第三章 参の羽(4〜7)

    4 初めての声



 ヒガンバナから少し離れた所に線路下の小さなトンネルがある。周りは野原が広がっていて、街並みから一転して人数が少なくなる。


「電話は笹井君だよね? 警察署にいるとなると結構面倒だなあ」


 さっきまで、ヒガンバナで男子学生と話していた男だ。手には刃物を持ってこちらに突き付けている。


 笹井さんはサインに気づいてくれただろうか。手汗が止まらない。


「そうだなあ。君さ、僕を保護したって体で署内に入れてくれない?」


「断る。何を考えているか分からないがお前に協力はしない」


 タテハはにやっと不気味に微笑んでナイフを振りあげた。


「素晴らしい。それでこそ笹井君の部下。哀れな最期を悲しんでくれるかな?」


 警察官であった事に悔いはない。ずっと真面目に生きてきて、最後に上司の役に立てたなら本望だ。グッと目を瞑り一気にそんな事を考えた。鈍い音が電車の通過する音でかき消された



 笹井が電話をしに外へ出て行ったが、戻って来ないので様子を見ると、忽然と姿を消していた。


「また勝手に・・・」


 ふつふつと怒りがこみ上げる。るりは、冬花の姿をじっと見つめている。


 ピークが過ぎて、客足が減ったのでいとと雪は、休憩をしに二階へ上がって行った。みとはサッと作ったオムライスを持ってるりの席に運んだ。


「冬花さんって今までの人達とは違うんじゃない? 私だったら声が出なくなってしまった人に、どうしたら出る様になるのかとか治す方法を探すけど、彼女はるりさんの考えている事を感じようとしてる。一緒に寄り添ってくれる人よね」


 るりもそう感じていた。今まで色々なカウンセラーの人と接したけど、心の塊みたいなものが溶ける感じは無かった。自分の為に何かしてもらえる事が苦痛だった。


 冬花は、無理に問いかけたり治る方法を探ったりはしない。ただ寄り添って、るりの考えを察してくれる。


「あなたの味方は結構いるわよ」


 声が出なくて役立たずの私を、誰も面倒臭そうにしない。初めて居心地が悪くない人達に出会えた。それがどれだけ幸せな事か、苦労してきたるりには痛い程心に沁みた。


 るりの澄んだ目がキラッと光った気がした。立ち上がり冬花の所へ向かった。


 冬花は突然、上着をグイっと掴まれてよろけた。そこにはるりが何か言いたげな表情でこちらを見ていた。


「席に座りましょうか」


 冬花は何かを感じ取って、るりが座っていた席へ戻った。みともこちらに微笑みかけてきたので冬花は大きく頷いてアイコンタクトを取った。


「ゆっくり落ち着いてからでいいのよ。急ぐ必要なんてないから」


 ふーっと大きく息を吐いて、しっかりと前を向いた。


「わ、わたし・・・あなたを・・・信用できるから。話したい」


 途切れ途切れに言葉を発する姿を見て、自然と両手に力が入った。


 しかし何から話せばいいのか、また黙り込んでしまった。すると突然背後から何かがのしかかって来た。


「よく話したね。良かった」


 いとがるりに抱きついてきた。いとも同じ能力者として何か似た経験があったのか、自分の事の様に喜んだ。


 るりは驚いていたが、恥ずかしそうに微笑んだ。


 いとは顔を拭くためにカウンターへタオルを取りに行った。


「全て口に出さなくてもいいと思うわよ」


 みとが書いたり消したりできる、電子メモをテーブルに置いた。


 るりは頷いてから、電子メモに言葉を書き始めた。


『私は死者の声が聞こえる能力者。葉山 せりの声は聞こえないから生きている。あの日私を助けるために木の上から降りてきたあの人は、多分葉山 せりだと思う』


 あり得ない話だが、古都の話を聞いて、薄々はそうなんじゃないかと思っていた。


「なぜあなたを助けに来たのか分かる?」


 るりは首を振って、また書き始めた。


『私の前に現れた理由は分からないけど、私たちは同じ高校のクラスメイトだった』


 るりが同じクラスだったのは、調べた時に知った。クラスの生徒たちは葉山 せりの印象として、ずっと本を読んでいるイメージしかなかった。いじめられていたという事実は無かったが、一人が好きそうだったと証言があった。


『カラスの声も聞いた』


「カラスって・・・あの場所に居なかったわよね?」


「通った・・・車で。あの公園の前で聞いた」


あの日笹井が、菜津子に電話をしてくれて、この喫茶店までるりを送り届けてくれた時に公園の前を通ったのか。


「声が聞こえたから・・・停まってもらって・・・暫く話を聞いたの」


 少しずつ、るりの会話がスムーズになってきた。まだ慣れていないからか、たまに苦しそうに声を出すので、冬花はるりの隣に座って背中を摩った。


「大丈夫。一度に話さなくていいから」


 首を大きく振って、冬花の服をぎゅっと握った。


「ちゃんと・・・役に立ちたい」


 今まで大人しくて気が付かなかったが、彼女の必死な表情を見て、この子はまだ高校生の子供なんだと内心ほっとした。


「じゃあ、筆談でいいからゆっくり書いてくれる?」


 公園の前に停まっていた短時間で、一体何を話したのか。そんなことを考えながら、冬花は客足の減った店内を見回してるりを待った。気づくと、雪といとが向かいの席に座って、遅い昼食を取り始めていた。


「気になってたんですけど。死者の声が聞こえるって言うのは、会話ができるの? それとも聞くだけ?」


 ピラフを頬張りながら雪が訊ねた。


「頭の中で・・・会話ができる」


「テレパシーみたいな感じなのかな?」


 いとも気になったのか会話に入って来た。頷いた所で、書き終えた物を見せた。


「えっ・・・」


 冬花は書いてある事を見て思考が停止した。何度読み返しても、理解できなかった。


「冬花さん。大丈夫ですか?」


 いとが、動かなくなった冬花を見て心配そうに顔を覗かせた。


 テーブルに置いた冬花のスマホが鳴り、ハッと我に返る。画面には影沼係長と表示されていた。








    5 聞き込み





 二時間前。影沼の電話が鳴った。

「おう笹井。お前また上に根回ししやがったな?」


 不機嫌そうに火の点いていない煙草をくわえながら言った。


『影沼さん。小平ちょっとやばいかもしれないです』


「ああ。まあちょっとじゃなくやばかったわ」


 半笑いで隣にいる小平の頭を叩いた。いい音と共に痛っと声が漏れた。


『え⁉ 無事なんですか?』


 ほんの少し前、男が振り上げたナイフで刺される寸前の小平を助けに影沼が投げた石が、刃物を持った手に当たって難を逃れていた。


そして、何かに驚いた顔でその場から逃げ去ったという。


『ってかなんで影沼さんいたんですか?』


「お前ら俺の事見くびるなよ? 小平なんてバレバレなんだよ行動が!」


 とりあえず安心だ。影沼係長はノンキャリにして数多くの賞や経歴を持っているにも関わらず、出世に興味のない古い刑事だ。しかし人一倍の勘や行動力に多くの刑事が密かに憧れている。


本人は気づいていないようだが…。


「んで。あのやばそうな野郎は何だ? 平気で何十人も殺した様な目してやがった。そろそろ事情を話せ」


『その前に頼まれてくれます? これも緊急案件なんですけど』


 影沼は小平をじっと見て、大きなため息を漏らした。


「もうなんでも言いやがれ。何だか分からんが人の命が関わってるんだろう?」


 さすが。なんでもお見通しとはこの事か。


『静原 古都を探してください。恐らく、葉山 せりの実家付近に居るはずです。古都ちゃんが話を聞いた高校生が必ず接触して来るはずです』


 影沼は日々笹井が何者なのか分からなかった。交番勤務から配属されて来た割に現場では冷静。上層部へ圧力をかける事の出来る危ない奴だと、署内の一部ではちょっとした噂になっている。先を読む観察力と洞察力、自分の勘がいくらきくと言っても、笹井だけは読めないし謎だらけだ。


「借りはでかいからな~」


 少し脅しながら電話を切った。


「おら!行くぞ!」


 小平の腰を叩いて早足で歩きだした。ふと見えた影沼の横顔は、わくわくとして嬉しそうに見えた。






 古都は葉山 せりの実家の前で、じっと表札を眺めていた。人が住んでいない為、家の前には雑草などが生えているが、家自体はそこまで古くなく綺麗な一軒家だ。


 隣はアパートで、こちらは新築なのか外見が新しい。少し離れた所に古い一軒家があった。丁度そこから六十代くらいの女性が出てきた。


「あ! すいません」


 女性に駆け寄ると、女性は少し驚きながらも立ち止まってくれた。


「あそこに住んでいた、葉山さんのご家庭の事知りませんか?」


 突然女性の表情がピリッと変わった。


「あなたどこの人? 記者?」


 大体の人は、記者と聞いていい顔はしない。ある事ない事書く記者も少なくないし、こういった殺人が絡んだ事件には余計敏感になる。当たり前のことだ。


「こういう者です」


 名刺を渡すと、余計嫌な顔をした。何となくこういう時に、先輩方みたいに嘘をついたり出来ない性分なのが未熟な所だ。


「知りませんよ。急いでますから」


 名刺を突き返して颯爽と歩いて行った。初めての経験ではない。いつもの事だと目についた自販機へと向かう。


横にはベンチがあり少し休憩することにした。


 平日の昼時で人通りが少ない。聞き込みが進むだろうか。自分の取材ノートを見て俯いていると、目の前に人の影が現れた。顔を上げるとにっこりとほほ笑む駿河 碧の姿があった。






 影沼と小平は、葉山 せりの家の周りで古都を探していた。


「俺はその静原 古都って知らんぞ。お前顔とか分かるのか?」


 笹井から送られてきた写真を見せて、辺りを見回す。


「あ、あの人です・・・古都さん」


 早足で息の切れた小平が指をさした。


 影沼は疲れた様子もなく、指をさした方向へ走った。


「静原 古都さん?」


 缶ジュースを片手にノートを開く古都が顔を上げた。


「深山警察署の影沼です。笹井の上司です」


 笹井の名前を聞いてはっとした。


「こんにちは。どうかしたんですか?」


「男子学生が会いに来ませんでした?」


 少しフリーズして古都は首を傾げた。


「さっきまでいましたけど・・・どうして知ってるんですか?」


 タイミングが良かったのか悪かったのか、影沼と小平は顔を見合わせた。


「笹井さんに頼まれたんです。男子学生が古都さんに危害を加えるかもしれないから保護して欲しいって」


「え? 碧君が? 危害なんて加えないですよ」


 ふっと噴き出してくすくすと笑いながら、小さいメモを取り出した。


「これ。さっき一緒にいたんですけど、このメモを落としたみたいで、わざわざ探して届けてくれたんです」


 状況が分からない二人は、何が正しくて何が間違えなのか判断できなかった。


「とりあえず、笹井に話を聞いてみない事には何とも・・・今こっち向かってるから合流して話を聞きましょう」


 頭を掻きむしりながら、笹井の姿が無いか辺りを見渡す。


「影沼さん?」


 背後から声をかけられて振り返ると、古都が葉山家の事で話しかけた女性だった。


「おお! 金山さん元気だった?」


 古都は、強張った表情で親密そうな二人を何度も見返した。


「お知合いですか?」


「ああ、去年かな? この辺で不審火があって、金山さん一人暮らしだからちょいちょい見回りついでに茶をご馳走になってたんだよ」


「事件が解決して嬉しかったけど、それから影沼さんとお話しできないから寂しかったわよ」


 二人は当時の面白可笑しい話で盛り上がり、ケタケタと笑い合った。


「あら? さっきの記者の人じゃない。影沼さん知り合いなの?」


「金山さん昔、記者にしつこくされて毛嫌いしてたもんな。大丈夫大丈夫、彼女はこっち側の人間だから」


 鶴の一声・・・いや、影沼の一声で女性の態度はガラッと変わった。


「そうなの~? さっきはごめんなさいねえ」


 あまりの態度の違いに、若干引きつりながらも笑顔で返した。


「俺も葉山君の母親について調べているんだが、近所付き合いとかあったの?」


「母親のみどりさん、まだせり君達が小さかった時にね、よくこの辺をお散歩させていたから挨拶してたわよ」


「達? せり君と他に誰かいたのか?」


「あら知らなかった? せり君とあげは君。双子の兄弟でしょ?」


 三人は絶句して動きを止めた。


「どういう事だ? 戸籍まで調べたんだよな? そんな話聞いた事ねえぞ」


 小平に聞くが、当時の資料には子供は一人と書かれていたはずだ。


「みどりさんのお仕事忙しいみたいで、割と大きくなってからは妹さんがお世話しに来ていたわよ?」


 葉山 みどりにも姉妹はいなかったはず。なんだ? どうなっている。


「あげは君が高校に進学と同時に留学するから、サポートの為にみどりさんが着いていったんだけど、せり君はこっちに居たいって言い張ったからみどりさんの妹さんと暮らしていたんですって」


「そのせり君と一緒に住んでいた妹さんってどんな感じの人でした?」


 小平が口を開くと、女性はうーんと唸った。


「どんな感じって言われてもねえ・・・ああ、ちょっと待ってて!」 


 何かを思い出したのか急いで自宅へ入って行った。


「記者さんはこの事調べ済みだったのか?」


「知りませんよ。警察が知らないのに私が知ってるわけないじゃないですか。双子だなんて初めて聞きました」


 呆然とする古都に、嫌みっぽく話しかけるので精一杯だった。


「じゃあ、あのバラバラ事件の死体は、あげはって言う人だったって事?」


 三人はもう頭が混乱して、誰も答えなくなった。


「あったわよ! これ」


 息を切らして何かを手に持って走ってきた。


「前にね、私の孫が写真撮ってくれたんだけど、丁度せり君と例の妹さんが通って、一緒に写ってもらったのよ」


 影沼にその写真を手渡した。しかしすぐに、小平が慌てて写真を奪い取った。


「おい、俺にも見せろ」


 取り返そうとすると、小平の顔色が一気に青くなっていくのが分かった。


「影沼さん・・・これって」


 横から顔を覗かせて写真の人物を見る。見覚えのある顔だ。思い出した瞬間、耳の奥で甲高い音が鳴り響いて全身から嫌な汗が出ているのに気が付いた。






    6 敷村 菜津子





 影沼係長からの電話には正直出づらかった。報告連絡もせず無断欠勤。なんと言って電話に出れば……少し悩んだが通話をタッチした。


「・・・はい。お疲れ様です」


 冬花はぼそっとした声で電話に出た。


『下田・・・落ち着いて聞け』


 嫌な予感がした。いつもこの雰囲気の電話は、いい話ではない。


『笹井から色々聞いて、俺も協力して動いているんだが・・・今さっき仕入れた情報だと葉山 せりには双子の兄弟がいるようだ』


 冬花は、るりの書いた筆談の電子メモに目をやった。


カラスは神原という名前。葉山 せりは双子で二人同時に実験をしたって。片方が能力者で片方がそうじゃない。その二人じゃないと成功しない。その情報を教えてくれたのが下田 ひろさんだったって話していた。


ついさっき知らされた事実の裏付けになった。


「はい。私もさっき知りました。」


『なんだよ! じゃあ敷村の事も知ってるのか! お前から連絡してくれ』


「敷村? 菜津子がどうしたんですか?」


 心臓の音がどくどくと耳の裏に響いた。


『葉山 せりの母親の妹と名乗っていた女が、敷村らしいんだよ。今みせてもらった写真に葉山 せりと一緒に写ってやがる』


 目の前が一瞬ぐらりと回った。呼吸が上手く出来ないような錯覚に襲われた。もう何が起こっても動揺しないと決めていたのに・・・。


「冬花さん、大丈夫ですか?」


顔を上げると、るりといとが心配そうにこちらを見ている。


「大丈夫よ」


 嫌な汗がこめかみをつたったが、にこりとほほ笑んで電話を続けた。


「至急連絡します。笹井はそっちにいますか?」


『今向かっている所だ。合流したら、分かれて敷村に事情を聞きに行く。下田は近江 るりの保護と、あと〜……少し休んどけ』


 上司らしい言葉を初めてかけられた気がする。すぐに電話は切られて、電話帳から菜津子を選んで手を止めた。

「あなたは何も心配することはないわ。私が守るから」


「私達です!」


 るりに抱きつきながら、いとが膨れた顔で言った。みともカウンターから微笑んだ。何とも心強い。


「ふふ、そうね。少しだけ外の空気を吸ってきます」


 しっかりとした足取りで店を出て行った。


 店を出てすぐに、菜津子に電話をかけた。コール音が鳴る度に切ってしまいたい衝動に襲われたが、耐えながら待つと三回目のコールでぴたっと止まった。


「もしもし、菜津子?」


『冬花どうしたの?』


 いつも通りの菜津子の声だ。やはり何かの間違えなんじゃないだろうか。


「今どこ? 話したい事があるんだけど」


『ああ、もしかして写真見たの? あのおばさんはそこまでおしゃべりじゃないと思ったんだけどな』


 固まったまま声が出せない。


『どこまで調べたのか分からないけど、写真に写っていることは事実よ。そして、今日付けで警察を辞めたわ。今までありがとう』


「・・・逃げる様な事をしたの?」


『そうね、自分では間違った事をしているとは思わない。今までもこれからもずっとそうやって生きて行く』


 いつもはおっとりとした口調の菜津子だが、段々と声色が変わって別人の様だ。


『近江 るりさん、しっかり守ってあげてね』


 そう言うと通話は切れた。スマホに着いたコネクターを取るとぎゅっと握りしめ、どこかに電話をかけた。


「もしもし、どう? 探知できた?」


『探知できました! 場所を確認して向かいます』


 電話の相手は小平だった。冬花のスマホに着いたコネクターは、まだ試験中だが通話相手の位置情報を探知できる優れ物だ。位置情報は小平のノートパソコンに表示される。


 菜津子は何をしにどこへ向かっているのか。今すぐに駆け付けたいが、自分の役目を再認識して店の中へと戻って行った。


 カウンターに目をやると、さっきまで居たみとの姿が無かった。


「みとさんは?」


「お姉ちゃんは空いてきたからって、休憩に入りました」


 冬花はさっきの席に戻ると、食事を終えたいとがそう言いながら水を飲み干した。


 二階に行く階段をじっと見つめながらるりの隣に座った。



 冬花との電話を終えてすぐに、遠くから呼ばれていることに気づいた。


「影沼さん」


 声の方を振り向くと、笹井が走りながらこちらに来ていた。


「笹井、大変だったな」


 息を切らしてきた笹井の肩にポンと手を置いた。表情が少し和らいだ瞬間に影沼は、笹井の腕を掴み技をかけた。


「なんて言うと思ったか? 勝手な真似ばっかりしやがって」


 痛がる笹井に技を決めたままのしかかる。小平は何もせずにパソコンを打っている。


「すいません、すいません‼ ちょっと、緊急なんですよね⁉」


「何で知っている⁉ お前は盗聴もしているのか⁉」


「僕がさっきメールしたんですよ。敷村さんの事で何か知っているかと思って」


 小平がパソコンを見ながら、面倒臭そうに言った。


「じゃあ、笹井が来たからここからは分かれるぞ。俺達は敷村の居場所を探す、お前と記者さんはもう少し葉山家の事調べてくれ」

 笹井の手をパっと離して、冷静な口調で指示を出した。小平は慌ててパソコンを閉まって、影沼の後を追いかけた。


「古都ちゃん、良かった。例の学生には会えた?」


「白々しい・・・あの小平さんって人を使って私をつけてましたよね?」


 若干不機嫌そうだ。


「あーバレてたか。つけていたっていうか、ボディーガードのつもりで見張らせてたんだけどね」


「ボディーガードの割には、簡単に巻かれていましたけど」


 最もだ。小平をつけさせたのは完全に人選ミスだった。どこからバレていたのか。


「私だって一応ジャーナリストとして、自分の身は守りますから。あれくらいは気づきますよ」


「だよね~。あいつパソコン男だから、ああいうの向いてないんだわ」


苦笑いをして、古都の機嫌を伺った。


「一つ気になることがあるんです。その話を聞いた学生が、碧君って言うんですけど、葉山 せりの家に何度か遊びに行っているらしいんです。その時に、母親が研究員で帰りが遅いから家には誰も居なかったって証言しました」


 金山という女性の証言だと、みどりの妹とされていた敷村 奈津子は葉山の家に一緒に住んでいたようだし、話が食い違う。


「碧君の話だと、葉山 せりと仲が良かったみたいですが、クラスでその事を知っている人物が一人もいないのも引っかかります。いくら昼休みや放課後だけ一緒にいたと言っても、誰かしらその姿を見ていると思うんですよね」


 顎に手を当ててじっと考え出した。

 古都は、警察の間でも有名なジャーナリストだ。優秀で礼儀もある。たまに突拍子もない切込みで聞き込んで来たりもするのは、下田 ひろに似たのだろう。彼女も若い時から第一線で活躍するジャーナリストだった。


「仲が良かったのは本当よ?」

 背筋がぞっとした。気配のない背後から突然声をかけられた。感じた事のある気配だ。タテハ・・・奴が現れる時もこんな背筋が凍るような気配だ。


「碧には会えた?」


 すらりとしていて、長い黒髪の女が立っていた。


「あ、さきさん」


 古都と知り合いのようだった。にこっとこちらにも挨拶をしてきた。


「せりは極度の人見知りだったから、人がいない所じゃないと心を開かなかったの。るりには心を開いていたように見えたけどね」


「どうして碧君に私を会わせたの? 知っているならわざわざ碧君と会わせなくても、昨日話してくれればよかったじゃない?」


 古都が話していた、たまたま再開したという女子高生か。


「碧と会わせたかったからよ・・・どう? どんな印象だった?」


 少し変わった子なのか? 何かを試しているかの様に、にやにやと古都に問いかけた。


「どうって? 礼儀正しい男子学生だと思ったわよ?」


「でも、引っかかる所があったんでしょ? 怪しいと思った?」


 いつから話を聞いていたのか。何を聞きたいのかが分からず古都は言葉に詰まった。


「ふふふっ。蝶の存在を知ろうとするなら、何でも疑わないと何も見えてこないわよ」


笹井の目つきが変わった。


「君は蝶の何を知っている? 組織の人間か?」


 口元の笑みが消えて、無の表情でこちらを見つめてくる。


「そんな事はどうだっていいの。ただ、バラバラ殺人事件・・・あの時の死体は、葉山 せりが生き返ったんじゃないわ」


 なんなんだ。この女はどこまで知っているのか。能力者だったらと、笹井は古都を一歩下げて自分の後ろに隠した。


「不死の実験の事を知りたいのでしょう?」


 古都はそっとポケットに忍ばした、ボイスレコーダーの電源を入れた。


「なんで、そんな事を知っているの? あなた一体・・・」


「あの時の死体は、葉山 あげは。葉山 せりの双子の兄よ。もう双子の存在には気づいているんでしょう? 同時に行われた実験で、あげはが不死の身体になった。死体が消えたのはそういう事」


「バラバラだった身体が・・・不死の力で元通りになったって事?」


 まるで映画の中の話なのではないかと疑ってしまう。


「まあ、理論上そういう事になるわね」


 嘘を言っている様子はない。冗談だとは思えない。


「その・・・葉山 あげはが今どこにいるか知っているの?」


 古都が笹井の背後から少し顔を出して言った。


「知らないわ。でも、せりはまたきっと姿を見せるはずよ」


 不敵な笑みを浮かべて、辺りをぐるっと見渡した。


「どうして分かるんだ?葉山 せりは何故姿をくらましている?」


「やることがあるからよ。分からない? 彼の母親は組織に殺された様なものだから、蝶を壊滅させたいと思っているのよ」


「組織に殺されたって・・・葉山 みどりは死んでいるの? ずっと行方不明って事になっているけど」


 思わず笹井の前に出てしまった。


「二人が実験されるよりもかなり前にね、自分が実験台になると言って」


「君も実験に関わっていたのか?」


 黒くて丸い瞳をこちらに向けて、にんまりとほほ笑んだ。風の流れに乗って着信音が聞えてきた。


 電話は影沼からだった。


「影沼さん? 今ちょっとそれどころじゃなくて・・・」


 電話に出た笹井の動きがぴたりと止まった。笹井の顔を覗き込んだ。瞳孔が揺れている、ひどく動揺しているようだった。


 生ぬるく強い風が一気に吹き荒れて、野山 さきの姿は消えていた。






    7 二人の殺し屋



 一時間前。


敷村 菜津子は海を見ながら海岸で立っていた。風が強くなり波も高くなってきた。


「嵐でも来そうですよね、何もこんな所に呼び出さなくってもよくないですか?」


 気配がないまま隣にタテハが現れた。


「これ、渡しといてくれる?」


 手にはUSBメモリーがあった。


「なんですか?」


「カラスが残したデータよ。不死に関するデータが入ってる。あなたが一年前に殺したジャーナリストから奪い損ねた物」


「あいつ・・・データは自分の頭にしか残っていないって言っていたはずだ・・・さっさと渡しておけばよかったのに、あいつもあの女も。結局は僕に殺されるのが怖かったって事か」


 少し笑みを浮かべながら受け取った。


「何故あの人より先に僕に渡したんですか? 警察に潜り込んだ優秀なスパイさんと仲が良かった記憶はないんですがね」


 菜津子は視線を遠くに向けたまま微動だにしない。


「警察は辞めた。もう必要なくなるから」


「必要なくなる?なん・・・」


 視界から菜津子の姿が消えて、一瞬でタテハの腹部目掛けてナイフを刺した。瞬時にタテハも菜津子の手に小さなナイフを刺したが間に合わなかった。


「ぐっ・・・なんでっ」


 絞り出した声に反応して、下から見上げた菜津子の顔に怒りと憎しみを感じた。


「殺し屋があなた一人とは限らないって事」


 にっこりと笑いながら、ナイフを抜いた。右手にはタテハが刺したナイフが刺さったままだが、抜こうとせずにタテハが倒れていく様をじっと見た。


「大事なデータなのに、おつかいもろくに出来ない出来損ないの殺し屋なんて、邪魔なだけよ」


 倒れ込んだタテハの手からUSBメモリーを取ってポケットにしまい込んだ。ようやく右手に刺さったナイフを抜いて、流れ出る血をハンカチで拭った。そのまま耳につけた無線機のスイッチを押した。


「今大丈夫ですか?」


『どうしたの? 警察辞めたって聞いたけど。組織の命令?』


「さすが情報が早いですね。いえ、私の独断です。それとこれも独断ですが、タテハを始末しました」


『・・・そんな事したら組織に怪しまれるわよ。何を考えているの?』


 海岸を歩きながら空を見上げた。


「ごめんなさい。これは当初から私のやるべき事だったので。計画に支障は無くやってみせるから・・・みとさん、あなたに迷惑はかけないわ」

『迷惑なんていいのよ。でも、最後まで死ぬんじゃないわよ』

 ふっと微笑みながら、目に涙を浮かべた。





 波が更に荒れ始めた頃、小平と影沼は菜津子の居場所を探知した位置情報を目指して海岸に到着した。


「この辺ですね。影沼さん・・・あれって、なんでしょう・・・」


 強い風から手で覆うように煙草に火をつける。


「あ? くそっ、つかねえ」


 風のせいで火が点かず、諦めて手で握りしめた。


「おいおい。人じゃねえよな・・・」


 少し先の砂浜に人影が横たわっているように見える。ゆっくりと近づいて、顔を覗き込む。


「うわっ‼」


 小平は、悲鳴を上げて尻餅をついた。


 警察になって大分経つが、未だに死体や血に慣れない。影沼は冷静にポケットから手袋を取り出し、片膝を地面につけて、倒れている人にそっと近づいた。


「小平、こいつってお前を殺そうとしていた奴だよな?」


 口元をハンカチで抑えながら、恐る恐る顔を覗き込んだ。


「うっ・・・そうです」


 確認するとすぐに走って離れた。情けない奴だ。


 笹井から少し話を聞いたが、組織に関わりのある“タテハ”とか呼ばれている凄腕の殺し屋らしい。しかし、そんな男がこうも容易く心臓を一突きとは・・・。


 影沼は立ち上がって、スマホを取り出した。


「笹井か? 敷村を追っていたら、お前の探している男が死んでたぞ。敷村がやったのかは分からんが、他の捜査員が来る前にとりあえず来てくれ」


 笹井は暫く黙ったままだったが、絞り出すような擦れた声で答えて通話を終えた。


「まあ次々と・・・」


 力の抜けた声がため息と一緒にこぼれ出た。




 少しすると笹井が古都と息を切らして走ってきた。


 直ぐに死体を見つけて、笹井は息を整えた。古都は一歩下がった所から様子を伺った。

「心臓を一突きですか・・・俺はこいつと何度かやり合いましたが、こんな殺され方をするような男じゃありません」


「敷村の行方は分からなくなった。ここでプッツリ途絶えた。もしここに敷村が居たのなら、警戒しないような間柄だったのかもしれないな」


 古都は少し離れた所から微かに聞こえる笹井達の声に聞き耳を立てていると、遠くの方で声が聞こえた。


「え? 冬花さん?」


 古都の声に、笹井達も反応した。


 冬花が、いとと雪を連れて歩いて来ていた。


「おい! お前は休んでろって言っただろ!」


 影沼が急ぎ足で冬花達に近づいた。冬花は笹井を睨みつけた。


「その後連絡もなければ、アホな部下も帰って来ないので」


 圧のかかった言い方に笹井は目を逸らす。


「それに、ここへ来たのは彼女の希望です」


 黒い帽子を深く被ったるりが、冬花の後ろからひょっこりと顔を出した。

「るりちゃん! こんな所に来たらダメだよ! タテハ以外にも君を狙ってる奴がいるかもしれないのに」


 笹井が駆け寄った。怯えたように冬花の後ろに隠れた。


「るりさんはさっき、少しだけど声が戻ったの。彼女は死者の声が聞ける能力者なの。力になりたいって、彼女がここに来たいって言ったのよ」


 キョロキョロと周りを見回しながら、タテハの近くに誘導した。


「死者の声が聞けるって・・・本当なの?」


 笹井の問いに下を俯いたまま頷いた。


 横たわったタテハの前に立つとじっと目を瞑った。


「・・・私と・・・笹井さんを・・・殺したかったって」


 小さい声を震わせながらるりは話し出した。


「敷村 菜津子は仲間だった。裏切った。あいつはまだ気づいていないだろう・・・」


 冬花は菜津子の名前が出るたびに心臓が跳ね上がった。


「あいつって?」


 笹井が隣から話しかけた。


「君が・・・よく知っているお友達だよ・・・」


 言いかけて、るりの動きがぴたっと止まった。


「う・・・そ。嘘よ・・・だって」


 取り乱したように、るりは後ろに下がった。


「るりさん⁉ 大丈夫?」


 ふらつく姿を見て、冬花が肩を掴んで支えた。


「駿河・・・碧」


「古都ちゃんが話を聞いた同級生の子ね? 彼も蝶の人間だったって事?」


「待って‼ 碧君が? じゃあ何故私に情報提供をしたの?」


 古都が整理の着かない頭を何とか動かしながらるりの横に出てきた。


 るりは両耳を手で覆って首を振った。そこからまた話さなくなってしまった。


「落ち着いて、ここまでにしましょう。るりさんもさっき話せるようになったばかりだもの。一旦ここから離れましょう」


 冬花は遠くから聞こえるサイレンの音に気づき、るりを連れて近くに停めた車に向かった。


「るりちゃんを・・・心配そうにしていたあの表情も嘘だったの?」


 古都は下を俯きながら小さい声で呟いた。


 笹井は古都の頭に手を乗せて軽く摩った。タテハの事といい、一番蝶の人間に近づいている存在だが、ジャーナリストとして何も成果を出していない苦しみが伝わった。


「俺達も一度戻ろう。色んな事が起きすぎた。帰って仕切り直そう」


 笹井の声に、しっかりと顔を上げて無言で歩き出した。


 荒れた海の音に掻き消されるように、サイレンの音がチラチラと鳴り響いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ファルファーラ ほしの りと @ritohoshino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ