第7話 僕らは未来に関する契約を結ぶ


――まずい、急いでこの場から離れなきゃ。


 僕が久保田をどうにかして城島先生から引き離さなくちゃと考え始めた、その時だった。通りの向こうから一人のお年寄りが、自転車でふらつきながら走って来るのが見えた。


「危ない、よけるんだ久保田!」


 僕の声に反応した久保田が縁石側に飛び退くと、体勢を崩した城島先生とお年寄りの自転車が派手な音を立てて激突した。


「今だ、お前たち走ってどこかに逃げろ!」


 突然、竜崎が僕と久保田に向かって叫ぶと「あっちへ行け」という仕草をして見せた。


 僕はよくないと思いつつ久保田に「行こう、助けてたらまた厄介なことになる」と言った。僕らは自転車のお年寄りと先生をその場に残すと、一目散にその場から逃げだした。


 次の交差点でいったん足を止めて振り返ると、少し遅れて立ち去ろうとしている竜崎とお年寄りを介抱している城島先生の姿が目に飛びこんできた。


 ――ああして見ると、普通の先生にしか見えない。……でも。


 僕は非常識と思われかねない自分の行動から目を背けると、久保田に「お前の家の近くまで一緒に行くよ」と言った。


 十五分ほど歩き、久保田の家のある区画の目印とも言える郵便局が見えると、僕は足を止めて「じゃあここで」と言った。


「ああ、ありがとう」


 久保田はまだ完全に血の気が戻らない顔を僕に向けると、ぎこちない笑みをこしらえた。


「あ、それとさ。明日以降、城島先生が何か言ってきても、無視した方がいいぜ」


「うん、そうする」


 僕は目に疲れたような色が残る久保田に別れを告げ、自分の家の方に引き返し始めた。


 ――とにかく、嫌なトラブルの記憶は家に着くまでに捨ててしまおう。


 そう思いながら帰り道を急いでいた僕の足が止まったのは、普段あまり利用しない道の途中にある児童公園が目に入った時だった。


 ――竜崎?


公園のベンチで何か紙のような物を見ている人影が誰かわかった途端、僕は足を止めずにはいられなかったのだ。


                  ※


 公園に足を踏みいれた僕は、気がつくと何かを一心不乱に見ている竜崎の傍に歩み寄っていた。


「……ん?」


 さすがにじろじろ見たことがばれたのか、竜崎は紙をめくる手を止めると僕の方に顔を向けた。


「……真咲か。久保田はちゃんと帰ったのか?」


「ああ、たぶんね。……それよりさ、その漫画みたいな奴、なに?」


 竜崎が眺めていたのは、漫画の原稿らしきものだった。


「ああ、これか。俺が描いた漫画だよ」


「ええっ」


 僕は驚いて、すぐさま「見ていい?」と尋ねた。不良っぽいクラスメートが漫画を描いていることも意外だったが、それ以上に僕を驚かせたのは竜崎の漫画が華やかな少女漫画だということだった。


「これ……ひょっとして少女漫画か?」


「そうだよ。雑誌のコンテストにも何度か出してる」


「へえー、そんな才能があるなんて思いもしなかったな」


「才能があるかどうかはわからないよ。デビューもしてないし」


 竜崎はぶっきら棒に言うと、「読みたいなら、どうぞ」と言って三十頁ほどの原稿の束を僕に手渡した。絵が上手いことは言うまでもなく、内容も中学生が考えたとは思えないほど起伏に富んでいた。


 僕はあわただしく頁をめくると、あっという間に三十頁の話を読み終えていた。


「すげえ、男が読んでも面白いよ、これ」


 内容は少年と少女が出会うといういわゆるボーイ・ミーツ物なのだが、少女がとんでもない変わり者で事件がどんどん大きくなってゆくのだ。ラストは少年がもう少女を追うのをやめようと思った直後、少女の意外な正体が判明してハッピーエンドという話だった。


 短い中にもトリッキーな展開がたくさん盛り込まれた、才能を感じさせる作品だと僕は思った。


「選考委員の漫画家先生からは「展開が早すぎる」って言われたんだけど、どうしても早くなっちまうんだよな」


 そう言いながら原稿の束を封筒にしまう竜崎は、少女漫画家を目指しているとは思えないほど不愛想な普通の少年だった。


「これ、映画にしてみたいなあ」


「映画に?……お前が?」


「うん、すぐにってわけにはいかないだろうけどさ」


「ふうん……まあ、その時が来たらオファーをくれよ。俺は別にどうアレンジされようと気にしないから」


「本当?……やったあ」


 僕は何か不思議な発見をしたようなワクワク感のまま、竜崎に礼を言った。


 ――もし、僕が竜崎の漫画を映画に撮るなら変人のヒロイン役は……もちろん、七森だ。


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