第11話

 ――思えば……

 都合の悪いことは全部「うちの会社ブラックだから」で済ましていた。

 上司が自分のことをよく思っていない、この事も自分が勝手に思い込んでいるだけで、実際のところはわからない。


 いや……、俺自身がそうやって上司のことを根拠なく悪く思っているのだ。そんな相手に向こうが良い感情を持つわけがない。


 俺だって、この会社に就職してすぐの頃はこんな感じじゃなかった。

 なのに、どうしてこんな風になってしまったんだろう。

 

 康平は会社の事務所で席に座り、PCの画面を眺めながら考えていた。

 先週の金曜に泉美と秀樹と話をした後、すっきりした気分になったので土曜日曜は、部屋を掃除し、それから買い物にも出て久しぶりに有意義な週末を過ごした。

 そして月曜、いつものように少し重い体を起こし、なんとか遅刻することなく出社した後、こうやって物思いにふけっているのだった。


 高くはないが安くもないと思う給料をもらっているし、上司や同僚に特別ひどく怒鳴られたりすることもない。

 ただ自分自身がこの会社でやりがいを見いだせなくなっているだけだ。


 なら、やりがいを見いだせない理由はなんだろう?

 自分に向いていない仕事だからだろうか?

 じゃあ、この仕事を辞めて他を探せば解決するのか?

 いや……、それでは解決しないと分かっている。

 もともと自分はこの会社で仕事をしたくて就職したんだから。

 じゃあ、一体なぜだ?

 

 ――……本当は、ちゃんときっかけも分かっているじゃないか。


 3年目になってすぐ、最初の独り立ちJOBを任された。

 その時に、今でも忘れられないぐらい苦い思いをしたからだ。

 そう、自分はその時の挫折からまだ立ち直れていないのだ。


 それは全部で10戸の小規模な売り出し物件だった。

 俺はその中の2戸を担当として任された。

 初めて担当を任された時は本当にうれしかった事を覚えている。


 その物件は、注文住宅ということで売り出していた。

 基本的に注文住宅といってもベースは決まっていて、そのベースに沿って可能な範囲で客の要望を聞き、それぞれのニーズにあう家を建てるという形での販売だった。そうやって客の夢を一緒に形にしていくので、とてもやりがいを感じる仕事だった。任された物件の場所が人気のエリアだったこともあり、少し高価な物件だがすぐに客がついた。


 そして、どんな家に仕上げるのか、客との相談が始まった。

 最初はとても楽しかった。できるだけ客の要望に沿えるように設計に工夫も凝らしながら進めていった。

 しかし、何度かやりとりし、お互いのことが分かり始めたころ、担当した客のひとりがいろいろ扱いにくくなってきたのだった。

 

 売り出している家には、外壁の色や家のテーマが売り出し地区によって決められており、このエリアならこのテーマでこういう外観にしなければいけないという決まりがあった。区画によってテーマに沿った形で統一感を出し、高級住宅地のような雰囲気を出すためだ。

 担当した物件は大型開発の中の第4期販売区画の中の10戸のうちの2戸で、第4期販売区画のテーマはヨーロピアンだった。

 お客様には当然契約前に、この事は十分説明し納得してもらって販売している。従って、客とはテーマに沿った形でどんな家にするかを決めていくのだが、その客はそのテーマを無視した要望を色々と出して来た。

 

 納得してもらうため何度も何度も客と相談し、休日も返上して働いた。

 しかし、相手は若い康平を馬鹿にしてか、なかなか納得してくれず、最初の設計段階から前に進まない状況が続いた。もう工事に着工しないといけない時期になっても設計が終わらず、しまいには遅れていることを理由に値下げを要求してくる始末で、経験の浅い康平では手には負えない状況になったのだ。

 結果的に康平はその仕事から外されることになり、ベテラン社員が後を引き継いだ。


 もちろん、急に外されたわけではない。最初はベテラン社員がサポートに入り、一緒に対応する方向だった。

 しかし、客がそれを許さなかったのだ。

 康平の至らぬ部分についてクレームを言い続け、ついにはクビにしろとまで言い始め、最終的には康平が外れることになったのだ。


 康平は、手に汗がたまっていることに気づき、はっとした。

 いまだに、あの頃のことを思い出すと、体が緊張するのだ。

 当時、康平にクレームを言ってきたのは客だけではなかった。

 工事の着工ができないため、工事を請け負っている会社からもひどくののしられた。

「あんたみたいな若いやつにうまくコントロールできるのか?」

 今でもその時の現場監督の声が頭の中で繰り返される。


 あれ以来、康平は客に対しても、職人たちに対しても一歩下がって付き合うようになった。心を込めて親身になろうと思えば思うほど、そして一生懸命であればあるほど傷つくと、そう思ってしまったからだ。


 しかし……、

 実際にはあの当時、上司も先輩も康平を責めることをしなかった。

「今回は客が悪かったな」と、先輩たちはそう言ってくれていた。

 だが、康平にはその言葉を素直に受け入れる余裕もなく、自分の能力の問題だったのだと、ずっと自分を責め続けていた。

 そして勝手に上司や先輩から嫌われていると思い込んで、辛いと感じるようになったのだ。


 ――今更、何を変えられるというんだ……

 康平はため息をついた。


「山田さん、一番に電話です。東野様です」

 新人の女の子の声が急に耳に入ってきて、康平は、はっとする。

「あ、ありがとう」

 そういうと、康平は深呼吸した。

 東野様は、現在担当している注文住宅を契約したお客様だ。

 康平は息を整えてから電話に出る。


「いつもお世話になっております。お電話かわりました。山田です」

「どうも、山田さん。忙しい時に悪いね」

「いえ、どうされましたか東野様」

「いやね、こないだ言ったように、ちゃんと家を建ててくれているのか不安でね。わたしらもしょっちゅう行くわけにいかないから、あんたにちゃんと見ておいてほしくてね」

「御心配には及びません、東野様。彼らはプロですから」

「あんたはそう言うけどね……最近は費用を抑えるために、予定と違う材料を使うような所もあるって言うからさ……」

「弊社は、そんなことは決してございません。私共と契約しているのは実績があって、信頼のおける企業だけですから」

「まあ、そうなんだろうけど、でもね……ちゃんと見て確認しておいてほしいんだ」

「……大丈夫ですよ、我々の方でもちゃんとチェックはしていますから。ご安心くださいね」

「そうかね……まあ……確認してくれているならいいんだけどね、よろしく頼みます」

 客はそう言い、まだ言い足りないという感じはあったが、いつもより短めで電話を切ってくれた。


 マイホームを買うというのは、一生に一度の大きな買い物だ。不安なのは分かる。でも、そう何度も電話してこられても困る。

 そんな事を考えながらため息をつく。

 今日もまたこの電話のせいで康平の気分は沈んでしまった。



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