非日常の到来・前編

 今日もいつもと同じように食器を拭きアンティーク雑貨たちを整理し、オープンの準備をする。この前受け取った、ひび割れた謎の薄い板もその括りに置いてある。

 今日もいつも通りの日常が流れていた―ここまでは。


 扉にかかっている札を変えるため外に出ようとしたその時―外から聞いたことない声が聞こえてきた。時間はまだ開店前、常連二人ではないことは明らかである。

 少々、日常が破壊されてしまうような不安を感じた。この喫茶店は場所をあまり知られていないため、やってくる客も常連であることがほとんどだからだ。

 意を決してドアを開け外に出る。

 そこにいた人物は見慣れない服装をしていて、深緑の長髪を後ろで結び、目を長い前髪で隠している不思議な青年だった。

 青年はこちらに気がつくと「すみませーん!」と声をかけ近くによってくる。


「ここから最寄りの駅の場所ってどこすか?自分東京から来たんすけど、旅行中に道に迷っちゃったみたいで〜」


 トーキョウ…?全く聞いたことない地名だ…。僕はここから出なくても夢の世界の地名ならほとんど把握している。地図も把握しているが、トーキョウという地名は初めて聞いた。新しい街だろうか?それに最初に言ったエキとは…?僕が知らないだけで外にはそんなものがあるのだろうか?

 未知との遭遇に戸惑いと不安と少しの好奇心が湧いてくる。


「…ここで話すのも疲れますし、よければどうぞ入ってください」


 とりあえず彼を喫茶店の中に入れることにした。



「わあ〜…コーヒーのいい香り〜…ここって喫茶店なんすか?」


 新しくやってきた青年は店に興味津々であちこちをキョロキョロと見ている。


「ええ、一杯いかがですか?今回はサービスしますのでお代はいりませんよ」


「え!いいんすか!?…じゃあお言葉に甘えて!おすすめでお願いします!」


「かしこまりました」


 おすすめ、ということでスタンダードのコーヒーを淹れる。部屋中にコーヒーの香りが広がる。その間にも彼は辺りを見回す。


「しっかし本当にどこにきちゃったんだろ自分…地図通りに歩いたはずなんだけどなあ…ん?」


 彼はいきなり驚いたような顔をしてアンティーク雑貨たちの中に手を伸ばす。手に取ったのはこの前もらった謎の薄い板だ。


「これ!探してた自分のスマホじゃないすか!!なんでここに!?てか…ああ…やっぱ壊れちゃってる…」


「すま…ほ…?」


「あ、もしかしてガラケー派っすか?」


「がらけー…?…あ、コーヒーできましたよ」


「ん!ありがとうございます!」


 彼の前にカップを置けば、早速飲もうと口をつける。すぐに暑さと苦さに顔を歪め、砂糖を入れて冷ましてから飲む。

 僕は彼を不思議に思いながら見る。冷まさずいきなりコーヒーを飲もうとすることが不思議なのではなく、あの常連二人も知らない謎の板の正体を知り、さらに知らない言葉が出てくる。服装もこの世界では見たことがないような―僕が知らないだけかもしれないが―ものを着ている。旅行中だと言ったが、彼はどこからきたのだろうか…。

 そしてしばらくして、青年が来たことで忘れていたいつもの時間に入り口が開き、常連のジャンがやってくる。


「あれ?やっぱ開いてる…入り口の札変わってないぜ旦那〜?」


 いつもの席―今日は青年の隣である―に座り、いつものコーヒーを注文する。


「すみません、先客がいたもので」


 ジャンも隣の青年に気付き、そちらを向いて話しかける。


「先客…?お、そういやお前さん新顔だね〜。おじさんはジャン、旦那はアスターって言うの。お前さんは?」


「自分は大学生の紫薇穂高しびほだかって言います!」


「穂高くんね〜、どこから来たの?」


「東京から来ました!旅行中に迷っちゃって…ここのアスターさんにいろいろ聞こうと思って!」


「トーキョー?どこだそりゃ…?」


 やはりジャンも知らないのだろうか、その地名を聞いた瞬間に不思議そうな表情を浮かべる。穂高と名乗った青年は慌て出す。


「え?え!?東京知らない!?もしかして自分海外来ちゃった!?飛行機も船も乗った覚えないのに!?なんで!?」


「ヒコーキ…?」


 ヒコーキというまた聞いたことがない単語が飛び出す。乗り物なのだろうか?それにピンと来たのか、ジャンが口を開いた。


「…いや、今僕の中では全部繋がったよ。兄ちゃんが困惑するのも無理ねえ」


 ジャンが一人、深刻な表情で、それでいて信じられないとでも言うような顔をする。僕としては一人で勝手に納得しないでもらいたのだが、続きを口にするのをまった。ジャンの口から飛び出したのは、本当に信じられないような仮説だった。



  「…お前さん、多分別の世界から来たんじゃないか?」



「「べ、別の世界…?」」


 穂高と僕の声がハモる。別の世界だなんてこの人は急に何を言い出すんだ。根拠はなんなのだろう?そもそも“別の世界”なんて本当に存在するのか…?


「…いろいろ気になってる顔してるね旦那、まあ今話すから落ち着いてくれや」


 急にそんなこと言い出す方が悪い。別の世界だなんて聞いて冷静でいられる方がおかしい。彼自身も信じられないと思っているのが顔に出ているが、それでもこんなぶっ飛んだ考えが出てくるのは一応―職業と言うことで―彼は神だからだろうか?

 あまりにも非現実的なその仮説の根拠を、ジャンは話し始めた。


   後編へ続く

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秘境喫茶エトワール 愛好栗一夢 @ice_vanillaaji

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