第13話

 次の日の朝、康平はすっきりとした気分で目が覚めた。

 それで、いつもより2本早い電車で出社し、雑用をささっとこなすと、外回りの準備を始めた。

 昨日電話してきたお客さんの建築中の家を見に行くためだ。


 お土産にたい焼きを買ってバスに乗り込んだ。

 康平はバスの窓から景色を眺める。


 窓から見える家々から、それぞれ住んでいる人の思いが見て取れた。

 同じような家が並んでいても、花や置物など、それぞれ少しづつ違いがあり、みんな自分の家を自分らしく良くしようと工夫がある。

 こんな風に窓の外に広がる景色を意識する余裕があるのは久しぶりだと、康平は思った。


 目的地に着き、康平はバスを降りた。

 康平は、バス停から建設中の家までの道を周りの様子を見ながら現地までゆっくり歩いた。そして、建設現場に着くと道路側からまだ建設中の家を見つめる。

 

 康平は、頭の中に完成図を思い浮かべる。

 玄関ポーチはここに作る予定だ。石畳のポーチと玄関には段差を造らずバリアフリーにする。緩やかな坂にして少しだけ床を高くするが、この辺りはもともと高台なので、水の問題は無いだろう。車は2台置けるようにスペースをとり、バーベキューができる程度の庭も作る。


 ここに住む予定の東野さんは、息子さんの家族と2世帯住宅にするという。ずっと借家に住んでいた東野さんは、ご家族で快適に暮らすための家を建てることが夢だったと、そう言っていた。

 東野さんにとっては、家族のための一生に一度の大きな買い物なのだ。


 自分は、その夢の手伝いをしている。

 康平は背筋を伸ばし、大きく深呼吸をした。


「あれ、山田さん、どうしたんですか?」

 現場監督の石川が康平に気付き、不思議そうな顔を浮かべながら康平の方に歩いてきた。

「お疲れ様です、石川さん。お邪魔します」

 康平は会釈しながらそう言い、敷地内に足を踏み入れた。

「形になってきましたね」

「ええ、ここまで来たらあとは一気に建てるだけですよ。幸い雨も当分は降らないし」

「それはよかった。あ、これどうぞ」

 康平が土産の紙袋を渡すと、石川は土産の袋を受け取り中を確認する。

「たい焼きじゃないですか、これ好きなんですよ」

「知ってます、前に現場で取り合いしてましたよね」

 たい焼きを見て目を輝かせた40代の男を見て康平は自然と笑みがこぼれる。そして作業員たちに休憩にしようと声をかけた。


 石川は、康平を庭部分に日除けを張った下に置いているテーブルの椅子に座るように促した。康平がお礼を言って座ると、石川も椅子に座る。

「おい、山田さんが、たい焼きを持ってきてくださった!みんな、ひとつづついただけ!」

 休憩にお茶を飲みに集まってきた作業員に石川が言う。

「おお、まじっすか、ありがとうございます!」

 口々に嬉しそうに礼を言い、早速、皆次々にたい焼きを手につかむ。

「多分、ふたつ分ぐらいありますから、食べられる人はどうぞ」

 康平がそう言うと、みな歓声をあげて喜んだ。

 石川が改めて礼を言い、お茶を康平の前に差し出す。

「ところで、今日は一体何の御用でいらしたんですか?」

「今日は、東野さんに進捗状況を目で見て詳細をお伝えしようと思って」

 康平が答えると、石川が納得したように頷いた。

「ああ……東野さん、よく様子を見にこられてますよ。隠れてこっそり見ているつもりのようですけど」

「そうですか。まあ、人生で一度の大きな買い物だし、気になりますよね。だから、出来るだけ満足できるようにして差し上げたい……」

 康平が呟くように言う。石川は少し驚いたような表情になった。康平は気にせず、石川に笑顔をみせる。

「不安を取り除くことが出来ればいいんですけどね」

「……山田さん、何か良い事でもありましたか?」

 石川は思わず口に出た、そんな感じで尋ねる。

 康平は石川の反応に思わず笑ってしまう。

「そう感じますよね、自分でも驚いています。憑き物が落ちた……ってこういう感じですかね?」

「憑き物が落ちた?一体、何があったんですか?」

 石川は心配になって真剣に確認する。

「いや……、実は昨日、猫が僕の憑き物を落としてくれたんですよ」

「え?」

 石川だけでなく、周りにいた作業員達も、不思議そうに康平を見た。


 康平は、幸福を呼ぶ猫について簡単に説明し、その猫に会いに行った事、泉美や秀樹に出会っていろんな話を聞いた事、そして昨日、その猫に自分自身が生命を救われ、心にかかっていた雲のようなものが晴れて、急に気持ちがすっきりし、周りの景色が目に入るようになった事を話した。


「……不思議な話ですね。もう、偶然とは思えないレベルだな」

「ええ、最初は僕も全然信じてなかったんですが、今はその猫は本当に人を救う何かを持っているんだろうと思っています」

「それにしても……人は、一晩で変われるものなんですね。その猫をうちのバカ息子にも会わせたいものだ」

 バカ息子……か、俺も今まではそう思われていたんだろうなと康平は思ったが、今はそれさえも愉快に思える。

「公園に行けば、会えますよ。悩みがある人には、ブチの方から寄ってきてくれるみたいです」

 康平が楽しそうに話すからだろうか、石川も、他の作業員も自然と笑顔になっている。

「その話、俺も聞いたことあります。恋の悩みも聞いてくれるらしいですね」若い作業員が言った。「そうらしいね」と康平が答える。

「俺も会いに行ってみようかな」

「お前の悩みなんか、悩みじゃないと無視されるんじゃね?」

 作業員達はブチの話をネタに冗談を言い合っている。

 石川が時間をちらっと確認し、仕事に戻るぞ、と明るい声で言うと、皆、明るく「はい」と返事を返し、作業の場に戻っていく。

 休憩し、リラックス出来たのか、みんなの活力が戻ったように見えた。


 ブチはすごいな、ブチの話をしただけで、場の雰囲気が良くなったように思える。本当に幸運を呼ぶ猫だな…

 康平はそんな風に考えてから、あれ?自分も泉美化しているかもと、可笑しくなって微笑む。


「あ、山田さん、ほら」

 小さな声で石川が言った。康平が石川の視線の先を見ると、敷地の外で目立たないようにこちらを見ている男性がいた。東野さんだ。

 彼は見ている事を知られたくないのか、隠れるようにそっと様子を除き見ていた。

「石川さん」と康平が声をかける。

「ん?」石川が返事をして、康平の方に顔を向けた。

「東野さんを中に入れて良いですか?少し見学してもらいませんか?」

 康平の提案に石川が何とも言えないような顔をする。

「お邪魔なのは承知していますが、きっとこの仕事ぶりを見てもらえたら安心すると思うんです」

「邪魔……とかではなくて、危ないからなぁ」

「ヘルメットをかぶって入ってもらいましょう!」

 康平が力強くそういうと、石川はふっと微笑んだ。

「仕方ないなぁ。貸だぜ」

「ありがとうございます!」康平は頭を下げるとすぐに東野のところに駆け足で行く。

「東野さん!こんにちは」

「どうも、山田さん……」

 東野さんは何か悪い事をしているような様子でばつの悪そうな顔をしながら応える。

「東野さん、せっかく来られたんだし、どうです、見学されませんか?」

 東野はそんな事を言われるとは思っていなかったのだろう、驚いた様子で康平を見て、いいのかと返す。

「ええ、今、現場監督の石川さんから許可を頂きましたので、どうぞ」

 東野の表情が少し明るくなった。


 東野は、康平について敷地に足を踏み入れた。

「こんにちは東野さん、現場監督の石川です。危ないですのでヘルメットをどうぞ」

 石川は笑顔で対応してくれた。東野はヘルメットを受け取り、笑顔を返す。東野の顔は一段と明るくなった。


 ……これが私の家

 東野はこわごわ柱に触れてこんこんと叩いてみる。

「太い木でしょう?」石川が笑顔で言う。

「あ、ええ」東野は、緊張のせいか少し強ばった笑顔で応えた。

「それは、見える部分の柱になるので、高級無垢材が使われているんですよ。立派でしょう。この木を完全に乾燥させるのに少し時間がかかってしまって、工程が遅れてしまいましたが……その分とても丈夫になってますから、安心してください」

「そう……なんですね」

 その説明に東野は大満足したようだ。強ばった表情がとれ、穏やかな表情になる。

 若い作業員の事も、礼儀正しい姿を見て東野の不安は随分緩和されたようだ。東野の顔はすっかり柔らかくなっていた。


 今日、ここに来て良かった。

 康平は心からそう思い、幸せな今に感謝をした。

 そして、ブチが幸運を与えた相手は、自分だけでは無いんだなと、そう思った。

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