7話 犬のお月さま

「あはは、キミ、スゴいね。ワンダフル!」


 懐かしい笑い声に、現実へと引き戻される。


 目の前には、イヌイを抱いている元カノがいる。


「もしかして、キミってこのワンちゃんのご主人様?」

「いや、違う……が、訳あって探てる」

「そっかー。それはよかった。この子ね、薄暗い公園の周りを一人でテクテク歩いてたからすっごく危なかったんだ」


 どこか感心したように春は話を続けていた。


「でも、これで一安心、だね」


 春は犬に語りかけるように優しく頭を撫でた。


 あの頃と変わらぬ笑顔。


 でも、何かが決定的に違うような気がした。


 いや、確かに春なのだ。


 ツヤのある薄ピンクのボブカットも、見惚れてしまいそうなあの笑顔も、あの頃と変わっていない。


 それなのに、どうしてこんなにも違和感を感じるのだろうか。


「よし!ちょっと寂しいけど……この子は、キミに預けるとしようかな」


 そっと立ち上がって、イヌイを俺の方へと差し出す。


 いや、待てよ……。


 春は、俺の知る春は、犬が大の苦手だったはずだ。


 そんな春が、犬を抱いてる?


 克服したのか?俺と別れてからのたった2年で?


 犬が吠えるだけで腰が抜けて動けなくなるレベルだぞ?


 いくらなんでもそれはありえないだろ……


「この子のこと、よろしくお願いね。ずっと寂しそうな声で泣いてたから飼い主に会いたいんだと思うの」

「ああ、わかった」

「うん!それなら良かった!キミには感謝しかないよ!」


 小さくガッツポーズしながら、無邪気に微笑む彼女は幼い子どものようだった。


 けど、なぜか昔の春とはあまり重ならない。


 ドクンと、心臓が大きく跳ねた。

 

「じゃ、私はこれで帰るね?キミ、名前は?」

「え?名前……?」

「うん。名前……もしかして名乗りたくない?」

「いや、そういうんじゃないんだけどさ」


 幼なじみで、元カレの名前を覚えてない?


 そんなバカな話……ある、のか?


 どこか疑うような視線を向けるも、帰ってきたのは悪気の一つもなさそうな純粋な笑顔だ。


「青柳幸生。高校2年だ」

「へ〜。幸生くんか。素敵だね!私の名前は、瑠璃ハル。桜を誰よりも愛する女子、略してサクラ女子だよ!」

「その略は辞めた方がいいと思うけど……」


 ヒヤリと、一筋の汗が背中に流れた。


 名前も、顔も声も一緒。


 でも、何かが違う、春を名乗る少女。


 何かが抜けていることに気づけないこの奇妙な感覚。


 あまりにもあっさりしすぎている2年ぶりの再開。


 違和感しかない。


「じゃ、私はここで!じゃあね!」

「おう、じゃあな……」


 元気に走って行く後ろ姿を眺めながら、疑問をポツリと口にする。


「アイツは一体、誰なんだ?」


 もしかしてドッペルゲンガー?いや、そんなバカな。


 幽霊なんて存在するわけがない。


 この世界にあるのはどこまでいったって後味悪い、人間関係という名のリアルだ。


「わん、わん」

「っと、ごめんごめん」


 姫乃に連絡して近くのコンビニで待ち合わせることに。


 程なくして姫乃が到着。


 髪もボサボサで、明らかな私服であろう格好で駆けつけた姫乃はイヌイを見るなり、すぐに泣き出してしまった。


 よほど心配だったのだろう。


 イヌイを強く抱きしめながら泣きじゃくる姫乃はどこか嬉しそうだったのだ。


「じゃ、俺はここでさよならしようかな」

「ありがとね、本当に嬉しい。私、もう二度と会えないって思ってたからさ。こうしてまた会えるのは紛れもく幸生くんのおかげだと思うから」

「んなことないさ。俺のおかげだけじゃない。イヌイがあの公園にいてくれたからみつけられたんだ。感謝するのは俺じゃなくてイヌイにした方がいいんじゃないか」

「うーん。うん。それもそうだね。やっぱイヌイは最高だぁ」


 姫乃はイヌイを両手で持ち上げて頭上に掲げる。


 俺もつられて見上げると、お月様には脱力した犬の形が浮かんでいた。


「ふふ。なーんてね。またイヌイと出会えてのは間違いなく、幸生くんのおかげだよ。だからありがとね」


 その屈託のない笑顔は、ボサボサ髪と明らな部屋着でどこかしまらなかったけども。


 コンビニの照明に照らされたからか、間違いなく輝いていた。


「そりゃどーも。喜んでもらえたのなら何よりだ」


 姫乃から顔を逸らし、満月に目を向ける。


 当然ながら犬の模様はないし、うさぎさんも居なかったが、姫乃の笑顔が映し出されて思わずのけぞってしまった。


「ちょっと、どうしたの……?大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ。なんでもない。ただ、あれだ。姫乃もそんあ笑顔できるんだなって、少し意外だったから」

「そんな顔って……う、うぇええ!?な、何!?そんな変な顔してた!?」

「違う、違う。全然変じゃないよ。ただほらさ、姫乃っていつも本読んでるから、笑顔、珍しいなって」


 特に誰とも話すことはなく、常に一人で本を読んでいる文学少女、それが俺から見た姫乃のイメージなのだ。


 ここだけの話、その真面目な雰囲気が神秘的で男子には人気でもある。


「あうぅ……もう、幸生くんの前では笑わないから……」


 顔を赤に染めてイヌイを体の方へ抱き寄せる。


 イヌイは苦しそうにくぅぅんと高い声をあげた。


 いやー、俺、やっちゃった?ど、どーしたらいいんだろうか……


 に、逃げちゃうか?それとも謝るのがいいの?わっかんねぇー。


 元カノとは友達みたいな感じだったからなぁ……


「と、とにかく!」


 姫乃がしゅばっとイヌイを俺の方へと突き出した。


「すごい感謝してるから」

「お、おう」

「じゃあ、私、帰るからね」

「ワンっ!」


 気まずい雰囲気だったが、姫乃がいい感じに切り出してくれた。


 姫乃は俺の返事を待つ前にイヌイを抱いて走って行った。


 元気な足取りで、すぐに暗闇の奥へと入っていった。


 イヌイのこと、好きなんだなー。


 結局、人間は失ってからでしかその大切さに気づけないのだ。


 けどそれはきっと情を移すから発生してしまうのだろう。


 だったら、最初から注がなければいい。時間も感情も。


 それなりでいれば、それなりのダメージしか受けないのだから。


「さてと、流石にこんだけ滞在して何も買わないのは申し訳ねぇ」


 コンビニに入って適当な弁当を掴んで、レジへと持っていき店を出る。


「ってやべ、二人に終わったって連絡してねえや」


 マジでごめん。

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「ハルみたいなキミへ」 ニッコニコ @Yumewokanaeru

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