第9話 僕らはいつまで見知らぬ二人なのか


 僕をさらなる不安に陥れる出来事があったのは、畠中と江田に異変が現れた日の翌朝だった。


「新ちゃん、パソコン貸して」


 妹の舞彩まいの声で僕が目を覚ましたのは、何と朝の五時半だった。


「……お前、なんでこんな時間に起きてんの?」


「なんか寝れなかったの……そろそろいいかなと思って」


「調べものなら携帯でやればいいだろ」


「大きい画面で見たいの……駄目?」


「二時間後にしろよ」


「けち」


 貸してやるって言ってんだろ。なんで寝ないんだ。……寝ない?


 僕は部屋の前から去ってゆく妹の足音を聞きながら、まだよく覚めていない頭にじわりと恐怖が忍び込むのを感じた。


  六時過ぎまで寝床で悶々とした後、起きてリビングに行くと僕より寝起きの悪い兄がなぜか身支度まで整えて携帯を見ていた。


「早いな、兄貴。早朝のアルバイトでも始めたの?」


 僕が尋ねると、兄の理は「新か。別に早くもないだろ。寝れないからずっとリビングにいたんだよ」と言った。


「寝れない?」


 僕はさして寝不足なようにも見えない兄の顔を見て、もやもやがさらに増すのを感じた。


 ――まさかとは思うけど……うちの家族にもまた、異変が近づきつつあるのか?


 うちの家族は二カ月前、『アップデーター』騒ぎの時に早々と身体を乗っ取られている。

 

 ――たのむからもう、あの時みたいな苦労はさせないでくれ兄貴、舞彩。


 僕はいつもより余裕のある朝を手持無沙汰で過ごすと、漠然とした不安を抱えたまま家を出た。学校に着いても寝坊助の級友たちはまだおらず、僕は教室に向かわずに校内をぶらついた。


「あら真咲君、どうしたのこんなに早く」


 廊下の途中で僕に声をかけてきたのは演劇部の顧問、小峰先生だった。


「あ、おはようございます小峰先生」


「早起きに変えたの?それとも、眠れなかった?」


「いや、僕はちゃんと寝て……」


「僕は?」


 不思議そうに首を傾げた小峰先生を見て、ぼくは心の中でほっと息をついた。小峰先生は『アップデーター』騒ぎの時に奴らに身体を乗っ取られ、僕の家まで「侵略」にしやってきたことがあるのだ。


「あの、最近僕の周りで寝られない奴が増えてるみたいなんですけど、先生は寝られないとかありますか?」


「あるわよ、時々。……あ、そういえば片瀬さんが何日か前に寝られないって言ってたわね。他にも演劇同好会の部員に何人かそういう子がいるみたい」


 やはり片瀬の身に異変が起きていたのか。僕は城島先生の目を思いだしながら「先生も、体調不良には気をつけて下さい」と言って教室に向かった。


 始業のチャイムまでを落ち着かない気分で過ごした僕は、戸を開けて副担任の五十嵐先生が入ってきた時、味方が現れたようでなぜだか妙に心強い気分になった。


「ええと、今日は他校から転入してきた仲間を一人、紹介します。今日から一緒に勉強することになるので、できるだけ親切にするように。……入って」


 五十嵐先生がそう言って入室を促すと、一人の女子生徒が入り口から姿を現した。


 ――あっ!


「はじめまして、今日からこの学校に来ました、七森杏沙です」


 僕は唖然とした。すました顔で教壇の脇に立ち、ぺこりと頭を下げたのはなんと杏沙だったのだ。


                  ※


「来たばかりで何もわかりませんが、よろしくお願いします」


 約二ヵ月ぶりに見た杏沙は変わらぬ美少女ぶりで、少しつんとしたまなざしも一緒に冒険していた時と何ら変わりはなかった。


 ――また、夢の続きを見られる!……でも。


 僕は教室内をひとわたり見回した杏沙の目が、僕の前で止まることを期待した。ところが杏沙は新しい環境を一応見ただけ、とでも言うかのように見事に僕をスルーして自分の席に着いてしまったのだ。


 ――あいつ、わざとだな。


 わざわざこの学校、このクラスを選んで転入してきたということ自体、僕を意識しているに決まっているのだが、(それが七森博士の発案だったとしても)あえて無視するということは、その行動自体が何かのメッセージなのに違いない。


 思えば一緒に冒険していた時から、杏沙は頭の回らない僕に「そんなこともわからないの?」と色々なことを噛み砕いて教えてくれた。(ただしちょっと上から目線で)


 おそらくこの徹底した無視攻撃は、説明されることに慣れ切った僕への「たまには自分で考えて」というというメッセージなのだろう。……ただし。


 そうやってつき離されたところで、どのみち僕の頭ではさっぱり見当がつかないのだが。


 ――ヒントぐらい出せよ七森。僕が鈍いことぐらい、わかってるだろ。


 僕は僕は窓際の席で澄ましている杏沙に、声に出せない不満をぶつけた。


                ※


 午前の授業が終わると予想通り、杏沙の周りにはちょっとした人だかりができた。


 僕はミーハーな連中に混じって杏沙を囲むようなことはせず、自分の席で「転入生なんて」と言うように無関心を決め込んだ。


 思えば二か月前の『アップデーター事件』の時は、互いに身体が無い幽霊状態だったのに杏沙との距離は今より近かった気がする。それがどうだ。生きている杏沙が同じクラスにいるというのに、僕は二メートル先の杏沙との距離を縮めることすらできないのだ。


 僕にできることと言えば、クラスの男子が杏沙に群がるのを横目で見ながら「早くミッションの内容を教えろよ」と毒づくことだけだった。


 僕は昼食をかき込むように食べ終えると「用があるならそっちから来いよ」とばかりにわざと自分のロッカーにしまってある携帯を見に行ったりした。


 ――やっぱり来てないか。


 教室では無視を決め込みつつ、実はちゃっかり僕の携帯にメッセージを寄越しているのではないか――そんな淡い期待を粉々にされた僕は、仏頂面を悟られないように杏沙から見えにくいルートを通って自分の席に戻った。


「じゃあ興味があったら放課後、図書室に来て下さい」


 くすぶる気持ちを持て余しながら始業チャイムを待っていた僕は、聞き覚えのある声を耳にした瞬間、思わず杏沙の席がある窓際に目を向けた。

 

 ――おいまてよ七森。そいつ、とびきりやばい奴だぜ。


 笑顔と共に杏沙の前から立ち去ったのは最も警戒すべき男、望月だった。

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