことが僕たち「あれ、コイツ僕のこと好きなんじゃね?」っていう勘違いを生むんですよ。理解していますか?
「失礼だなぁ、この私に対してさ。嬉しくないの?」
「……いや、嬉しくないといえば嘘になるけど」
「え?」
「はい?」
正直に言ったら言ったで彼女は黙り込んでしまった。何か選択肢を誤っただろうか。分からない。分からないことだらけが、僕には分かる。
おいおい、こういう時ってどうやって話せばいいんだよ。
というか、そういうのって意識しちゃうでしょ、いやーん。
キツイから、やめよう。
考えてみてくれ、普通の男子高校生が女子に対してガチで驚いて叫んでるかと思ったら、その女子のことをヘンタイ呼び、町中でさ。加えて心の中では自虐と自尊心が入り混じった芝居祭。
もう終わりだよ、僕の
だが一つ言っておこう。
僕は──シリアスが嫌いだ。
自分が聞いていて辛くなる話は嫌いだ。
だからこうして、ギャグを混ぜてどうにか心を保っているのだ。本来なら、生きるのだって辛くて、いつも自暴自棄になる。
僕の人生に楽しみはなく、苦痛ばかり。
中学の頃だってそうだった。ひたすらに自暴自棄で、それこそ友達の一人もおらず、部活も入らず、勉強も出来ず、スポーツも出来ず、冴えないどころか、存在するだけで邪魔と呼ばれるぐらいの存在だった。
思い出すだけで自己嫌悪で自分の頬を殴りたい欲望があふれてくる。
それこそ、彼女と僕は正反対だ。
彼女を明かりと表現するなら、僕は暗やみだ。
人は十人十色であり、比べるべきではない。
天才には天才なりの重みがあるのだろう。だが凡人には凡人なりの悩みもあって、狂人には狂人なりの愛があるのだ。
だが比べてしまう。それが人間の
比べて、いつも、他人との違いに、劣等に死にたくなるのだ。
だがしかし緋色坂徒京は生き続けなければならない。
それが裏切り者である僕の呪縛であり、呪いであり、鎖であり、どうしようもなく憐憫で、最悪で、幸福で、高慢な、約束なのだから。
「はぁ、やっぱり、君は違うね」
「あ? そりゃ違うだろうよ。僕はお前とは違って天才ではない。……普通とは言えないが」
「そういうことじゃないよ」
「いでっ! ちょ!? 近い近い近い!!」
彼女はしゃがみこみ、転んだ僕の頬をつねって、微笑えんだ。
なんなんだ。さっきからコイツの様子がおかしい気がする。
「鈍感くん」
「鈍感じゃねーよ! 逆に僕は敏感だ!」
二つの金色の髪束が揺れていた。
鈍感、ねぇ。僕は敏感な方だと思うんだけど。
それにしても、敏感ってなんか卑猥に聞こえないだろうか。おかしい。鈍感はそういう風に聞こえないのに。敏感っていうのはピンク色だ。
鈍感と敏感は対義語だからだろうか。
でもそういう意味じゃあないだろう?
そういう対義ってことじゃないと僕の中では思ってたのだが。もしかすると鈍感と敏感が対義語なのは、エロかエロじゃないかなのかもしれない。
「……はい?」
敏感肌な僕が、鈍感と敏感についての考察を繰り返していると彼女は再び顔を僕の眼前に置く。二つの金色の髪束が揺れていた。
「今日は私、家に帰りたくない」
「────」
「だから、君の家に連れてってほしい…………」
これは
今日の放課後、ふざけちらかして僕を馬鹿にしていた彼女の声は、本気だった。
それを直に聞き、体温のせいで溶けそうになる体で答えた。
「え、
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