第四節 満月の夜に【蘇芳】

第八話 蘇芳①

 部屋に戻ったら、早々に御側人頭おそばにんがしらあかねが怖い顔でやってきた。いや、茜はいつでも怖い顔だ。


蘇芳すおうさま」

「何?」

「あのような振る舞いは、いけません。柊護しゅうごさまや樹里じゅりさまに失礼です」

「ふん」

朱里あかりがうまく場を収めましたが、蘇芳さま、あなたはもっと土地守りとしてのご自覚をお持ちください」


 あたしは茜から視線を逸らす。

 茜は御側人頭を務めるくらいだから、異能の力が強い。

 以前、茜が朱火しゅかの土地守りでいいんじゃない? 力強いし って言ったことがある。そのとき茜は一笑に付して、土地守りは特別な存在なんですよ、蘇芳さま以外の朱火しゅかの土地守りはあり得ませんって言ったけれど、でもやっぱりあたしでなくていいと思うんだ。


「蘇芳さま」

 今度は返事をしなかった。

「この五色ごしきの地も、永い間緑青ろくしょうの土地守りが不在で、荒れておりました。みな、緑青ろくしょうの土地守りが戻って、喜びに溢れているのです。これから、ここを豊かな土地にしていこうと」

 あたしには関係ない。

 だって、特別な力なんてないんだから。


「もういいから、下がって、茜! うるさい!」

「蘇芳さま」

「うるさい! 下がれ!」

 茜が下がる気配がした。

 自分でも、このイライラする気持ちをどうすることも出来ないでいた。


 

 満月が美しかった。

 大きな大きな満月。

 五色ごしきの地は、土地守りを上に置き、土地守りをお世話する御側人おそばにんがいて、その下に下々の民がいる。土地守りと御側人おそばにんは山の上のやかたに住み、下々の人間は山の下の土地に住む。これは、どの土地守りの地でも同じだ。

 御側人おそばにんになれるのは、土地守りの血を引いている異能を持つものだけ。

 そう。

 この世界は異能の力で成り立っている。能力が高くないと、上へは行けない。


 あたしって、何だろうなって思うんだよ。

 さっき会った緑青ろくしょう――樹里の噂話は聞いていた。

 力が強いって。

 属性の木の力はもちろん、恐らく土の力も水の力もあるだろうって。なんでも、緑青の土地はあっという間に豊かになっていったらしい。樹里がいる恩恵はあたしも感じていた。朱火しゅかの土地も緑豊かになった。今年は豊作らしい。


「あー、すごいすごい」

 あたしには出来ません。

 あたし、なんでここにいるんだろうなあ。あたしいても、意味ないよね?

 ふいに満月に誘われた気がした。

 あたしはこっそりと館を抜け出すことにした。

 


 館を抜け出して、月夜の中を歩く。

 夜、一人で歩くのって、なんだかわくわくする。

 夜の中で樹々を見る――確かに、緑が元気になっている。ああ、緑青ろくしょう、強いなあ、と思ってまた憂鬱な気持ちになった。

 山の境界まで来て、少し悩む。

 山を下りちゃおうかな?


 あたしはほとんど山を出たことがなかった。山の下に下りるときは、必ず誰かといっしょだった。

 それに、あたしは浮遊があまり得意ではない。

 この夜、山を下りるなら飛ばないと無理だ。山道はあるにはあるが、ほとんど獣道だった。何しろ山に来る人間は飛べるものがほとんどだからだ。

 あたしはまた溜め息をついた。そして、意を決して飛ぶことにした。


 ふわり、と身体が浮く。

 月光が美しく、まるであたしを包み込んでいるように感じた。

 あたしはそのまま山を下って行った。なんだか、出来るような気がしたのだ。この、大きな満月の夜なら。

 満月は黄みがかった銀色に輝いて、群青色の夜に月光をミルク色に溶かし出していた。

 月の光があたしに力をくれている気がした――ほんとうに、そうならいいのに。

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