第10話 花宴
涼葉が祖良御魂神からお言葉を頂戴してから、数日が経過した。
神託の内容を知らない貴族たちは、
近頃どうにもぴりぴりした気分でいる涼葉は、思わず朝議で苦言を呈してしまった。
「花宴など開いている場合ではありません。困窮した民から貰い受けた富で呑気に桜を眺めて飲み食いするだなんて、みなさんには危機感や罪悪感というものが無いのですか。もっと他にやるべきことはたくさんあります」
佐野原月路左大臣、久保山泉雲右大臣をはじめ、朝議に参加している面々は当惑していた。
「畏れながら、姫帝。私たちがある程度、贅沢で豊かな生活をすることにも、きちんとした意味がございますぞ」
泉雲がやんわりとたしなめる。
「たとえば、もし催事を減らして新しい着物を仕立てるのをやめてしまったら、着物屋や商人が稼ぎを失って困るでしょうな」
「では……! 民ではなく、私たちが身を削るべきです! 民から得た税からではなく、私たちが持ち物を少しずつ売るなどして、費用を捻出すれば良いではありませんか。さすれば、税を浪費することなく、民のために使うことができます」
一同はざわざわと声を上げた。
「畏れながら」
今度は月路が発言する。
「売る、と仰いましても、我々貴族の持ち物を欲する下々の商人は、さほど多くはないのではないでしょうか。あれらは貴族の間でこそ、売り買いが成立するものです」
「でしたら、宸洲国などからの渡来人の商人に売れるような、空光国特有の品を見繕えば良いだけのことです。それであれば高値での取り引きが可能でしょう」
「はあ、それは確かに、一理ありますが……」
月路は渋い顔で言葉尻を濁した。その後も、ごちゃごちゃと議論が迷走する。結局、花宴は通常通りに開催することとなった。
涼葉はいよいよ落ち着きを失い、その気持ちを誤魔化すようにして、葵龍との特訓にのめり込んだ。
「葵龍、もう少し大きくなれない?」
「ギャギャギャ」
緑色の長々しい龍が、とうに花の散った庭の梅の木ほどの大きさになる。涼葉は嘆息した。
「やっぱり、私の霊力ではまだ足りないのね……。ありがとう。一度いつもの大きさに戻って良いわ」
「ギャギャギャ」
葵龍はそう鳴いて、しゅるんと体をくねらせ、小さくなった。
「ああ、あなたのせいじゃないわよ、葵龍。ただ私が至らないだけ。あなたはそんなにしょげなくてもいいの」
そうなだめても、葵龍はどことなくしゅんとしてしまっていた。
「涼葉様」
呼ばれて振り返ると、少し遠くで、壺を持った菊斗が立っていた。
「葵龍はそんなに大きくなるんですね。知りませんでした」
涼葉は微笑んだ。
「私などはまだまだです。兄の藤生などは、天にも届きそうなほど大きな龍を使役していました」
「へえ……!」
菊斗は目を丸くして驚いていた。
「それで、どのように病鬼に立ち向かうのですか?」
「龍は天変地異に干渉できる性質を持ちますから、風を起こしたり雷を落としたりするのが定石です。それから、先ほどのように大きくなって病鬼を締め付けたり、尾で叩いたり、噛み付いたりします」
「へえ……強いんですね」
「この子も一応、祖良御魂神様から下賜された使い魔ですから」
「なるほど」
涼葉は手先で龍を遊ばせながら、改めて菊斗の方を見た。腕に抱えた白くて丸い壺が目を引く。
「菊斗は、蠱毒の準備ですか?」
「はい」
菊斗ははにかみ笑いをして頷く。
「宮中には病魔はなかなか居ないので、代わりに毒虫を探していたんです。土を掘ったら
涼葉は少なからずぎょっとした。
「百足が……? 菊斗が自分で捕まえたのですか?」
「はい。火挟みを使ったので、刺されたりはしていません」
「まあ……。でも、気をつけて下さいね」
「はい。お気遣いありがとうございます。──まだ、術を発動していないので、この中にいる虫たちは眠っていますよ」
「そうなのですね」
このようにして、涼葉たちの方も着々と準備を進めているのであった。
そして倖和宮は、花宴の日を迎えた。
仲が良いのは大変結構なことだが、民を放ったらかしてこのように遊んでいては、祖良御魂神のお怒りを買って、上津島氏はあの桜の花々のように儚く命を散らしてしまうのではないかと、涼葉は内心はらはらしていた。
しかしそんなことは表情には出さず、時折桜を愛でる歌を詠んで宴の盛り上がりに貢献しながら、菊斗と静かに談笑していた。
「今日は髪を結んでいるのですね、菊斗」
「はい。ようやく、結べる長さにまで伸びたんです」
菊斗は嬉しそうに、尻尾のようにちょこんと結われた栗色の髪に触れた。
「涼葉様も、普段とは髪の結い方が違いますね。今のお姿もとても素敵です」
「えっ?」
真正面から褒められた涼葉は、少し恥ずかしくなって袖で口元を隠した。
「よく分かりましたね。その通りです。こういった行事の際は、三つ編みを太くしてもらう事が多いのですよ。いつもと違った気分になりますので」
「そうなんですね。僕ももっと髪が伸びたら、結い方を色々と試してみたいです」
こうしてくつろぐのも悪くはないかもしれない、と涼葉は思った。一日中、気を張り詰めていたら、疲れてしまって、いざという時に動けない。たまの息抜きは必要なことなのだ。
病鬼の行方がいつ掴めるかも分からない状態で、いつまでも臨戦態勢でいる事は、不利益の方が多い。
このように歓談できるのは嬉しいし、食べ物も美味しい。
お膳には、大ぶりの鰆の塩焼き、ほろ苦い蕗の煮付け、食感の良い蕨のお浸しなどが並んでいる。他にも、採れたての野苺や、米を潰してこねたものを茹でた
涼葉も菊斗も、全ての料理を美味しく頂き、酒もほんの少し口にした。
花宴はそれなりに楽しかったし、菊斗とは久々に他愛無い話ができたし、今日は気分が良い。
今宵は、しばらく中断していた歌の交換でもしてみようか。
相変わらず菊斗は星流殿にちっとも来ない。涼葉も疫病のことで頭がいっぱいになっていて、歌を交わす余裕など無かった。だが、今日くらいは、何か送ってあげても良い気がする。
火の灯った燭台の元で、涼葉はさらさらと歌を書きつけた。
花の舞う如くに
私の恋心が強すぎるせいで、あなたの恋心は、桜のように散ってしまったのでしょうか──と言うような意味合いだ。
少しばかり菊斗を試すような歌になってしまったが、これはこれで良いだろう。
じきに星流殿に返歌が届けられた。
風光る如く愛しき
春の陽光の中を吹き渡る風が輝いて見えるように可愛らしく、花の如く美しい妻の存在に、僕の恋心は生い茂る草の如く広がっていきます。
と、菊斗は言っている。
「だったら来なさいってば!」
涼葉はまたしても、思わず拳で布団を叩いてしまった。
本当に、菊斗の気持ちが分からなくて困る。
──いや、思い出してみれば、この返歌はこれまでのものとは少し違う。
菊斗はこれまで、「恋」という言葉を歌に取り入れたことは無かった。
これは偶然だろうか。それとも何か、心境の変化でもあったのだろうか。
とはいえ、歌の真意を直接尋ねるのは、あまりにも無粋なのでできない。もどかしいが、今後はもう少し歌を交わす回数を増やすことで、菊斗の本心を確かめていくのが良いだろう。
祖良御魂神は、夫婦で助け合って病鬼に立ち向かえ、というようなことを仰った。ならばお互いの心の内をよく知っておかねばなるまい。いざ戦う時になって二人でうまく連携が取れなかったら、おおごとになる。
さて、翌日の午後、葵龍との訓練を終えた涼葉は、菊斗と碁を打っていた。
近頃はもう、菊斗に手取り足取りあれこれ教え込むのは控えるようにしている。紅香に指摘された通り、菊斗を支配しようとするような真似は、徐々に減らすことに決めたのだ。
その点、碁ならば、対等に勝負ができて頭も使えるので便利だった。
「……はい、涼葉様の番です」
「あら、痛い所を突かれてしまいましたね。では……」
この日の対局は、涼葉の勝利に終わった。
「完敗です。さすが涼葉様、お見事でした」
「ふふ、ありがとうございます」
「それと、ついでに、一つお願いがあるのですが……」
珍しく菊斗がそんなことを切り出したので、涼葉は訝しげに耳を傾けた。
「僕にも、涼葉様の本当のお姿を見せて頂けませんか」
「えっ?」
涼葉は本気で意味が分からず、菊斗の顔をまじまじと見つめた。
「私の本当の姿とは……一体どういう意味ですか?」
「涼葉様は、僕に会う時は大抵、姫帝であろうとしていらっしゃいます」
菊斗は真剣な様子でそんなことを言った。
「いつでも凛としたお姿で、完璧な御方であろうとなさっているように見受けられます」
「そう、ですか?」
「はい。──例えば、
「……あら……」
「お願いします。このままでは、僕ばかりが涼葉様をお慕い申し上げているように感じてしまい、少々つらいのです……」
「まあ……」
慕っていると直接告げられて脈が速くなった涼葉だが、とりあえずよくよく己の行動を思い返してみた。
──もしかして自分は、菊斗の前では、無意識に姫帝として立派に振る舞おうとしてきたのだろうか? 否定はしきれない。いや、言われてみると全くその通りだと思わざるを得ない。
「……すみません」
気付けば涼葉は謝罪していた。
「菊斗につらい思いをさせていたことに、気付きませんでした。確かに私は、夫婦にしてはいささか菊斗によそよそしい態度を取っていたのかもしれません」
「そんな、涼葉様が謝るようなことではないのです。これはただの僕の我儘で」
「いいえ。夫婦として対等で素敵な関係を築きたいと願っているのは、私も同じです。ですから、その……」
涼葉は束の間、考え込んだ。
「……そうですね、少し時間をもらえますか。私は己の態度を見直してみます」
「はい、もちろん、いつまででもお待ち申し上げております。決してご無理なさらないで下さい」
「ありがとうございます、菊斗。……ひとまず……少し、手を伸ばしてもらえますか」
「手ですか? はい……」
そろりと差し出された右手を、涼葉は両の手で包み込んだ。
「こうして菊斗を愛おしく思っていること、これだけは真実です。それを覚えていてはもらえませんか」
そう言うと、菊斗は例の如く顔を真っ赤に染めた。
「分かり、ました」
「ふふ」
涼葉は手を離した。
「お互い、もっと素敵な関係を築いていきましょう」
「はい。よろしくお願いします」
二人は微笑み合った。
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