第7話 ある二人の朝

———旦那様とのデートに連れて行ってもらって三日がたった。

旦那様は昨日からお仕事に戻った。


 リリアンの心の中には最後に見た演劇がこびりついていた。


 結局伝えてもらわなくちゃ…言葉にしなくちゃ意味なんてないんじゃないかな、

そんなことばかりこの三日間考えている。


 お昼を少し過ぎた頃、妖精たちがお茶会にやってきた。


「これはこれは御嬢様…本日も大変麗しゅうございます」


「ありがと、スコラーも元気そうね」


「リリアン様は麗しいですが、このライアンには少し元気がないように見えます。もしや、お身体に何か…?」


 スコラーと挨拶を交わしていると、ライアンが心配そうに顔を覗き込んできた。


「ううん…。そんなんじゃないの…」


———この子達になら、ううん、この子達にしか話せないもんね。


「あのね…私ね、旦那様の気持ちをみんなから聞いてすごくすごく嬉しかったの。それでね、旦那様とデートしてカッコよくて、可愛くて…嬉しかったんだけど…」


 そこまで一息に話してリリアンの紺碧の瞳から涙が溢れた。


「嬉しかったんだけど…やっぱり言葉にして欲しいって思っちゃうの。思ってることを言葉にして伝えてくれたらなって…リリアンって呼んでくれたらいいのになって…」


 耐えきれなくなって顔を両手で覆いながらリリアンは話し続けた。


「ワガママだよね…私、この間まで、好きになるもんかって毎日考えてた癖に…。…一つ前に進んだらもっと欲しいって思っちゃうんだ」




———伝えたいことが沢山ある、

そう言って帰ってこなかった俳優の顔が何度もリリアンの脳裏を掠めては苦しめた。


「御嬢様っ!それはっ!ワガママなどではありませんっ!」


「そうです!このライアンも当然のことだと思います!」


「……ありがと。みんなは優しいね、お友達って…素敵だね」


「ヒヒヒッ…。それでは御嬢様が旦那様の言葉を引き出す権謀術数を我々で考えれば良いのです…」


 スコラーもいつもの不気味な笑い浮かべながら手のひらに文字を書く真似をしてリリアンを慰めた。


「そんなこと…できるのかな…?」


「なぁにこの王都には千でも万でも妖精がおります。同心協力してあたれば不可能などありません。例えば…旦那様が寝ている耳元でですね…」


「あはは、またそれ?スコラーは悪どいなぁ」




 スコラーの話を聞いてすっかり涙は止まってしまった。

ハンカチで涙を拭ってから三人に茶菓子を勧めて話を聞こうと、

そう思えるくらいにはリリアンの気持ちは回復していた。


「他にもですね…」


「お…お、畏れながら申し上げます…!こ、このライアンに発言の許可を頂けないでしょうか?」


 突然ライアンが大きな声を出してスコラーの悪どい計画を遮った。


そして、また地面に頭を擦り付けて灰色の毛玉のようになっていた。


「どうしたの?ライアン…。そんなに畏っちゃって」


「こ、この、このライアンはですね…!旦那様のお言葉を…ひ、引き出すには…!引き出すにはっ!まず…リリアン様の方からお、お言葉を…かけることこそっ!重要なことかと思いますっ!」


「ライアン…貴様…。傲岸不遜にも御嬢様に指図を行うなど何事だ」


スコラーが怒って、嫌悪して、ライアンの肩を掴んだ。


 しかしそれでもライアンは話し続けた、身体を起こしリリアンの紺碧の瞳を小さな瞳でまっすぐ見つめて。

いつしか彼のくりくりとした瞳から大粒の涙が流れていた。


「しっ、失礼は承知の上!しかしなが…ら、こ、このライアン!リリアン様のご、ご友人を名乗るからには…。い、意見も…言わねばなりません!そ、それがリリアン様の、お心と違うことであったとしても…!」


———この小さなネズミは、私と友達でいるために、こんなに涙を流して、一生懸命に向き合ってくれてる。

私は、私は旦那様とこんな風に向き合ってこられたのかな…。


「ライアンっ!貴様っ!いい加減にっ!」


「やめなさい、二人とも!ライアン、すごくすごくありがたい助言だわ!本当に本当に本当にお友達って素敵ね」


 リリアンは怒りに震えるスコラーとグリフィンを制止して、ライアンの全身を撫でた。


「リ、リリアン様…」


「また泣いちゃって…今日は私も泣いちゃったからおあいこだね」


「お、御嬢様…我々は友人という言葉に囚われておりました…申し訳…」


「もぉっ!スコラー!あなたも私の味方になってくれようとしたんでしょ!わかってるから謝らないの!グリフィンもね」


 謝罪しようとするスコラーを黙らせて、三人を掌に乗せた。


「三人とも私の親友よ。大好き」


そして目一杯三人にリリアンは頬ずりをした。


 こんなに素敵な親友が三人もいるんだもん。

私にだって頑張れる気がする、リリアンはそんな風に考えていた。




———陽が沈んで、夜遅くになってから、他の貴族よりも随分と遅くに旦那様は家に帰ってきた。


「おかえりなさい」


「あぁ」


 そう言ってからすぐに食卓へと向かった。

毎日お腹を空かせて帰ってくるのね、

と思っていたが、どうやらリリアンが食事を済ませずに待っているのを心配してのことらしい…と、最近気づいた。


 食事の最中にふと手を止めてヘロンが隣に座るリリアンを見つめた。


「どうしましたか?」


「実は、明日から出張で少し王都を離れることになったんだ」


「すごくすごく急ですね…。いつ頃戻るんですか?」


「一週間ほどで戻るよ」


 そう言ってヘロンは微笑んだ。

なんだか微笑んでくれる回数がデートの後随分増えた気がする。


「わ、私!寂しいです!」


 そこで意を決してリリアンはヘロンに自分の気持ちで話しかけた。


———て、照れさせるためなら、平気だったけど…本当の気持ちをぶつけるのって確かに恥ずかしい…。


「…………あぁ」


「あぁじゃなくて…旦那様の言葉を聞かせてください!」


「済まない。でも、出張は決まってしまっているから取りやめには…」


 旦那様はリリアンの言葉の真意がわからないようで、

パチパチと何度も瞬きをしながら、言葉を選んだ。


「旦那様が出張に行くのはいいんです…いいの!私はヘロン様の本当の気持ちが聞きたいの」


「本当の気持ち…?」


「私のことどう思ってますか?思ってるの?出張で会えなくなって寂しい?それとも会わなくて済んで嬉しい?」


 そう言いながらリリアンは席を一つずれて、旦那様の真横に座った。

そして薄紫の瞳をじっと見つめながら話した。


「……………そんなことは」


「私は…すっごくすっごく寂しい!ヘロン様に会えなくてすっごく寂しい」


「帰ったら、ゆっくり話すよ」


———『私、ずっとお待ちしてます…!お帰りになったら私も伝えたいことが山ほどあります』そう最後にセリフを呟いた女優の顔がリリアンの目の奥に映った。


「イヤ!…ワガママだとは思うけど…ワガママなのは分かってるけど……ヘロン様に今言って欲しい。名前も呼んで欲しいし、できたら頭だって撫でて欲しい」


 そうやって話してるうちにリリアンの目にはまた涙が溜まってしまった。

いつからこんなに泣き虫になったんだろう、そう思いながら泣き顔を見られたくなくて、ヘロン様の胸に顔をうずめた。


「……リリアン」


 優しい声が自分の名前をつぶやくのが聞こえてきた。

そして、ゆっくりと頭の上にヘロン様の細いけれど、少し硬い男性の手が乗せられた。


「僕が…不甲斐なくて寂しい思いをさせてごめんよ」


「私の…名前」


「リリアン…」


 ヘロンはもう一度名前を呟いた。

胸に顔をうずめたリリアンにははっきりとヘロンの心臓が張り裂けそうなほど鼓動を撃ってるのが聞こえた。


 ライアンから聞いてはいたけど、自分の耳で聞くと、こんなにも必死になって名前を呼んでくれるヘロンのことが、リリアンには一層愛おしく思えた。


「ふふふ…私と会えなくて寂しい?」


「…寂しいよ」


———少し間をあけてヘロン様が答える。見えないけど、きっと耳が赤くなり始めてる。


「私のこと好き?」


「……大好きだよ」


———もっと間があいた。きっともう耳は真っ赤ね。


「どのくらい好き?」


「夏の積乱雲より高く君を愛してるよ」


「ふふふ、なぁにそれ?ポエム?」

 

「………なんだろうね」


———そういえば、私へのラブレターもポエム調だった。

きっと詩が好きなのね。でもそれを隠したいのかな?


「帰ってきたら一緒に寝る?」


「…そ、それは…まだ早いんじゃないかな?」


———ヘロン様が言葉に詰まるなんてすごくすごく珍しい。

よっぽど焦ってるのね、可愛い。


「もぉっ!そんなに待ってたら私お婆ちゃんになっちゃうよ?」


「お婆ちゃんになっても好きだよ」


「私も大好き!」


 そう言ってリリアンはヘロンの唇に自分の唇を重ねた。




———新しい朝が来た。ヘロン様が出張に出かける朝。

いつものようにシーツを整えてダイニングルームに向かう。

食卓にはいつものようにヘロン様が座って私を待ってる。


 ヘロン様が毎日作ってくれるサンドイッチを、本当は少し飽きてるんだけど、美味しくいただく。


「おはようございます」


「あぁ」


「もうすごくすごくあったかくなって…春が来ちゃったね」


「あぁ」


「出張、気をつけてね」


「あぁ」


「私に会えなくて寂しい?」


「…すごく寂しいよ」


 そんな会話をしてるうちにコーヒーまで飲み終わってしまった。

それを見届けてヘロン様が立ち上がって玄関に向かう。


「行ってらっしゃい」


 そうやって挨拶をすると、ヘロン様が私の顎を軽く押さえてキスをした。


「いってきます」


 そう言ってからアルデバラン伯ヘロン•キャンベルは扉を開けて出かけて行った。


よぉく見ると扉の陰で妖精たちが三人で涙を流しながら拍手をしている。


これが今のリリアン•キャンベルの朝の日課。


———ねぇねぇねぇ私の旦那様…カッコ良すぎない!?

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旦那様の本心の調べ方(まずは妖精をご用意ください) ココですココ、ここ @kokodesukokoko

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