第6話 可愛い…カッコいい!?

———食事を済ませたあと、演劇まで時間があるから散歩をしながら街を紹介してほしい、とリリアンがお願いした。


 ヘロンは淡々と街の説明をしてくれた。


 そこの大通りをずっと真っ直ぐ行くと演劇場があるとか、あそこの通りを右に曲がると医者が三件連なっているから便利だとか。


 本当はヘロンの子供の頃の思い出の場所なんかを教えて欲しかったのだけど、ヘロンの優しい声を長い時間聞けたのでリリアンは黙って耳を傾けた。


「それで、あそこの裏路地を抜けると大通りへの近道なんだ」


「そうなんですか?それはちょうどいいですね!行ってみたいです!」


 リリアンは薄暗く往来の少ない裏路地を見てチャンスだと思った。


「でも女性が行くような道ではないよ」


「今日は旦那様がいるじゃないですか!」


「…あぁ」



———そうやってヘロンの腕を引いて路地裏に入り三十歩ほど進んだ。

昼間だというのにやけに薄暗く、人も全くいない。

入ってきた広場もほとんど見えなくなったあたりで、


(グリフィン、作戦番号十二番!)


「ガッテン!待ってました!」


 グリフィンはリリアンの首のリボンをクチバシで器用に解いた。

ふわっと音を立てるようにして、リリアンの白い背中の肌があらわになった。


「きゃ!まぁなんででしょう?背中のリボンが…」


 そうやって言い終わるよりも前にヘロンが解けたリボンをキャッチしてリリアンの背中を隠した。


「大丈夫だよ。誰も見てないから」


「でも…ヘロン様に見られちゃいましたね」


「…僕も…見ていないよ。ほら」


そう言ってヘロンは目を潰れるほど硬く閉じていた。


「もぅ!ヘロン様はいくらでも見ていいですよ?」


「………………あぁ」


 信じられないほど長い間を開けたあとに、ヘロンがなんとか「あぁ」といつもの返事をした。


———もぉっ!可愛すぎる!すごくすごく可愛すぎるけどそろそろ「あぁ」以外の言葉を言って頂けないかな?

でもでもでもワガママすぎ…?



 ヘロンはそのあと慣れない手つきでリボンを結び直してくれた。

時々首の後ろにヘロンの冷たい手が当たってこそばゆかった。


 そして…辿々しく、ひどく歪な縦結びのリボンが完成した。


「あれ…ごめんね。こういうのは慣れてなくて」


「ううん、私このリボンが一番好きです。本当に本当に大好きです」


 リリアンは首の後ろを撫でながらヘロンに優しく微笑んだ。

ヘロンは何も言い返さず無言のまま地面を見つめて固まってしまった。


 リリアンがヘロンの手を握ると手汗をびっしょりにして歩き始めたので、照れて何を言うかが分からなくなってしまったんだろう。




———リリアンの首の後ろに歪な縦結びのリボンが完成した場所からもう少し奥まで進み、そろそろ大通りが見えて来るかというときに、


「危のうございます!御嬢様!」


「え…」


 道の下見のために先行していた小人のスコラーが声をあげた。

それにリリアンが反応するよりも早く、ドンっという衝撃が身体の前面を襲った。


…何かにぶつかった。


 弾き飛ばされて尻餅をつきかけたリリアンをヘロンが受け止めた。

ゆっくり目を開けると見るからに悪人顔の男がこちらを睨みつけている。

そして、その男の後ろにもう一人、人相が悪いのが立っていた。


「イッテェ!女ァ!どこに目ぇ!つけてんだ!!」


(えっとえっとえっと、こんな作戦…ないよね?)


「完璧に事故ですっ!」


耳元でグリフィンの答えを確認してすぐに、


「あの…ごめんなさい…お怪我はありませんか?」


目の前ですごみ続ける男に謝罪をした。


「あぁ!?お怪我ァ!?したにィ!決まってんだろ!責任取れんのか!?」


「へへへ…バイショーだ。バイショー」


 怪我はしてなさそうだけど…と男の身体を足元から肩口まで見た。

そんなリリアンの視線に気がついたのか、男がリリアンの胸ぐらを掴もうと手を伸ばした。

殴られる!リリアンはそう思って目を閉じて固まった。


———あれ?何ともない…?


 目を開けるとヘロンがいつの間にか前に飛び出し代わりに胸ぐらを掴まれていた。


「あぁん!?んだっ!テメッ!邪魔すんじゃねェよ」


「僕は彼女の夫です。見たところどこも怪我をしていないみたいですし、これでお開きにして貰えませんか?」


 ヘロンはリリアンと話すときとは全然違った様子で朗々と、自信たっぷりに、そして冷徹に暴漢に告げた。


「ッけんな!こっちはその田舎臭ぇのに一方的にぶつかられてんだぞ!!」


「そうだふざけんな!バイショーだ!バイショー!」


「その件に関してはもう謝罪したでしょう?…それとこの腕…離していただけませんか?」


ヘロンの言葉を聞いて暴漢は眼を血走らせて腕を振りかぶった。



———ダメ!


 リリアンがそう叫ぼうとした瞬間に、暴漢はヘロンの胸元を見つめてプルプルと震え始めた。


「おや?気が付きましたか?僕は畏れ多くもアルデバランの伯爵位を預かる身。今は麗しきエアドリク王子の右腕などと呼ばれ総合行政管理局局長を拝命しております」


———いつもと全然違う…。

カッ…カッコいい…。

自信たっぷりで冷静で冷徹で淡々としてて…!

これがお仕事中の旦那様なのかな?これがアルデバラン伯爵なのかな?


「…そうですね…あなたが掴んでいるのはさしずめ王子の右手の爪と言ったところでしょうか?」


 ヘロンは自分の胸元のスカーフとそれを掴む男の腕を指差しながら冷徹な声で話し続けた。


「あなた方が…私の妻を侮辱したことも、あなた方の顔も忘れられそうにありません。明日の朝までに戸籍を調べあげて近衛兵を送り込んでしまうかもしれませんね」


「いや…そんなつもりは…どッ、ど、どうすればいい…?」


 男はヘロンの胸元からゆっくりと手を離し、腰をくの字に曲げ怯えながら顔色を窺うように覗き込んだ。

ヘロンの薄紫の目は氷のような冷たさで男を見下していた。


「僕の妻に謝罪を」


ヘロンは短くそして冷たく答えた。


すぐさま男達はリリアンの前に片膝をついた。


「こ…この度は伯爵夫人様に大変申し訳ないことを…」


「全くだ。御嬢様に対してなんたる侮辱。この身の程知らずめ…良いか?貴様はこれから昼夜を問わず悪夢にうなされよ。いやはや、それでも足りぬくらいだ…とにかく昼夜を問わずに」


(スコラー…やめなさい。ありがと)


 いつの間にかスコラーが謝罪をする男の肩に乗り耳元で呪詛の言葉を呟いていた。


 すごすごと逃げていく男達の背中を見送ったあとで、旦那様に抱きついてみた。

胸を思いっきり押し当てながら


「助けてくれてありがとうございます。旦那様すっごくすっごくかっこよかったです」


「……………あぁ。よかったね」


———ん?ん〜?よかった…?

無事でよかったってこと??

普通伝わらなくない?

あんなにカッコよく話してたのに!

何このギャップ!これが私だけに見せる顔ってやつ?可愛い!カッコいい!最強じゃない!!


「リリアン様!この旦那様のとんでもない心拍数!このライアンが確認したところによると今日一番でございます!」




———その後トラブルはあったものの何とか無事に演劇の時間に間に合うことができた。


 素敵な舞台だった。

主演の俳優が金髪の美男子でつい旦那様を重ねて見てしまった。


 激しいアクションと大掛かりな舞台仕掛けの派手な舞台だった。


 そして…男女の哀しい恋愛だった。

秘めた伝えられない気持ちを抱えたまま恋人達が戦争によって引き裂かれる。


「帰ったら君に伝えたいことがあるんだ…」


「私、ずっとお待ちしてます…!お帰りになったら私も伝えたいことが山ほどあります」


 二人は互いを想ったままだったが、そんな別れを交わしたきり男は二度と戻ってこなかった。



———旦那様と…重ねるんじゃなかったな…


ヘロンの手汗を感じながら、少し寂しさを残してデートは終わりを迎えた。

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