第11話 調伏


 涼葉は朝透院の外廊下で、ぐるぐると天を巡っている柏龍はくりゅうの姿を眺めていた。


「病鬼、見つかりませんね、兄上……」

「見つからないね……」


 占いは毎日やってもらっているし、葵龍にも隙を見つけては捜索に当たらせているのだが、疫病の根源である病鬼が一向に見つからない。

 一刻の猶予も無い、との神託を授かったからには何としても早く見つけて成敗せねばならないのに、このままでは手も足も出ないまま滅ぼされてしまう。神様の時間感覚は人間とは違うとはいえ、そうそう長くは待ってもらえないかもしれない。困った。


「田植えの状況は如何ですか」

「どこも順調だよ。気温も水量も日当たりも、いつになく理想的だ。害虫も少ない。きっと今年は豊作になる」

「それだけは救いですね」


 疫病に凶作が重なっては、大惨事に繋がりかねない。


「ご苦労様です、太政大臣。礼を述べます」

「ありがたき幸せ。……この調子なら民も去年より幾分ましな暮らしができるだろうね。神社での炊き出しも、滞りなくできているし。ただ、これがいつまでも続くわけじゃない」

「はい」


 やはり病鬼を倒さないことには、空光国は衰退する一方だ。

 その時、何やら声が聞こえてきた。


「ここに来ればいいんだよね?」

「はい。私の占いではそう出ました」

「何も居ないようだけど……あ」


 何故かお供を連れて内裏を出てきたらしい菊斗が、涼葉の姿を見とめてお辞儀をした。


「おはようございます、上様、太政大臣殿。お勤めご苦労様です」

「おはようございます。菊斗、どうしてここへ?」

「これを」


 菊斗は抱えていた小さな壺を示した。


「おまじないの準備をしておりまして……今ここに来れば強い病魔が見つかると、夕真が占ってくれたんです」

「ここに? しかし内裏と同様に、大内裏もまた神聖な場所です。病魔は滅多に出ないと思いますが」


 涼葉はちらりと柏龍が空を舞う姿を見やった。


「そうですね……」

 右手を持ち上げる。途端に強烈な風が巻き起こり、ちょっとした樹木ほどの大きさの葵龍が空に登って行った。

「病鬼はまだ見つけられていませんが、この付近の病魔なら葵龍が探すのが手っ取り早いでしょう」


 菊斗はややすまなさそうな顔になった。


「お手を煩わせてしまって申し訳ないです」

「いいえ。病魔が減るのなら願ったり叶ったりです。さて──」


 涼葉は桐菜に、二人分の輿と牛車の用意を頼んだ。


「病魔が見つかったら、上様も行かれるおつもりですか」

「一度ちゃんと見ておきたいと思って」

「……。……承知しました」


 涼葉が少しでも危険な真似をするのが桐菜は許せないのだろうな、と思ったが、病魔ごときに尻込みしていてどうして病鬼と戦えようか。むしろこれは良い訓練になるだろう。父も兄も、決戦の前にはよく病魔を狩りに出ていた。涼葉も急いで取り組まねばなるまい。


 やがて葵龍が風の如き速さで帰ってきた。ギャギャギャ、と涼葉にだけ分かる言葉で大まかな場所を伝え、これから案内すると主張している。

 涼葉はその旨をみなと共有し、急遽、涼葉と菊斗は出かけることとなった。涼葉の伝えた通りに、牛車は進む。そして、倖和京の中でも西の方に位置する尾木おぎ通りに差し掛かったところで止まった。


「ありがとう。降りるわ」

「お気をつけて」

「大丈夫よ、桐菜」


 涼葉は御簾を上げて足場を用意してもらい、ゆっくりと道に降り立った。既に瘴気が濃くなっている。病魔の居場所は近い。

 隣では菊斗が、きょろきょろと辺りを見回している。


「菊斗。病魔を葵龍に連れてきてもらっても良いですか」

「うーん、……そうですね。お願いします」

「ですって。行ってらっしゃい」

「ギャギャギャ」


 葵龍は涼葉の背丈ほどまで大きくなると、立ち並ぶ屋敷に囲まれた横道へと消えたかと思うと、すぐにぐるぐる巻きにした病魔を連れてきた。

 病魔な色はやはり赤黒い。頭にはねじくれた角が三本生えている。大きく口を開けて曲がった牙で葵龍に噛みついているが、葵龍には全く効いていない。


「……!」

 侍従と侍女たちがいささか動揺している。対して菊斗は至って冷静にそれを見据えていた。


「ありがとうございます、涼葉様。拘束を解いてもらってもよろしいですか」

「分かりました」


 葵龍が病魔を解放すると、病魔が動き出すよりも早く、菊斗は壺の封を開けて口を病魔に向けた。


「こっちだ。入って来い!」


 病魔の濁った瞳が壺に吸い寄せられる。次の瞬間、病魔は猛烈な速さで吸い込まれるようにして壺に飛び込んでしまった。すかさず菊斗が壺に蓋をして、素早く紐で括った。

 漂っていた濃厚な瘴気が、あっさりと晴れる。


「できました! ありがとうございます」

「まあ……」


 涼葉は手を口元に持って行った。


「何と呆気ない。見事ですね、菊斗」

「お褒めに預かり光栄です!」


 菊斗は心底嬉しそうに涼葉を見上げた。無邪気な笑顔がくらくらするほど眩しい。


「はわわ……」

「えっと……どうかなさいましたか?」

「いえ何でも──」


 言いかけて、涼葉は思い直した。


「──ただ、菊斗がいつもより一層頼もしく、愛らしく見えただけですよ」

「えっ……えっ? そんなことをお考えだったのですか!?」

「ええ、そうですよ」

「えっ!? あの、その……」

「ねえ菊斗、これからは私におまじないの協力をさせてはもらえませんか? これはきっと良い練習になると思うのです」

「……あの……はい……」


 菊斗が赤くなって俯きながらも返事をする。


 こうして、涼葉と菊斗がしばしば病魔狩りをする日々が始まった。


 葵龍は病魔を締め付け、尾ではたいて地面に叩きつけ、噛み付いて牙を立てた。雷を呼ぶのもかなり上達してきた。まだ狙いが定まらないところがあるが、ひとまずそれなりの威力のものを落とせるようになってきた。

 そのようにして弱らせた病魔を、菊斗が霊力で呼び寄せて壺に閉じ込める。その繰り返し。


 菊斗は慎重に壺の様子を観察していたが、山の新緑が濃くなってきた頃、そろそろ充分だ、と涼葉に伝えた。

 虹希殿こうきでんにお邪魔した涼葉は、背筋を伸ばして壺を見つめていた。


「材料は揃いました。後は陸蟲を放り込んで、術を発動させ、五日後に様子を見ます。きちんと戦いが終わっていたら、封印を解きます」

「分かりました」

「では、行きます」


 菊斗は左の袖から黒犬を引っ張り出し、壺の口を開けた。


「陸蟲、入れ。契約更新だ。勝って来い!」


 わんっ、と陸蟲が壺に吸い込まれる。菊斗は壺に封をして、「おん」とだけ唱え、房の隅に壺を置いた。


「五日後、封印を解くのですね」

「はい、恐らくは」

「その時、菊斗は出てきた陸蟲を調伏するのですね」

「はい」

「では調伏の際は、私もそばに居ることとします」


 菊斗はぎょっとしたように身を引いた。


「だっ、駄目です! 危険です!」

「あら、真っ先に陸蟲の標的になるのは、菊斗なのでしょう?」

「でも……! 万が一僕が負けたら、凶暴化した陸蟲が野放しになってしまいます。そうなれば、涼葉様も確実に巻き込まれてしまいます」

「今更何を言うのですか」


 涼葉が揺るぎない声で告げる。


「菊斗は既に、本来ならば帝の務めであるはずの病鬼狩りに巻き込まれているのですよ」

「それは、僕が涼葉様に婿入りした以上、当然のことです」

「そうです。私たちは婚姻の際、互いに助け合い、苦楽を共にすることを、祖良御魂神様に誓いました。菊斗が私のために頑張るというのに、私がそばに居らずしてどうするのです」

「それは違いますよ! 僕と涼葉様では、立場が違うではありませんか。僕にはいくらでも代わりはいますが、姫帝は今この世に涼葉様ただお一人です!」


 涼葉は、ちりちりと腹の底で怒りが燻るのを感じた。

 ──落ち着け、深呼吸。


「帝にも、代わりは存在します。血筋さえ絶えていなければ、誰にでも務まる仕事です」


 静かに淡々と話すつもりだったのに、少し声が震えてしまった。


「しかし、私にとって菊斗に代わる夫は存在しません。この意味が分かりますか?」


 菊斗は凍りついたように動かなくなったが、しばらくして、蚊の鳴くような声で、すみません、と言った。


「分かりました……失言をお許し下さい」

「良いでしょう」


 涼葉は、ふう、と息を吐いた。


「では、私がそばに居ても構いませんね?」

「はい……。でも、決して手出しはしないで下さい。陸蟲は僕一人で調伏しなければ、契約がうまくいきません。葵龍を出すのは、僕が負けた時だけにして下さい」

「分かりました、そうしましょう」


 ──そして、五日間が経過した。


 壺の中での争いは決着がついたようだ。


 人払いをした虹希殿にて、壺と向き合って立つ菊斗の後ろ、なるべく下がった位置に、涼葉は座っていた。


 壺の中では、殺し合いに勝利した最後の一匹が、力と怨念を溜め込んで待っている。

 菊斗は裳や飾りを取り払った簡素な衣装で事に挑むようだ。


「行きますよ、涼葉様」

「はい、菊斗。くれぐれも気をつけて」

「もちろんです」


 菊斗は、えいやっと壺の封を剥がし、すぐに身を起こした。右手の指を二本揃えて立てて、腰を低くする。

 壺から飛び出してきたのは、かつての姿より一回り大きくなった黒犬だった。禍々しい気配をまとって畳に着地し、菊斗に牙を剥いて唸っている。


 菊斗の霊力が極限まで高められるのが、肌で感じられた。


「来い!」


 菊斗が腹の底から声を出す。

 目にも止まらぬ速さで飛び出してきた陸蟲の動きが、菊斗の霊力に阻まれて、空中でぴたりと止まった。

 そのまま、膠着状態に陥る。


 ──半刻ほどが経ったが、両者ともぴくりとも動かない。

 菊斗の首筋を汗が伝っている。

 涼葉は何も言わず、目を見開き、固唾を飲んで勝負の行方を見守っていた。


 先に集中が切れたのは、陸蟲の方であった。僅かに殺気が緩んだ瞬間を、菊斗は逃さなかった。身にまとった霊力を操って、徐々に陸蟲を囲い込んでいく。やがて陸蟲は押し負けて、菊斗の霊力の中に完全に取り込まれてしまった。


「──お前の負けだ。僕に従え」


 菊斗の言葉に、陸蟲はきゅうんと鳴いて答えた。

 ふっ、と菊斗は霊力を解き、すとんと座り込んで手を伸ばした。


「おいで、陸蟲」

「わん」


 陸蟲は尻尾を振って菊斗の腕の中に飛び込んだ。ひとしきりその毛並みを撫でた菊斗は、陸蟲を袖の中に仕舞い込んだ。やや疲れた様子で、涼葉の方を振り返る。


「お待たせしました。調伏完了です」

「お疲れ様でした。うまくいったようで何よりです」

「涼葉様のお陰です」


 菊斗の言葉に、涼葉は首を傾げた。


「私はただ見ていただけですよ」

「いいえ。ここで負けたら涼葉様を危険に晒してしまう、と思って、僕は何とか耐え切ることができました」

「まあ」


 涼葉は立ち上がり、菊斗に近づいて座ると、その手を取って包み込んだ。


「では、二重にお礼を言わねばなりませんね。私のために蠱毒を実行してくれたこと、そして私を守ってくれたことに、深く感謝します」

「もったいないお言葉です。僕の方こそ、その……お役に立てて、嬉しいです」

「うふふ」


 涼葉は優しく笑った。


 明日からは、強くなった陸蟲を加えて、病魔と戦う訓練ができるようになる。

 改めて、気合いを入れ直そう。

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