1-6 ユメ

「あっそうだ、忘れてる事があった。」


「えっ?」


あの会話後、帰る支度をして玄関前に立っていた橙李は、扉を開ける前にふと思い出したように呟きこちらへ顔を向けた。


「これ、あげるよ。」


そう言うと、橙李は何か握っているであろう手を突き出す。

深く考えずに私が開いた右手を差し出すと、掌の上に小さなストラップが置かれた。


見ると、白猫が瞳を閉じて眠っている様子がひし形の金枠の中に描かれていた。先程まで似た光景を見たなと微笑む。

まあ、オーキは白猫ではなく黒猫だけれど。


「これ、どうしたの?」


とても可愛いけれど、これを私にくれる理由がよくわからない。私はストラップ紐の部分をつまみあげて、眠る白猫越しに橙李を見つめる。


「うーん…なんていうか、お守り、かな。」


「お守り?」


「うん、まぁ、お守りっていうと少し違うのかな…おみくじと一緒に売ったりしたらどうかなって家で話が出ててね。猫の神様もここにいる事だしね。」


そう言うと彼は床をトテトテ歩いているオーキの背を軽くひと撫でした。


動揺している様子はないが、橙李にしては少し歯切れが悪い。


言っていることは有り得そうな事ではあるが、なにか言えないことがあって誤魔化しつつ説明したり話そうとする時、彼は何かを触りながら言う癖がある。

ついでに視線もその触っているものに向けてしまう為、目を逸らす、というのも癖なのかもしれない。


今の彼は、その彼だ。


「可愛いし、いいんじゃないかな。でも私が貰っていいの?」


「問題ないよ、試作品みたいな物だし。そのうち神社うちの家で見るかもね。」


そう言って彼は苦笑した。ほんの少し、親しい人にしかわからない程度にだけど──顔が強ばっているように見える。


なるほど、何か事情があって私にこのストラップを託したいらしい。


「わかった、そういう事なら貰っておくね。ありがとう、大事にするよ。」


「…わがままみたいな物だから気にしないで。じゃあ、また。」


淡く微笑むと、オーキを肩に乗せ、橙李は帰っていった。

そのまま連れて行っていいのかと少し不安に思ったが、一般人には見えないはずだと昔言っていたし、まあ問題ないかと勝手に一人で納得した。








2人ともいなくなった部屋の中はやたら寒々しく、いつも以上に広く感じた。


エアコンで部屋を暖めていたはずなのに不思議だ。空は少し前まできれいな茜色だったはずが、いつの間にか夜の帳が降り、もうすっかり暗くなっている。


家に来た時に二人にも言っていた通り、今日親が帰ってくるのは多分かなり遅くなる。

両親共々仕事をしているため、家族3人で暖かな団欒を得られるタイミングは非常に稀なのだ。今日も一人で夕御飯を作り、料理を手にダイニングテーブルへ座る。今日は炒飯だ。


というか父親は出張中であり、そもそも本日中どころかあと数日は帰ってこないだろう。

土産に期待しててくれよ〜と、右手をひらひらさせて家を出て行ったのは1週間前だったろうか。すでに懐かしさを覚えている。


ちなみに父親による土産のセンスは壊滅的なので、私も母も、1ミリたりとも期待していない。(例:謎の土偶人形、土の味キャラメルなど)


さて、ある意味で今日のアイス会は、家族ではないが久々の団欒のだったかもしれない。家庭内が冷えているとかそういう事ではないのだが、シンプルに時間の都合で皆揃っての食事を取れていないのだ。


ひと月ぶりくらいに家の中で人のぬくもりを感じた私は、ちょっとだけ、ほんの少しだけ、寂しくなったのかもしれない。


「んー…塩多かったのかな…。」


炒飯の味付けはいつも通りのはずなのに、なんだか味が濃いような気がした。目をこすりながら、私は黙々と食べ続けた。










たぶん、私は今、夢を見てるみたいだ。


周りは暗くて、本当にすごい真っ暗で、でも不思議な事に足元だけほのかに光って見えている。


私は行き先もわからないままただ進む。


ただ、まっすぐ進む。


いや、まっすぐ進んでる気になっているだけで本当はそんなことないのかもしれない。


何となくそこに行かなきゃいけない気がして、ただ、歩く。


本当にどこをどう歩いているのか分からないから、狂ってしまいそうだ。


見えない、怖い。でも行かなきゃ。たどり着かなきゃ。


『ねえ、"そこ"ってどこなの。』


分からない。分からないけど、私はそこに行かなきゃいけないの。


『本当にこんな暗い中、向かわなきゃいけないところ?』


たぶん。そう。止まったり、後ろを向いたりしたら、迷ってしまう。暗闇に取り残されてしまう。そんな気がする。


『その先は本当に、が歩かなきゃいけない道?』


私の道?


『そう。それは本当に、君の意志で進んでるの?』


私が行きたいって思ってるから、進んでるんだよ?


『そうかな、君はどこに行きたいのかも分かっていないのに?その気持ちは本当に君の心からのものなの?』


…。


初めは私の心の声が問いかけているのかと思ってたけど、あなた、誰?


『僕のこと?』


そうだよ。私の夢なのに、なんで知らない人がいるの。どこにも見えない声だけのあなた。あなたは誰?


『夢じゃないけどね』


え?


『ううん、何でもないよ。そうだな、とりあえず僕の事は…』








「…目、覚めちゃった…」


いつの間にかベッドから転がり落ちていた私は、背中をさすりながら立ち上がる。今までの人生で初めてベッドから落ちたかもしれない。ちょっと体が痛い。


なんだか気になる夢を見たような気がするのに、記憶があやふやだ。というか、なんだか昔見たことある風景だったような…。


まだ空は暗い。時計の針は午前2時半を指していた。丑三つ時ってこれくらいの時間だっけ、とぼんやりした頭で思い出す。


それはそうとして、今日も学校あるのに、今からもう一度寝て起きれるだろうか。このまま気合で起きていてもいいが、その場合学校で睡魔と戦う事になりそうだ。


夢の内容もあまり覚えてなかったし、中途半端な時間に起きてしまったし、嫌な一日の始まり方だなあ。


そんなことを思った私は、深夜とも早朝とも言えない時間に深いため息をついた。


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雪溶け猫とミカン 碧空 @aon_blue

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