最後の女

司弐紘

90年代のボクらは

『 BドライブをディスクCからディスクFに交換して下さい 』


「おっしゃあ、来たー!」

 「卒業アルバム」というエロゲにおいて攻略中のメインヒロイン「久樹由那」のルートに変化があったことでカズマは快哉を叫んだ。

 90年代のPCゲームにおいて、ハードディスクは基本的に実装無しで遊べるように、大量のディスクにデータが分割されて販売されている。ちなみにCDですらまだデータ媒体ではないのでカズマの使っているPC-9801DOでは5インチフロッピーディスクだ。

 だからこそディスクの交換は「新しいルートに進んだ」ということが、実にわかりやすく実感できるというわけである。

「よぅし、やっぱ二日目に哲平無視するんがフラグやな。いつからフラグ立てなあかんねん」

 ブツブツ言いながら、カズマはディスクを交換。ウィンウィンとデータを読み込む音。これで新しい台詞が――


『哲平君に意地悪したんだね』

「しました。ええ、しました」


 由那の台詞に感激しながら、カズマはCTRモニターに話しかける。当時はやたらに大きなCTRモニターがないとどうにもならない。しかしそれだけにグラフィックは美麗で、カズマはめくるめく肌色の予感に興奮していた。

 何しろ関門を突破したのだ。後は常道の選択を繰り返せば、ムフフな由那のグラフィックがCTRモニターに現れるはず。

 だったのだが――

「なんでだ!? ディスク交換したんは、あの台詞ためだけか!?」

 ディスク交換は摩訶不思議。わけのわからない交換を要求されることもあるが、今回は結局一回だけの交換で、いつも通り由那は哲平と恋人になって卒業していった。

 難易度最高峰とも言われる「卒業アルバム」。何より恐ろしいのは、このゲーム。失敗すると哲平に由那が取られて終わるというエンディングを迎える点だ。

 ちなみにまだ「NTRねとられ」という言葉はエロゲにおいて一般化していない――


                ●


「で、ずっとかかりきりなんか」

「……ああ」

 サークルの部室で、目の下に黒々とした隈を貼り付けながらカズマはサークル仲間のノブタカの質問に応じていた。

「今は休憩で学校に来とる」

「休憩て……」

 当たり前に二人は授業に出るつもりは無い。大学には遊びに来ている以上の価値は見出せない――これでも一、二回生で必修は済ませている二人だ――状態なのだが、そうすると家にいると休めない、とカズマが言っているということになる。

「家におったら何時でも手を出せるやろ? そしたら、あれをやってみたい、あれやったっけ? で眠れん」

「そのやり方はどうやねん」

 ノブタカももちろんゲームはやる。

「それもわかってる。やから、タイムスケジュール書き起こして、行けるとこで何が起こるのか確認しとるんや」

「お、地道に行きますなぁ。そやったらすぐに……」

「一つの場所ごとに10分ずつしか時間進まへん」

「それは」

 ノブタカの顔が青くなる。

「しかもマジで、ピンポイントで10分しかその場に現れへんねん。しかもそれがフラグになってるかもわからん。そやねん。問題は手応えが全くないところやねん」

 パイプ椅子に背中を預け、カズマはハァァァァ、と盛大なため息をついた。

「書き起こしてる最中に、何度も思うんや。『これであっとるんか? もっと簡単に出来るようになってるんちゃうか?』って」

 この当時、ネットはそこまで発展してないし、何よりカズマもノブタカもネットに繋がる環境ではないので攻略に役立つ情報に接することは希だ。それにエロゲであるので、メジャーなコンシューマのゲームとは違って攻略本もない。当然、クリアデータをプログラムに放り込むといった強引な手段も使えない。

 ユーザーは個人個人が己の知力、経験、スケベ心を注ぎ込んで戦い続けるしかなかったのである。目当てのヒロインを脱がせる――いや落とすために。

「いや、あのゲームな。かなりヤバいらしいで。諦めた奴が結構というか、そんな奴しか知らん。それに『Xeek』の例があるやろ。そういうゲームなんや」

 「Xeek」とは、ゲーム画面の中の砂漠で本気で針一本を探させる、ということで名を馳せたPCゲームだ。90年代より前の一般RPGゲームだが難易度が壊れているゲームはまだまだ多い時代だ。

 単純に難しいだけではなく、ご褒美グラフィックを全部パッケージの裏に載せるという無茶苦茶をやる「坂道2」というゲームがこの後に出現するのだから、何をか況んやである。

「日本橋で見つけたときはラッキー、やったんやけどな。しかも2980円」

「あれはそもそも売れてないんとちゃうか? で、買い取ってもハケへん、という地獄」

「そのパターンか……」

 大阪最大の電気街「日本橋」は、そのまま中古ゲーム店の本場でもある。カズマたちは定期的に日本橋に通い、中古ゲームの相場を意識せずとも体感していた。しかし、時折理由がわからない価格のゲームが現れるときがある。

 それに理由を求めるのもゲームファンの楽しみではあるのだが、自分が直撃を食らうとダメージは甚大だ。

 ましてやそれが「卒業アルバム」クラスともなれば――

「来月に望みを託すか?」

「そこまでやることがない。やから難易度高いのも計算してたんやが……」

 購入した時点で、地獄の蓋は開いていたのだ。


                 ●


 そこからの数日、カズマは日に日にみすぼらしくなっていった。

 口から出てくる言葉は――


「由那だけやないねん。キャラ全部が10分単位で動いとる。そりゃプログラムならそれ簡単にできるわなぁ」

「あかん。あっちとこっちと両方に由那が出てくる。俺はどっちの由那をおいかけたらええんや?」

「哲平も……哲平もフラグ管理が必要なんかも知れん。あいつのフラグ踏まんように動かんと毎回あいつのいきった顔で腹が……差分? 作ってるにきまってる。あんなのに毎回由那をとられるんやで」

「全然上手くいかへん。スケジュールは書き起こしたはず……ああ、フラグ立てたらスケジュールが変化するんか。やけど、そのフラグがあってるのかどうか。ダメフラグの可能性があるし」

「フラグ一個ずつ確認せなあかんのか。それで、フローチャートも起こすんか。ジャイスは俺らをデバッガーにしとるんか?」


 末期である。

 ゲームも、カズマの人生も。

 「卒業アルバム」は一世を風靡した「同輩生」タイプと言われる、舞台となる町の中で動き回り、女の子たちに出会い、それを繰り返すことで恋人になって事をいたすことを目的としたアドベンチャーゲームである。

 このゲームのフォーマットはよく出来ていたので類似品はたくさん出ていたのだが「卒業アルバム」を制作した「ジャイス」はその難易度を上げることで差別化を図ったようだ。

 「同輩生」の完成度はあまりにも高く、ユーザーはこの時全員が「同輩生」の幻を追いかけていたと言っても良い。

 「同輩生」は同時攻略も可能な程度な難易度であり、最初は「卒業アルバム」でもそれを目指していたカズマなのだが、一般に難易度が下がるはずの「一人ずつ攻略」に切り替えても、糸口すら掴めない。

 なにしろ由那のみならず、他のヒロインでさえ「影も踏ませぬ」というつれなさなのだ。カズマはビジュアルが好みだった「久樹由那」攻略を一端諦めて、当たり前に浮気をしていたのだが。それでもどうにもならない。

 その手の雑誌「PCフェアリー」の紹介記事では、肌色画面は実装されているらしいと判断できるのだが、実際にゲームをやると哲平の前で肌色をさらけ出したとしか思えない由那の台詞が毎回襲いかかってくるのである。

 この当時、もちろん音声はない。つまりはユーザーはそれぞれ好みの声で自動的に脳内再生していた――いや、せざるを得なかった。

 攻略するためにゲームを進め、データ収集のために最後までやらざるを得なかったユーザーに向けて、毎回他の男に抱かれたことを匂わせる由那。

 これは病む。圧倒的に病む。

 それでもユーザーは、カズマたちは肌色画面があることを信じ、データを集め、スケジュールを書き起こし、フローチャートを再現し、選択肢を選び。メッセージスキップの「CTRL」キーを押し続けるのである。

 何度も言うが、90年代である。

 音声すらないのだ。もちろん匂いも柔らかさもない女の子相手にここまで夢中になり、精も根も尽き果てるまでやり続けたのは何故か?

 それはこの時代のエロゲーが、時に不条理とも思える女性の複雑さを期せずして再現していたからなのである。

 だからこそ、ユーザーはそこにリアルを感じ、征服欲を刺激され攻略の沼にはまる。それは生身相手の恋との差分は僅かであったのだろう。

 バブルも弾けて、先行きが真っ黒になった第二次ベビーブームの中にいる大学生たち。リアルな女の子に夢中になれるほど、金銭的にも心にも余裕は無かったのだ。

 だからこそお手軽に疑似恋愛を楽しめるエロゲの需要は高まり「卒業アルバム」という徒花の出現を招いた。

 そしてカズマと由那の仲はどうなったかと言うと……


「今月は抜きゲーで行こう」

「あかん。お前まだ『卒業アルバム』やる気やな。いい加減諦めや。あれクリアした奴おらんぞ」


 地下鉄御堂筋線に乗る二人は、恵美須町目指して乗り継いでゆく。今月も中古ゲームの仕入れに行くのだ。新たな沼を探すために――


                 ●


 ちなみに「卒業アルバム」は後年バグゲーという評価を受けることになる。

 何しろ90年代である。

 修正パッチなるものは存在しないし、そもそも発売されたゲームに後から修正は行えない。これもまた取り返しが利かないという意味ではリアルな女性に通じるものがあったのだろう。

 そしてネットが発達し、攻略に関して様々な武器を実装できるようになるに従って、エロゲの女の子はリアルさを無くしていった。

 もしかすると「久樹由那」こそが――


 ――エロゲユーザーにとって「最後の女」であったのかもしれない。

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