第四帖 姫帝、困難に立ち向かわれる事

第12話 生命


 涼葉と菊斗が頻繁に大内裏を出ては倖和京こうわきょうのあちこちで病魔を倒す訓練をしている間にも、占いをはじめとした様々なおまじないが行われ、病鬼の捜索がなされたが、これが未だに見つからない。

 足踏みを強いられている間に、無情にも季節は過ぎ行き、湿気と日差しのきつい夏がやってきた。


 夏の盛りには、祖先の霊がこちらの世界にやってくるとされている。そのため人々はこの時期になると、こぞって墓参りをする習慣がある。

 貴族や帝室も例外ではない。


 涼葉たちは牛車に揺られ、神社が管理している散野さんの霊園まで赴いた。倖和京から出て南東に進んだ場所に位置している墓地だ。


 涼葉が牛車から降りて、荒涼とした平らかな大地を踏みしめて歩いていると、こんな話し声が聞こえてきた。


「今日は母上にお手玉を見せかったのに。こんなところに来ても、楽しくありません」

「おやおや」

「穂垂さん。お墓参りの時は、良い子にしていなければなりません」

「でも」

「でも、ではありません」

「うぅ……分かりました……。そしたら、後できっと見てくださいね、母上」


 春哉と紅香、そして二人に手を引かれているのは甥の穂垂だ。三人とも涼葉と同じく、白い礼服で歩いている。


「あっ、上様だ。こんにちは!」


 涼葉は微笑んだ。


「はい、こんにちは、穂垂さん。兄上も紅香さんも、暑い中御苦労様です」

「涼葉さんこそ、御苦労様です」

「涼葉は疲れていないかい?」

「問題ありません。ありがとうございます、兄上」


 少しの間、彼らと歓談していた涼葉だが、早めに菊斗と合流して帝室の墓に向かわねばならない。涼葉は簡単に挨拶をして三人と別れた。

 彼らさえいれば、この国は安泰だ。涼葉は安心して政務をやれる。だから──彼らもろとも滅びるような結末になど、絶対にさせない。必ずや病鬼を討ち、祖良御魂神そらのみたまのかみに認めてもらう。


「涼葉様、お待たせ致しました」

 白い喪服を着た菊斗が侍従を連れて近づいてきた。涼葉は微かに違和感を覚えた。

「菊斗、声がいつもと違うような……もしや病に罹りましたか」

「いえ、ただの声変わりだそうです」

 菊斗はちょっと嬉しそうだった。

「しばらくは掠れた声になりますが、そのうち低い声になるそうです」

「あら」


 涼葉は菊斗の喉をまじまじと見た。まだこんなに細っこいのに、菊斗はだんだんと成長しているらしい。


「そういえば、背も伸びていますよね。毎日見ているので、よく分かりませんでしたが……」

「はい。今朝方、計って参りました。初めてお会いした時より、二寸ほど伸びたんですよ」

「二寸!? それは……驚きました。育ち盛りの殿方はやはり違いますね……」


 そんな話をしながら、先代帝であり涼葉の長兄でもある、上津島藤生の墓前に参じる。桐菜から白百合の花束を受け取った涼葉は、艶やかな丸い墓石の前にしずしずと進み出て、花をお供えした。一歩下がり、手を合わせてこうべを垂れる。


 疫病から民を守るという兄上の悲願、必ずやこの涼葉が達成してみせます──そう、心の中で誓いながら。


 先々代帝であり涼葉の父、上津島千秋と、その妻──つまり涼葉の母の久保山玉乃たまのの墓でも、同様の礼をした後、更に前の帝室関係者の墓を巡る。


 それにしても暑すぎやしないだろうか? 少し歩くだけで疲れてしまうような気温だ。

 とはいえ今年は春哉が天候を注意深く調整しているし、この時期にある程度は気温が高くならないと稲も実りが悪くなるというから、我慢するべきなのだろう。


 きちんとお参りを終えた後、涼葉は兄の墓から少し外れたところにある小さな墓石の方へ行った。菊斗も共に来てくれた。

 そこには既に献花がされており、その前には亜麻色の髪の女性が少数の侍女を連れてぽつねんと立っていた。


「明海さん」


 涼葉は声をかけた。明海は涼葉を見る事なく、侘しげな表情で墓石を見つめていた。

 石には、上津島朱音あかね、と刻まれている。明海が産んだ時に亡くなってしまった、藤生との間の女児──即ち涼葉の姪になるはずだった子の墓である。


「……いつもここまでお参りに来てくださってありがとう、涼葉さん。今年は菊斗さんまで」

「当然の事です。今日はもう穂垂さんが疲れてしまったので兄が来られず……すみません」

「お気になさらないで。命あっての物種ですもの。殊に幼子はちょっとした事で命を落としてしまいかねません」

「……はい……」

「涼葉さんも、くれぐれもお気を付けて。大変なお仕事でしょうけれど、必ず生き延びて下さいね」


 帝室関係者には内々に、祖良御魂神からの神託の内容を伝えてある。明海にも話は行っているはずだ。上津島氏存亡の危機を乗り越える事、必ず病鬼を倒して涼葉自身も生還する事、──明海は暗にその二つについて言及している。

 子と夫を亡くした者の言葉として、それは涼葉に重くのしかかった。

 相討ちでは生温い。そんな覚悟では何も成せない。完膚なきまでの勝利を手にするつもりでいなくては。


「──はい」

 涼葉は答えた。

「お任せ下さい」

 それまで黙っていた菊斗が、やや掠れた声で、しかしはっきりと述べた。

「僕が必ず涼葉様をお助けします」

「まあ」

 明海の目が煌めいたように見えた。

「では、頼みましたよ。私には叶えられなかった夢……菊斗さんに託します」

「はいっ」

 菊斗は力強く頷く。涼葉の胸に、切ないやらありがたいやら、何とも複雑で形容し難い思いが去来した。


 明海は墓に向き直った。

「私はもうしばらくここに居ます。上様、菊斗様、どうぞお先に」

「では、私たちはこれで失礼致します」

 涼葉と菊斗は改めて墓に礼をした後、散野霊園を去った。


 大内裏に入り牛車を降りると、そこには涼葉を待ち構えていた人物が居た。

 日々病鬼探しの占いをしている、常岩である。牛車の御簾が上がるのを待たずして、彼は言った。


「お疲れの所、申し訳ございません。急ぎご報告がございます」

「何ですか」

「占いで病鬼の居場所が出ました。実際に見つけられるかどうかは、五分五分でございますが」

「行きましょう」


 涼葉は躊躇いなく答えて立ち上がった。


「誰ぞ、菊斗に伝達を。それから今すぐに動きやすい服を用意して」


 一旦、内裏で着替えを済ませた涼葉は、葵龍きりゅうを連れて再び牛車に乗った。前方を行く牛車には菊斗が乗っている。


「もう。牛では遅すぎるわ。宸洲国しんしゅうこくには馬車なるものがあるようだし、空光国そらみつのくにでも早く導入すれば良いのに」

「今度試してみるよう伝えましょうか。乗り心地は保証できかねますが」

「是非そうして。私の乗り心地などよりも民の命を優先したいもの」


 常岩の占いでは、病鬼は倖和京の北東部にある宝宮御所ほうぐうごしょより、やや南に位置する通りに出現したという。

 到着した涼葉は、葵龍を絡ませた右手を前に出しながら、注意深く牛車を降りた。菊斗も既に陸蟲りくちゅうを出して辺りを見渡している。

 確かに、この辺りは瘴気が濃い。しかし──。


「菊斗」

「はい……」


 病鬼ともなるとそれなりの大きさであるはずで、居るならば一目瞭然に分かるはずだった。だが敵の姿はない。


「でも絶対、ここに居ましたよね。きっと逃げられてしまったんです」

「敵の逃げ足が速いのは、今回の病鬼狩りがうまくいかない最大の要因ですが……。一応、葵龍に探らせましょう」

「お願いします」


 涼葉は右手を上に差し出して、葵龍に空から病鬼を探させたが、やはり見つからなかった。


「一足遅かったようですね……」

 涼葉は額に手をやった。脳裏に、先程お参りした墓の様子がちらつく。──もたもたしてはいられないというのに、何とも歯痒い。

「でも、これまでで一番、近くまで迫る事ができました。次は上手くいくかも知れません」

「……そうですね。前向きに考えましょう」


 帝が挫けるのは最も良くない。自分に任せておけば大丈夫だという事を、態度で周囲に示さなくてはならないのだから。


 改めて大内裏に戻った涼葉は、先触れにより今回の失敗を聞かされていた常岩から、丁重な謝罪を受けた。


「気にしないで下さい。むしろ今回、後一歩の所まで病鬼に近付けたのは、貴方のお陰です。礼を述べます、竹井沢常岩少納言」

「滅相もございません」


 常岩は石畳の地面に頭を擦り付けんばかりに平伏している。このままだと長引きそうなので、涼葉はさっさと内裏の慈浄殿じじょうでんに戻り、菊斗と共に遅めの昼餉を取った。

 汁物などはわざわざ火を熾して温め直してくれたようで、変則的な事態であっても柔軟に対応してくれる厨房の者たちにも、感謝の念が湧き起こる。

 こんなに多くの人に支えられながら、涼葉は帝として君臨している。涼葉も帝としての役目を必ず果たさなければ。


「──菊斗。午後はお勉強よりも、訓練をしましょうか。陸蟲も、戦いが不発に終わって、そわそわしているようですし」

「そう、ですね」

 菊斗は袖を持ち上げた。

「お気遣いありがとうございます」

「いえ、私もいささか焦っていますから。何かしていないと、気が休まりません」

「……分かりました」

「今なら、宝宮御所にも病魔が出るかもしれません。お住まいの皆様方のためにも、祓ってしまいましょう」

「はい」


 涼葉の読み通り、宝宮御所では三匹もの病魔が見つかった。特に春哉たちの住居付近で出くわした病魔は涼葉の背丈ほどの大きさがあり、肝が冷えた。こんなものを放ったらかしていたら、祖良御魂神に見放されるより早く、帝室は存亡の危機に瀕していたかも知れない。


 より強くなった陸蟲は、その体躯からは想像もつかないほど大きな口を開けて、病魔の頭を首ごと齧りとった。それをバリバリと咀嚼してあっという間に飲み込むと、尻尾をブンブンと振りながら病魔の遺骸を貪った。


「陸蟲は調子が良さそうですね」

「はい。先日の術が上手くいったからこそです。それと、僕自身の体が大きくなって霊力が強まったのも、関係していると思います」


 確かに、ある種の人間は成長に伴って霊力が増す。帝室の者も、ある程度大きくなってからでないと、使い魔の龍を賜る事ができない。


「僕、いっぱい食べていっぱい眠って、うんと強くなりたいです」

「それは、良い事です。応援しています」

「ありがとうございます!」


 そう言って菊斗は、軽く咳払いをした。


「すみません、どうも声が出しづらくて」

「それも、菊斗が成長している証でしょう。喜ばしい事です」

「はいっ」


 つまり菊斗は、まだまだ大きくなりるし、ますます霊力が強まるのだ。この様子では、涼葉よりもずっと強い霊力を使うようになるのかもしれない。


 命の力には、誠に計り知れないものがある。


 ここは温かく見守りたいところだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る