社会と俺

白川津 中々

 世間では特定団体の不正会計だの芸能人の不適切な発言だの飲食店利用者の炎上動画だのが話題になっているが俺には何一つとして関連のない事象であった。


 各々が各々の正義を振りかざし、糾弾する者も擁護する者もそれぞれの立場で戦っているようだが俺の手の届く範囲になく「へぇ」という感想しか持てないでいる。対岸の火事でもない、遙か遠方で起こっている災害のようなものだから、テレビを観ているのと変わらないのだ。

 俺は基本的に何もかも他人事で、人生さえ自分のものだという認識が薄く、常に何かに流されて生きてきたから、どうにも世間というのに実感が湧かない。当事者意識がないから問題を能動的に考えられず、いつの間に時間が過ぎていく。社会で起こっている不条理についても同様に他人事で興味が向かない。だから生きている事について不都合はない。

 


 しかし、不都合がなくても俺は不幸なのだ。高等教育を受け、働き、金を得て、別段差別もされず、苦しい事も楽しい事もある人生に絶望しているのだ。自分が享受するはずだったものが得られない、誰かしらが持っている物を自分が持っていない。そんな身勝手かつ支離滅裂な不満で心がいっぱいで、なにをしても幸せになれないでいる。


 働いて得た金で飯を食って酒を飲み眠る。これだけで満足していいはずなのに、不自由なく生きているのに、どうしても、もっと、もっとと望んでしまう。満たされない満たされないと日々悩み、嘆き、呪のように自身の生と、自身を産んだ両親を恨む事に意味がないと分かっているはずなのに、どうしたって忸怩たる思いを吐かずにはいられない。そうする事によって、満たされない心を怨嗟で埋めているのかもしれない。


 あぁ、もしかしたら、他の人間もそうなのかもしれない。

 弱者を味方するふりをするのもそうした人間を非難するのも、公共の電波で事件を茶化すのも、やってはいけない事をやってしまうのも、全部全部、心にある空白を別の何かで必死に埋めようとしているのかもしれない。金であったり、正義であったり、笑いであったり、承認であったり……


 そうか、みんな。満たされていないのだ。自身の生を彩らんと、命に価値を得ようとしているのだ。しかしその本質は……




 虚無の中で、俺達は生きている。

 無限の虚無を埋めようと、俺達は生きている。

 

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