第14話

 年末年始を家族と共にのんびり過ごした。正月明けからは引越し作業である。自宅は妻と娘夫婦と三人の孫で賑やか過ぎる。更に二十五年間の単身赴任生活の品物など置く場所など無い。それどころか自分の洋服を整理するスペースさえ確保できない。

 孫が小学生になり、いつの間にか武井の部屋にはピアノが置かれていた。更に生活用品の保存スペースにもなっているのだ。数日間の休日に寝泊りする分には不便は無いが生活をするのには無理がある。車で五分とかからない場所に武井の生まれた実家があり、八十七歳の母が一人で住んでいる。築六十年のかなり古い家ではあるが、七部屋の内、三部屋は物置部屋になっている。武井はこの三部屋の片付けに着手した。

 なんと二トントラック二台分の処分品を片付けて一週間かけて二部屋を住める状態に造り上げた。古い物を処分するのはかなりの重労働である。更に八十七歳の母親とのやり取りは実に滑稽な会話になる。

「これ必要なの?」

「いるからあるんだろう。」

「最後に使ったのいつよ。」

「忘れた。」

「じいちゃん死んでから使った?」

「いいや。」

「あのねぇ、じいちゃん死んで六年だよ。」

「知ってるよ。」

「そう言う事じゃなくて、六年間使わない物今更使うわけないでしょ。捨てるよ。」

「もったいない。」

 このやりとりで部屋を片付けた。

 実家と自分の家の二箇所でどちらにでも居られる部屋をなんとか確保した。その合間には母親を病院に連れていったり、知人の葬儀に連れて行ったりと便利に使われたりもした。たまに農作業の手伝いもしたが半日で音を上げた。農作業とは穏やかでのんびりしたイメージを持つ事もあるが、そんなに甘いものでは無い。時間と労働力と得られる収入を考えればサラリーマンの方がましではないか。機械化された大きな農家であれば良いが武井の家はそれとは違う。

 穏やかなお天気の日にびわの木に小さな実が沢山生っていた。剪定すると良い実ができると聞いた事があるので脚立を立てて奮闘した。ついでに藤の木の余計な枝を落としてみた。

 そこに近所の娘さんが「あんちゃん、久しぶり。」と声を掛けてきた。小さいときによく遊んであげていた子である。

「おばちゃんのワクチン接種券届いたの?」

「おう、届いたよ。」

「おばちゃんの予約どうしよ、わたし予約取ってあげようかと思って。」

「あぁ、前回も世話になったみたいだな。いつも悪いな。今回は俺がやるから大丈夫だよ。ありがとな。」

「うん。必要だったら言って。」

 懐かしい、いい大人になっても小さい頃みたいに「あんちゃん。」本当に地元に帰ってきたんだと実感が沸いてきた。

 半日寒空で脚立に立っていると母親が。

「お昼ごはんどうする。」と声をかけてきた。

「なんでもいいよ。まかせる。」

「気をつけろよ。慣れない事して落っこちるなよ。」

 還暦過ぎても子ども扱いである。

 

 なかなか充実した毎日を過ごしている。しかし今月は収入がゼロ。ぬるま湯に慣れないようにと、ふと我に返る時がある。そう、来月からはまた新入社員として新しい会社に勤めるわけである。

 また、生活パターンも考えたい。自分の家には妻と娘の家族が住んでいる。二十五年間単身赴任だった人間。月に一度帰るかどうかの生活にお互いに慣れているのに突然毎日おじゃましては面倒ではないだろうか。おじゃますると言うのも変な話である。自分の家、自分が建てた家なのに。まあ仕方ない。

 かたや実家に自分の部屋を確保して、今までのんびりと一人で生活していた武井にとっては静かな自分の部屋を確保できたのはラッキーである。しかし一戸建ての冬は寒い。今時、こんなお風呂ないだろうと思えるような古いタイル張りのお風呂。ましてや北側には大きな窓。横幅一メートル八十の畳一畳分の窓。とにかく寒い。早く、早く湯船に入りたい。洗髪は後回しで体を洗い流して湯船に飛び込んだ。こんなにうちのお風呂って寒かったのか。更に早朝に寒さで目を覚ました。部屋の気温が六度。アパート暮らしでは真冬の朝でも十五度までしか下がらない。二十四時間自動換気でありながら二重サッシで両側に別の住人が住んでいたので気温があまり下がらなかったのだ。ここは違う。甘かった。まだ四時なのに布団をかけ直した。

 近所に妻の友達が引っ越してきた。ある日の夕方、玄関のチャイムが鳴り、出てみるとその子が立っていた。手には妻の手作りの(しもつかれ)をぶら下げていた。

「奥様におすそ分けで頂きながら、ついでにパパに届けてって頼まれたの。」

 この料理はこの地方独特の料理で他県の人にはあまり人気の無い料理だが、各家庭の特徴がでる美味しい料理である。

 テレビ番組でぽつんと一軒家と言う番組がある。年を取って一人で田舎の古い家に住んでいるおじさんがよく出てくる。皆、裕福とは言わないが元気で充実した生活を送っているように見える。武井の家はぽつんとした家ではないが、ちょっと共通点が見えたりする。ビルの立ち並ぶ都会で仕事をしていたせいかも知れない。のんびりした気分に浸ってしまう。

 そして総括部長が言っていた三人の歩く道が違ったと言う言葉を思い出した。収入は相当に違いが出ていると思う。それでもなんとなく武井は間違っていない選択だったと思えていた。裕福な生活と言うのは限りがない。武井も一時ではあるが高収入の時代を経験している。毎週末五~六人の部下を連れて飲み歩いたり、セカンドカーとしてツーシーターのスポーツカーを購入しようとして諌められてあきらめた事もあった。普通のサラリーマンとしては四倍以上の収入で我ながら少し変だったかも知れない。そんな時代も過ぎればただの思い出だけで何も残っていない。十五年が過ぎているが当時の部下で今でも交流のある人間はいない。

 高い生活水準に満足するか、物足りなくても満足するかは自分自身の考え方次第であろう。贅沢には限りがない。一泊二食付きで八千円の宿に満足する人もいれば、一杯八千円のウニ丼を食べるために飛行機で北海道に行くと言う人もいる。わずか一週間の旅費が二百万円。

 武井は思う。これから結婚しようとするカップルが一泊二食付き八千円の宿に泊まるのと、離婚間近の夫婦が北海道にうに丼を食べに行くのではどちらが楽しいか。

 

 学生時代の友人から突然電話が来た。

「たけ、久しぶり。地元に帰ったんだって?」

「信夫かぁ、久しぶり。さとしのおふくろさんの葬儀以来だな。そう。早々に定年だよ。」

「そうなんだぁ、でも、俺たちまだ年金貰えないじゃん。どうすんの。」

「来月から細々と嘱託で働くよ。」

「そうだよな。決まってるんなら良かった。俺も辞めたいんだよなぁ。定年で継続したんだけど給料が半分だぜ。」

「まだ都内に単身赴任のままなの?」

「そう、単身赴任十五年。」

「俺は二十五年だったよ。」

「そうかぁ、そんなになるか。」

「今回地元に帰ることになって改めて気づいたけど、自分の部屋が無くてさぁ、仕方ないから実家に荷物運び込んで住める様にするのに大仕事なんだは。」

「なんで?一戸建て建てたじゃん。」

「嫁と娘夫婦と孫三人で生活している所に、俺の荷物なんてクローゼット一つ置く所も無いよ。」

「なんだか俺に似てるな。俺も、もし今帰ったら同じでな、実家に入るつもりなんだよ。息子と孫に占領されて俺の帰るスペース無くて、実家のお袋と一緒に住むつもりなんだ。嫁もそうしよって言ってるんで、将来は実家の古い家で三人暮らしだな。」

「なんだ、全く同じじゃん。それで農家の真似事やったりして。」

「そうそう、近所の農地借りる話もあって、正にのんびり農業デビューでもしようかってな。」

「オウオウ、俺と同じだな、でも農業は甘くないぜ。」

「近所の農地貸してくれる人が教えてくれるんだ。」

「いいねぇ。そしたらみんな集めて収穫祭のバーベキューなんかやりたいな。」

「いいねぇ、こんな風にたわいのない話ができるのも同級生だけだよな。」

「そうだな。」

「会社じゃ還暦過ぎたらなんだか扱いが雑になった感じでモヤモヤしてたんだ。たけ、その内飲もうぜ。」

「そうだな、コロナが収まったら飲もう。」

 本当にたわいのない、懐かしい、あったかい会話で電話を切った。田舎に帰ってきた実感を、そして子供の頃に帰れた気持ちになった。


 いよいよ嘱託とは言え新しい仕事がスタートした。仕事の合間に職安と市役所に出向いて再就職時に優遇される手続きを済ませた。ちゃんと手続きしたら思った以上に優遇されることに驚いた。逆にその優遇処置が無かったら大変な事になるところだった。会社都合と自己都合による退職ではこれ程の違いがある事に胸をなでおろして感謝である。

 仕事については給料が半減されても前職から離れられた安堵感が勝る。

 仕事に慣れてくると日ごとにプレッシャーの掛かる日々がやってきた。見渡せば年下の上司と年下の同僚に囲まれた環境。年配者なりの立ち位置を確立しなければならない。後悔しないように今の環境・この仕事を成功させねばならない。なかなか思うようにはいかないものだ。三か月が過ぎても良しとは言えないレベル。あと三か月で目に見える成果を出す事が目標である。その為には今週何をする?今月何をする?課題と対策・手法を考えて実践するしかない。決して楽ではない。

 ある日、前職の保険部門の部下からラインが入った。お久しぶりです。と言った挨拶から会社を辞めたいと書いてある。彼女は武井と同じく社長から声を掛けられてグループの営業から転籍して来た人で、年齢が同じなので気が合っていた。退職したいと言うが、ご主人が高齢な上に年金が無いので生活が大変なはずだ。そのご主人が倒れて半身麻痺になったらしい。

 その事を雑談で社長に話したら、なんと。

「それは大変だな、早く逝ってもらったほうがいいよな。」と言われたらしい。さすがに冗談だとしても酷過ぎる。武井は驚きながらも。

「社長に常識が無いのは今に始まった事じゃないでしょ。僕もあと五年若かったら我慢していたよ。生活壊したら更に悲惨でしょ。」

 彼女とは久しぶりに色々な会話をして終話した。本音は噓である。五年若くても武井は退職していただろう。彼女は不満を聞いてもらい諌めて欲しかっただけなのだろうと思った。最後に明るいラインが返ってきた。

 四月。テレビのニュースで還暦を過ぎた活躍中の俳優さんが他界したと言う放送を見て驚いた。翌月にもやはり還暦を過ぎたお笑い界のベテランが他界したと放送された。それぞれ事故でも病気でもない。芸能界は特殊な業界なのかも知れないが、自分の立っている場所や環境を変えるのが難しいのだろうか。還暦を過ぎて生活に困らないだけの基盤があり環境が整っているならば、ましてや思いを実行するほどのエネルギーがあるのならば何で?と思ってしまう。もし生きていたとしても、お二人も武井自身もどんなに騒いでもあと数年で社会の一角からは離れるだろうし、そのうち自由に飛び回れる元気もなくなるだろう。それほど先の長い話ではない。それなのになぜ?

 武井は自分なりに七十歳が区切りだと思っている。家族とか他人に迷惑をかけないで好きなように遊びまわれるのはおおよそ七十歳までと勝手に決めている。七十歳を過ぎたら体調がどうなるか分からない。もし元気でいられたらおまけだと思えばいい。今、新しい何かを見つけたい。もうすぐ六十二歳。残り八年。

 武井は五十歳の頃にとても悩んでいた時があった。会社を退職したいと思っていた時期があった。中間管理職の重圧と上層部との軋轢に悩んでいた。しかし娘が年頃で、もし結婚となれば父親が無職では・・・。それよりも生活の基盤をどうするか悩んでいた。その時は上層部の思惑か計らいかは分からないが、他県への転勤と言う変化で助けられた。かなり遠方ではあったが役職をもっての移動であった。そもそも中間管理職の中でただ一人の単身赴任者で動かしやすい人材だったのかも知れない。

 その時に経験した。何をどれ程悩んでいても環境が変われば目の前の世界が一変する事を。もちろん新天地は甘くはない。また、新しい悩みは尽きないものだ。全く違った悩みに変化する。それはそれで新しい環境に立ち向かうしかない。あの時の経験が今の武井を支えているのかも知れない。どれ程悩んでも時間が過ぎれば懐かしさに変わる。誰かの歌で「十年前の今日、何に悩んでいたか覚えているやつはいない。」

 そんな歌詞に勇気をもらい、武井はまだまだ現役でいたい。



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還暦サラリーマンの迷走 @isasa130

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