第三十話 現うつつ


「樹里!」


 ――意識が遠のく。

 さっきまで、柾くんと紅茶を飲んでいたのに。


「樹里、起きて! 向こうに意識を持っていかれないで!」

 柾くん。

「樹里、目を開けて、僕を見て!」

 柾くん。

 なんだか、とても眠いの。――意識が持って行かれてしまう。

「樹里、樹里!」

 柾くんに抱きかかえられる。

 柾くん。――声にならない。



 そうだ。

 あのとき。

 事故に遭ったときも、わたしは意識がどこかに飛んでいきそうだった。

 車がわたしに向かってきて、わたしはこの子を守らなくちゃ! と思ったんだ。

 絶対に絶対に。

 強く願った。

 わたし、死にたくない。この子も死なすわけにはいかない。

 絶対に。絶対に!

 死にたくない。死なせない。

 誰か。

 誰か、守って!


 ――やわらかい光がわたしを包んだ。


 そうして、車にはぶつかったように見えて、実際にはぶつかっていなかった。光がわたしを守ったのだ。

 そして植木が優しくわたしを受け止めてくれた。

 緑がたすけてくれたんだ。

 それから、お腹の。



「母さん!」

 彬の声がした。

 彬? 

「母さん、行かないで!」

 この声は。

「……湊」

 気づいたら、わたしは柾くんと彬と、それから湊に抱えられていた。

「母さん、ごめん、ごめんなさい!」

「湊、何を謝っているの?」

「だって、俺、最近態度、悪かったから」

「湊……泣いているの?」

「……母さん」

「泣かなくていいのに。だって、この間も心配して、見に来てくれたでしょう?」

 わたしは湊の頭を撫でた。


 それから、彬に視線を移す。

「彬」

 彬には、

「柾くん」

 柾くんには……出会ったときから、ずっとずっとたすけられている。

 愛しさが込み上げてくる。

 みんな、大好き。

 みんな、大好き。

 愛しい人たち。



 ずっとずっといっしょだよ。

 うん、柾くん。みんなで。ずっといっしょにいよう。



 わたしは柾くんと、彬と湊と抱き合い、

 ――涙を流した―― 




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