“いつもの”

 この秘境の喫茶店の1日はいつも同じ、食器を拭くところから始まる。そのあとはカウンターに置かれるアンティーク雑貨たちの整理、用具などの準備、そしてオープンだ。

 僕の趣味でこの喫茶店にはアンティーク雑貨が多く置かれている。古いものは良い、作られた当時から変わることなく我々の時代までやってくる。

 この秘境もまた同じ、僕が生まれた時から変わることない景色がある。『不変』であること、僕はそれを好み、強く願う。だから僕はこの秘境を去らずここに残ったのだと思う。



 ―カランカラン

 入り口のベルがなって客が入ってくる。オープンから10分後、いつもの時間に常連客の一人がやってくる。

 少し古ぼけてところどころ穴が空いたカンカン帽に、甚平を着て眼鏡をかけている、髭が生えた中年の男性。


「よお旦那ーいつものー」


 一言言っていつもの席に座る。

 彼はジャン=アミナス。父の代からの常連である。『十大神』と呼ばれる夢の世界の上層の神の一人。と言っても彼自身は人間であり、セットの龍神の方が本体らしい。彼曰く「職業が神」とのこと、ややこしい。

 頼まれたコーヒー一杯を彼の前に置く。彼は少し冷まして一口飲んでから、僕に話しかける。


「そういや旦那、なんだか最近魔獣が凶暴になってるみたいだね、おじさんも旅の途中に襲われてる人見つけてさー」


「…そうなのですか」


「おいおい結構話題なんだぞー?魔獣の凶暴化は異変の前触れなんじゃないかってさ」


 この秘境に魔獣はいない。外の様子も知らないし僕には関係ないことだ。


「…なあ旦那、少しは外に出てみたらどうよ?ここもいいが、世界はもっとでかくて楽しくて最高だぜ?」


「僕にとってはここが最高の場所なので」


 ここ以上に最高の場所など存在しないのだ。ましてや魔獣が凶暴化してるなどという危険な場所に行く必要などない。



 ―カランカラン

 そしてまたしばらくすればもう一人の常連客がやってくる。上品で落ち着いた黒のドレスを身にまとう、銀髪の小柄な悪魔の女性だ。

 その女性もまたいつもの席―ジャンの席から二つほど空いた場所―に座る。


「おう嬢ちゃん、今日は早いなー?」


「…いつもの」


 ジャンの言葉を無視して注文を入れる。いつもの光景だ。

 彼女はクノープラ・ヴァイセンブルク。夢の世界とはまた別の場所にあるらしい魔界の貴族のお嬢様。無口で静かなことを好む人物だ。見た目は幼いが、おそらくこの中では最年長だろう。彼女は僕の代になってから、いつの間にかこの店にやってくるようになっていた。そして彼女は独特な口調で話す…これは会話を見ればわかるだろう。

 彼女の前に注文されたカフェオレを置く。


「お、またカフェオレかい?相変わらず甘いものが好きなんだな〜」


「…さっきからせせろーしいんじゃよワレ、静かにしろ」


「背は少し伸びたかー?でも相変わらず趣味はお子ちゃまだなー」


「黙れぶちまわすでぇ!?」


「ヒィ〜怖い怖い…はははー」


 …これもいつもの光景である。ジャンが弄ってクノープラが怒り、それを面白がっている。僕には何が面白いのかさっぱりわからないので、とりあえず静かにしてほしい。そしてこれでも二人は仲がいいのだ。ますます意味がわからない。




「…ん、そうだ。今日も面白いもん持ってきたぜ二人ともー」


 しばらくあのやり取りが続けば、彼はいつも通り、旅の途中で見つけた何かを僕らに見せる。この時だけは少しだけ楽しみなのだ。僕は外の世界になど興味はないが、知らないことを知るのは楽しいからだ。

 今日彼が持って来たのは、縦に長い、ガラスのような素材でできた謎の板だ。横にはいくつかボタンがついていて、外側は銀色に塗装されている。これも外で使われている道具なのだろうか?


「…何これ?」


「ん、やっぱクノープラの嬢ちゃんも知らないか」


「"も"ってこたぁあんたも知らんの?」


「そーなんだよなーおじさんもみたことない。旦那は…まあないだろうな」


「初めてみました。お二人にも知らないものはあるのですね」


「そりゃあるに決まってるだろー」


 僕はこの秘境の全てを知り尽くしている。だが、物知りな二人が知らないものがあるくらい、どうやら外は広いようだ。少しだけ怖いような、気になるような。

 クノープラが色々な場所を触っている。少し乱暴であるが…。


「げになんじゃこれ、全く動かんぞ」


「おいおいあんまり乱暴に扱うなよ嬢ちゃん」


「…壊れているのですかね?ひび割れているし…」


「いやー本当に不思議な道具だねーこいつは。ん、旦那いるかい?」


「はい、ください」


「今日は珍しく素直だねー、どうぞ」


 こういったジャンが持ってきた外のものはほとんど僕が受け取っている。いつもは一度断るのだが、今日はすぐに受け取った。これは僕にとって非常に興味深かった。なぜならあの二人も知らない道具だったからだ。




「じゃーな旦那、また来るから。親父さんによろしく伝えてなー」


「…ごちそうさま」


 そして数時間すれば、二人はいつもの挨拶をして去っていく。気づけば日は西に傾いていた。秘境を形取る岩たちの隙間から差し込む夕日も、これまた幻想的で美しい。

 入り口の札を変え、店を閉じる。また食器を拭いて用具を片付ける。

 そして全ての片付けが終わったあと、僕は今日受け取った謎の道具を見る…見れば見るほどに謎が深まっていく。


「…外の世界か…」


 僕は不変であることを好み、強く願う。この秘境こそが最高の世界である。いつだってそれは変わらない。

 ここならばいつでも穏やかな時間が流れ、平穏に暮らしていられる。

 外では魔獣が凶暴化だとか戦争だとか、そのようなこともあるらしい。僕はきっと―変わるのが怖いのだ。だからこの秘境に閉じこもる。

 だが、外の世界はそれと同じだけ、いやそれ以上に面白いものもあるのかもしれない。

 僕は少しだけ―本当に少しだけ―外の世界が気になった。


 謎の道具をカウンターに置き、店内の電気を消して自室のある2階に向かった。


 …そして、これからこの喫茶店にも変化が訪れるのであった。それはまた、別の話…。

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