終章

 ポート・オブ・メイカーを離れてから自分の身に起こったことをリジーさんにどう説明したものか、船上のエドワードはずいぶん頭を悩ませたのだが、リジーさんにとってはどんなお土産話よりも、エドワードが無事に戻ってきたことが一番の衝撃であり、驚きであり、感動だった。


 リジーさんはエドワードがあらかじめ出しておいた手紙を受け取ってから毎日港でいまかいまかとそのときを待ち続け、エドワードとアーシアが手を振りながらアンメリー号を下りてくるのを見ると、足が悪いとは思えないほど元気にふたりへ駆け寄った。このとき、エドワードがポート・オブ・メイカーを出てすでに半年が経っていて、もともとはどちらかといえば色が白かったエドワードはすっかり日に灼けていた。


 「連絡が遅くなってごめんなさい」


 今のリジーさんが何を言っても「いいんだよ、あんたさえ無事ならそれで」と言ってくれることは分かっていたが、エドワードはまずそう言わなければならないと思った。両手を広げてエドワードとアーシアを出迎えたリジーさんは、半年前より明らかに痩せて、小さくすら見えたのだ。


 「ポート・オブ・メイカーを出たときは、まさか戻ってこられるなんて思ってなかった――まさか、ルーミアのあとで南の島へ行くことになるとも、思ってなかったし。こんなに大きな青い蝶が、たくさん飛んでいるんだ。こればっかりは、ティリパットさんも予測できなかったと思うな」


 ここからはじまったエドワードの冒険譚は、アーシアが時折補いながら、かなり長く続いた。リジーさんは何でも詳しく聞きたがったし、素晴らしい聞き手でもあったからだ。エドワードがアンメリー号に隠れて危うく難を逃れたくだりでは身震いして魔除けの言葉をぶつぶつと唱え、クレイハーの話が出ると二回に一回は「そこにあたしがいりゃあ、肉切り包丁でぶっ叩いてやったのに」と合いの手を入れた。


 「なるほどねえ。あたしゃ今までいろんな本を読んできたけど、こんなにはらはらさせられた話は初めてさね」

 すべての話が終わったあと、ようやく思い出したというように冷めたお茶を啜りながら、リジーさんは言った。

 「それじゃ、あんたたちはそのヴィクトリアって時計台を引き受けることにしたのかい? 」

 「いずれはそうしたいと思ってる。あれは父さんと、親方が造った時計台だし」


 エドワードはリジーさんがふたりに出してくれたスープをひとさじずつ味わいながら言った。旅の道中実にいろいろなスープに出会ったが――冷たいのや、甘いのや、酸っぱいのや――、リジーさんのごった煮スープに敵うものはどこにもなかった。


 「ゴーツさんは、専属の職人として僕を迎え入れるって言ってくれた……ふたりの遺した仕事を、僕がずっと引き継いでいくんだ。一階も場所があるから、アーシアが将来お店を持つなら協力してくれるって。僕らも、それに応えたいんだ。金を山ほどもらうより、そっちの方がいいと思って」


 リジーさんの喜びようは、ふたりの予想以上だった。


 「すごいね! なんて気持ちのいい話だろう! あんたが消えちまってから、あたしゃアルフレッドにもマーガレットにも、それにウィリアムにも、とても顔向けできないような気がしてたけど、それも今日までさね」

 「うん。だから、とりあえず僕は次の――この間のには出せなかったから、次の認定会で親方たちに認めてもらって、きちんと職人になるつもりだよ。作りたいものは、たくさんあるんだ――妖精が踊るオルゴールとか、大きなからくり時計とか――魔法の道具みたいなものを作ってみたい。船乗りの仕事をしながら、設計図をずっと書いてたんだ。……うまくいけばいいけど」

 「なに、あんた、心配することはない。あんたは、あのウィリアム・ドルトンの弟子じゃないか……ウィリアムがあんたを引き取ったとき、養子じゃなくて弟子にしたのは、あんたにからくり職人としての才能があったからなのさ。ね、あんただってそう思うだろ? 」


 リジーさんはアーシアにウィンクしてみせた。アーシアが嬉しそうに頷いたので、エドワードは頬の辺りが熱くなるのを感じた。


 そして、渦中にいる間はあれほど苦難の波に翻弄されているような気がしていたのに、こうしてすべてが終わってしまったあとでは、『セオとブラン・ダムのおはなし』を見つけたことからはじまった一連の冒険――平和な気持ちで思い返してみれば、確かに〈冒険〉だった――が、実にかけがえのない体験だったように思われてくるのが不思議だった。


 「全部がうまくいってよかった」


 とエドワードは言った。


 「もうだめかもしれないって何度も思ったけど……僕、今度のことがあってよかったって思ってるんだ。ヴィクトリアを、見つけた。物語が好きだったことも、思い出した。前より、僕自身のことを信じられるようになった」


 アーシアがにこにこしながら聞いているので、エドワードは思い切って続けた。


 「――それに、君に会えた。君の言ったとおりだ。前の僕だったらとても信じられなかったような幸運が、たくさん待ってたんだ」

 「あら……」


 アーシアは何か言おうとしたようだったが、いつものような達者な言葉はなかなか出てこなかった。だが、わずかに赤くなったアーシアの頬は、普段の彼女と同じくらい雄弁に彼女の心境を語っていた。


 リジーさんが愉快そうに大笑いした。エドワードが差し出した『セオとブラン・ダムのおはなし』は、今度こそリジーさんに読んでもらえることだろう。


 「あたしだって、ちゃんと言っておいたじゃないか! この本は、きっと見かけ以上にあんたにとって意味のあるものになるだろうってね! 」

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アンメリー・オデッセイ ユーレカ書房 @Eureka-Books

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