第10話 僕らは壁の中と外でタッグを組む


 午後の授業が終わり、放課後になっても杏沙の人気は一向に衰えなかった。


 杏沙の放つ吸引力は男子ばかりでなく女子にも届いているらしく、僕は複雑な気持ちを持て余しつつ「そいつのことを一番、よく知ってるのは俺なんだぜ」という優越感にこっそり浸っていた。


「ね、メイクに興味ある?私、七森さんにぴったりのメイク思いついたの」


「七森さん、お芝居に興味ない?今、うちに主役をできる子が足りないの」

 

 ――江田、それに演劇部の奴らか。顔ぶれがいまいち気になるな。おまけに要注意人物の望月も誘いをかけてきてる。転入早々、ここまで包囲されてあいつのアンテナは、ピンとこないのか?


 僕がきっぱりと誘いを撥ねつけない杏沙にやきもきしていると、突然、杏沙が席を立ち「ごめんなさい、ちょっと行くところがあるの」と言い置いてそそくさとその場を離れた。


 さすがに煩わしくなったんだろうか。そう思った僕は、十秒ほど間を置いてそれとなく席を立った。廊下に出ると杏沙はあたりを見回しながら、階段の方に向かっていった。


 ――おいおい、あいつまさか図書室に行く気じゃないだろうな。


 僕は杏沙の後に続いて階段を下りると、廊下を行く背中を追い始めた。


 もちろん杏沙のことだ、ある程度の危険があることはわかっているに決まっている。でも、僕は図書室で実際に奴らの不気味さを間近で見ているのだ。たとえ邪険にされようと放っておくことはできない。


「七森さん」


 僕が呼びなれない「さん」付けで声をかけると、杏沙は足を止めてゆっくりとこちらを振り向いた。


「真咲……君?」


 杏沙はそう呟くと、僕を見て戸惑ったように眉を寄せた。


「僕のこと、覚えてるよね?」


 我ながら間の抜けた質問だと思いつつ、僕は探りを入れるのをすっ飛ばしていきなりストレートな問いを投げつけた。


「……うーん」


 杏沙は何かを思いだそうとするように宙を見つめ、首を傾げた。


 これがもし「声をかけないで欲しいの。察して」というパフォーマンスだったら、もう引き下がるしかない。


 僕がそんな悲観的な思いに浸っていると、突然「あっ、あなたがC組の七森さんね?」という声がして一人の女子生徒が杏沙の前に現れた。


「もしかして図書室に行くの?……じゃあ私が案内してあげる」


 そう言って杏沙の袖を掴んだのは望月の仲間で書記だという少女、佐倉未亜だった。


「あ……ごめんなさい真咲君。話はまた今度」


 沙は僕に小さく頭を下げると、促されるまま佐倉未亜の後に続いて歩き出した。


 ――こういう時こそ、僕に相談すべきじゃないのか?……いったい、何を考えてるんだ。


 杏沙に背を向けられた僕はしばし呆然とした後、思い直して再び杏沙たちの後を追い始めた。


                  ※


 廊下を進み始めてほどなく僕の嫌な予感は的中し、杏沙と美亜は見覚えのある図書室の前で足を止めた。


 促されるまま図書室の中に吸い込まれる杏沙を見た瞬間、僕の中に「駄目だ七森!」と言いたい衝動が沸き起こった。だが僕はその言葉をぐっと呑みこみ、図書室前の廊下に留まった。


 ――もし七森に何らかの勝算があってついていったのだとしたら、騎士ナイトを気取って中に飛び込んだりしたらかえって台無しにしかねない。


 僕は杏沙が「余計なことしないで」と言う時の目を思いだしながら、入り口の前で中の気配を探った。やがて引き戸越しに「大体の感じはわかったので、今日はこれで失礼します」という杏沙の声が漏れ聞こえてきた。


 僕はほっとすると同時に、続けて聞こえてきた、ガタガタと椅子を動かす音と「もう少し、私たちの話を聞いて行かない?」と言う説得の声に思わず身を固くした。


 ――どうする?七森。


 僕が息を詰めて杏沙の返答を待っていると、少しの沈黙の後「ごめんなさい、今日はこれから父の研究を手伝わないといけないんです。……こんな風に」と言う声が聞こえた。


 杏沙がきっぱりと誘いを断った瞬間、椅子を動かす音が止まり図書室全体が沈黙した。


 ――あいつ、一体何をやった?


 僕は慌てて入り口の前から離れると、すぐさま近くの職員用トイレに飛び込んだ。中に入った僕はその場で身を翻すと、トイレの内側から廊下の様子を窺った。


 やがて廊下をやってくる足音が聞こえ、トイレの前を通り過ぎてどこかに去って行った。


 杏沙だな、と僕は即座に理解した。幸い誰かが杏沙を追ってくる気配はなく、僕は職員用トイレを出るとぐったりした気分で無人の廊下に舞い戻った。


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