Cat defying gravity
るた
Cat defying gravity
目が覚めた時には、ボクはとっくに猫だった。黒光りする毛並み。大きさはまだ子猫レベルだけど、きっと成長したら大きくかっこよくなれそうだ!目も黒い瞳がぱっちぱちで、人間ウケしそう。ほら、よく言う『なんとか映え』ってやつ。よく猫もネタにされるそうだから、きっとボクは恰好のモデル猫になれる。
鏡を見ながら尻尾を揺らしていると、白衣を着た女の人がやってきてボクを抱きかかえた。女の人は片手でボクを抱え込み、もう片手でボクの頭を撫でる。その手はとても暖かい。
「ご挨拶、して」
女の人は落ち着いた優しい声でボクに話しかける。ボクは試しに「こんにちは」と笑顔で応対すると、女の人は頬を緩ませ、呟いた。
「実験成功、ね」
実験番号『C-222』。ボクはかつてヒトだった。ヒトとしての意識をこの猫の
ヒトの意識を死体に移すっていうのは、生前訊いた話によると、身体の損傷が激しいが脳に異常はないヒトを生かすための方法で、ボクが住む『トリルノース』という街で行われる蘇生法は脳への損傷がないことが前提となるため、蘇生法が行えない脳死判定の損傷が少ない身体に、先述の身体の損傷が激しいヒトの意識と脳を移そうというものらしい。当然、脳死判定を受けた人の遺族は臓器提供と同様、生前の本人の意思と遺族の意思と併せて、遺体提供の有無を決めることができる。提供された遺体は技術庁保有の物になる。提供するということは、火葬はできないし、手元に骨のひとつも残らない。自身の大切な家族の身体は、全く知らない誰かの身体になるのだ。または、実験に失敗すればそのまま廃棄されてしまう。倫理的問題すれすれのこのやり方に、今でも提供に承諾する人は少ない。しかし、身寄りのない人、これからの技術の発展を望む人たちが承諾してくれることもある。そしてボクもその一人だった。
女の人はボクを抱きかかえたまま実験室を出る。しばらく歩くと『第10プラント』と書かれた扉の前に女の人は立った。ボクはこの施設を知らない。ここが、技術庁なのだろうか?猫になってしまったから感じることかもしれないが、この施設はひどく広く、大きく見える。目の前の扉が恐ろしく感じる。
女の人は「ごめんね、着いてきて」とボクを地上に降ろし、扉の隣にあるカードリーダーにぶら下げていた名札を当てる。すると扉はごうん、と大きな音を立てて開いた。ボクは女の人についていく。
第10プラント、という部屋の中は大量の大きな機械で埋め尽くされていて、忙しなく機械の周りを走っているのは人間ではなく、人間に近い形をしたロボットだ。ボクが周囲を見渡しながら歩いているのを見て、女の人は再び「おいで」としゃがみ込んで手を広げた。ボクもまだ歩きなれていないので助かると思い、厚意に甘えることにした。
女の人は両腕でボクを抱える。そしてボクに話しかけた。
「人間の頃の記憶、ある?」
「うーん...事故に遭った!」
「事故の詳細は?」
「車に乗ってて...気が付いたら倒れてた...」
「...生前の名前は?」
「え...っと...あれ?なんだっけ...」
「...なるほど」
ボクが顔を見上げると、女の人は若干顔をしかめていた。今思い出そうとしてわかったことだが、人間だった時のことが思い出せない。人間だったこと、意思表示カードに提供可とつけていたこと、事故に遭ったこと、それらは覚えているのに、自分の名前と事故の詳細は思い出せない。
「...まあいいよ。思い出さない方が気持ちも楽。思い出したところで、貴方は今猫だもの。遺族に会っても驚かれちゃうし」
「...知らない方がいい?」
「僕としては、そうだね、新しい人生だ、と思ってくれた方がいいかも」
女の人のようだが、一人称は『僕』なのか。ちょっと驚きつつ、女の人に質問する。
「お名前きいてもいい?」
「ああ、僕はリューニオン。此処は技術庁の実験エリアのうちのひとつで、僕は技術庁の研究員...まあ、正式ではないんだけどね。今から行くところにいる、君と同じような存在の世話を任されているんだ」
リューニオンと名乗る女の人が僕の顎を撫でる。気持ちいい。猫ってこんな感じなんだ、だから撫でるとあんなに気持ちよさそうな顔をするんだな...。ボクが蕩けていると、女の人は僕の名前を考え出した。
「うーん...何かお名前があった方が呼びやすいな.......”にゃんきち”で良い?」
「え!もうちょっといいのない?」
「ダメなのか、えー...じゃあ、"
「意味は?」
「タガログ語で『道標』。君はこの先、普通の猫よりも長く生きる...それどころか、メンテナンスができる人間が存在している限り、ほぼ永久的に。その時に、この技術庁にいる研究員のそばにいてほしいと思う。この技術庁に居る人間の殆どは、孤独を抱えている。その人たちを救ってくれるような猫になってほしい...なんてね。大それたこと言ったけど、貴方が誰よりもかわいがられて、誰にとっても大切な存在になれるように、そう思ったの」
リューニオンの表情からは、ボクに対して何かの期待を寄せているように見えた。今の話から、ボクはまずリューニオンのそばにいる必要があって、彼女の『道標』になるべきじゃないかと考えた。
「うん...いいんじゃない。ボクは気に入った!カラでもトラでもいいしね!あ!トラだと嬉しいな!強そうだし!」
「ふふ、そうね、トラきち」
「そんなににゃんきちが良かった!?」
第10プラントを直進し、また扉の前に立った。今度の扉はやけにデカイ。鉄でできたみるからに冷たさを放つこれは、リューニオンと比べても大きい。多分人間としてみたとしても規格外に大きい。よくあるロボットアニメで、大型ロボットの射出口みたいだ。この扉を開けるのに、リューニオンは今度はカードではなく、声を使う。
「研究員番号N-261010、シノブ・リューニオン」
リューニオンが声を上げると、扉から自動音声が流れる。
『研究員番号N-261010 シノブ・リューニオン 声帯認証完了しました』
音声が流れ終わると同時にゆっくりと扉が開く。半円の柵の向こう側に佇む巨大な何かの全貌が、扉が少しずつ開くたびに見えてきた。そして、目だろうか、赤く光るモノがボクにとって恐ろしく感じられた。
人間が通れるサイズまで扉が開くと、リューニオンは巨大な何かに向かって歩き出す。柵の前で止まると、巨大な何かは襲い掛かるようにリューニオンに顔を近づけた。
「シャー!!!」
思わず出てしまった威嚇。巨大な何かは動きを止めた。リューニオンも驚いたようにボクを見る。うわ、元人間なのに恥ずかしいことをしてしまったと後悔した。確かに今は猫だけど、猫だけど...!沈黙が続く空気に耐えられず、思わすボクはリューニオンの胸に顔をうずめた。
「僕を守ろうとしてくれたのかも」
「いや、自分の命が危ないという本能から来てるんじゃないかな?」
巨大な何かから声が聞こえる。その声は図体に見合わず優しく穏やかなものだ。リューニオンから顔を離し、僕の方を覗き込む。
「この子は?」
「かつての...実験体として保管していたものから意識を猫の死体に移しました。”先輩”の実験を、僕もやってみたんですよ」
リューニオンは「こっちみて」とボクに声をかけた。恐る恐る振り向くと、巨大な何かの顔が至近距離まで来ているものだから、びっくりして再び顔を背けてしまった。
「"先輩"、怖がられてますよ」
「うーん、そうみたいだね」
巨大な何かは顔を起こし、直立する。モンスターみたいなその身体は、無数の鉄骨でできているみたいだった。
「ロボットの廃材とか、まあいろいろで構成されたロボット。多分トラきちの思った通りのモンスター。だけど彼も元は人間だよ」
「へえ、この子トラきちって言うの?」
「違うっ!ボクはカラトゥラ!」
「なるほど、つまりトラきちだね」
「じゃあはじめっからトラきちでいいじゃん~!なんで結構しっかりした名付けだったのに!」
「”愛称”はそんなもんよ」
リューニオンがふふ、と笑う。そしてボクの頭を撫でた。巨大な何かはボクに名乗る。本当にひどく穏やかな声だ。
「俺は”チョコレート”という名前をつけられた。今お前が抱かれてるそいつにつけられたよ。でも呼ぶときは”先輩”って呼ぶんだもんな」
「他の研究員に共有するときはチョコレートって呼ぶとやりやすいんですよ。でも”先輩”と話すときは”先輩”と呼んだ方が話しやすいです」
そうか...。愛称か。ボクの名前は『カラトゥラ』。リューニオンとチョコレートからは『トラきち』と呼ばれる。ふんふん、悪くない。思考回路も猫に近くなっちゃったのかな?なんだかほわほわした気持ちになる。
「この子は僕が大事に保護します。でも、僕はずっと技術庁にいるわけじゃないし…。いないときは、”先輩”、お願いしますね」
リューニオンがチョコレートを見上げる。彼は「仕方ない」と呟いた。彼に表情の起伏がわかるようなシステムや機構はないが、声だけで何を考えているかわかりそうな気がした。
永遠の街、トリルノース。ボクは第二の人生を猫として生きることになった。ボクはまだ知らない。この先ボクが誰かの『道標』となることを。運命に逆らって戦うことを、ボクは何故死んだのかを正しく理解する時が来ることを。
そんな『誰か』と出会うことを、ボクは予想できるわけもなかった。
―2027年2月22日 実験番号『C-222』 実験成功
研究員番号N-261010により今後経過観察が行われる
Cat defying gravity るた @armmf_f
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