(47)「練蔵じいさんの、わしゃダマされんぞう!」
午後はいよいよインターンシップの仕上げとなる啓発素材作りだ。十六時半にはプログラムを全て終了するから、実質三時間余りしかない。その時間のなさが、却って選択肢を絞ることに繋がった。
昨日の夕方、小室とみなもが選んだのは、短い動画の制作。悪質商法被害防止のシナリオを作り、その演技を消費生活室の備品のデジタルカメラで撮影するのだ。
「俺、簡単な編集ならノートパソコンでできるから」
小室は友人のサークルPR動画を手伝った経験があり、複雑なカット割りや画像効果のない三分程度の動画なら、三十分あれば編集とエンコードが可能だという。
「じゃあ私は、シナリオ作ってくるよ」
澄舞大学総合文芸研究会は、年に一度文芸同人誌を発行しており、みなもも手慰み程度の短い物語をいくつか書いている。だから昨夜は秀一と甘い時間を過ごした後、そのまま寝てしまいたいのを我慢してパソコンに向かいシナリオを書き上げた。
今朝、動画を作ると聞かされた野田室長は、目を丸くした。
「さすがYouTube世代だねえ。うちもプロに頼んでいくつか動画を作ったけれど、機材も俳優も編集も自前で作る発想はなかったな」
「それで、実は室長と二階堂さんにもちょっとした役をお願いしたいんですけど」
「ほう」
「あら、私も? 喜んで」
二階堂は先日のインタビューでカメラ度胸がついたようだ。というよりも、癖になりかけてる?
昼休みが終わる十三時ドンで読み合わせ開始。自分は絶対にダマされないといっていた高齢男性(小室)が老人ホーム入居権詐欺にあっさりダマされそうになり、寸前で娘(みなも)に止められる。野田は練蔵をだます悪質業者役で声のみの出演、二階堂は最後に手口の解説と注意を呼びかける役だ。
「衣装は用意してるの?」
二階堂の問いにみなもは、そこはどうしようもないので私服のままで見立てるつもりだと答えた。
「いやあ、それは勿体ない。ちょっと待っててね」
二階堂は一旦席を外し、すぐに戻ってきた。手にした段ボールを机上に置き、蓋を開いて中身を取り出す。髪の薄いかつら、サザエさんの波平が家で着ているような着流しの和服、サザエさんのようなエプロン。いずれも安物ではあるが、私服よりは役柄に近づくことのできる衣装類だ。
「えーっ、なんでこんなのあるんですか?」
驚きの声を上げるみなもに、二階堂はVサインをして答えた。
「ふふーん、すごいでしょ。消費者向けイベントで、寸劇は好評なのよ。だから、少しずつ衣装や小道具を揃えてきたんだ」
小室は三脚にデジカメを据え付け、画角を決める。カット割りはしない。最小限の切り貼りはできるから、とちったら少し戻ってやり直し。衣装をつけてとちりまくりの撮影は笑いに満ちていた。楽しげな様子に、相談員たちも代わる代わる見に来た。
そして二階堂の出番。解説の最後に、脚本家みなもはあの台詞を用意していた。二階堂もそれを気に入り、「どうせなら、このラストは、センターみんなでやろうよ」と執務室にいた職員全員に声をかけた。幸い相談者などの来客はいない。わらわらと集まって総計十四人。小室は演出変更に対応するため三脚をグッと後ろに下げ、全員が入る画角を確保した。
撮影開始、終了。小室が動画を確認して「O.K.です、クランクアップ!」というと、皆が一斉に歓声を上げて拍手をした。なんだか学園祭みたいだ、とみなもは思った。
野田がポンと手を叩いて皆に告げる。
「さあ、我々は一旦仕事に戻ろう。完成したら上映会ね」
十五時を少し過ぎていた。ここから小室の編集作業がはじまる。撮影は小室がシャッターを押してそのまま役者として登場したから、パンやズームといったカメラワークのない固定撮りだ。解像度を犠牲にすれば同じ事は編集作業で行える。みなもは横でその作業を、まるで魔法を見るかのように眺めていた。
五十分後、作品は完成した。
小室の声でタイトルコール。画面は「練蔵じいさんの、わしゃダマされんぞう!」の書き文字に、高齢男性といわれればそう見えなくもないみなも画伯の絵が添えられている。明るいBGMは著作権フリーで使えるネット素材を見つけてきた。
私服の上から和服を羽織った小室が登場。カツラは少し抵抗があって着けていない。
「わしの名は練蔵、悪質商法にはダマされんぞう! さて、今日の郵便物を確認するかのう」
手にした封筒の中からパンフレットを取り出す。ブツは適当な有り物だ。練蔵はパンフレットに思いっきり顔を近づけたり、遠ざけたり。
「これは、老人ホームのパンフレットじゃな? 優しい家族と一緒に暮らすわしには、こんなものはいらんぞう。ぽーい」擬音を口にしてゴミ箱にパンフレットを放り込む練蔵。
そこに電話の呼び出し音。練蔵が受話器を取る。
「はい、もしもし」
「こちらは澄舞福祉協会の
相手の声は野田だ。少し高めの優しい声音。
「はあ」
「実は新しい老人ホームを建設中なんですが」
「わしゃダマされんぞう!」
「ああ、いえ、セールスではないんです」
「セールスでは、ない?」
「はい。実はそこにどうしても入居したいという独り暮らしの高齢者がいらっしゃるんですが、パンフレットの届いた人しか申込みできなくて、困っておられます。練蔵さまにパンフレットが送られていると聞きまして、どうかお名前を貸していただけないでしょうか」
「名前を貸すだけか」
「はい、お金を出す必要はありません」
「そうか、ならダマされる心配はないな。困っている人の助けになるなら、名前を使ってもらって構わんぞう」
「ありがとうございます、感謝します!」
電話を切ってテーブルに置く。
「ふっふっふっ、良いことをすると気持ちがいいぞう」
再び電話が鳴る。
「はい、もしもし」
「私はあーせいこーせい労働省の
野田の二役、今回は低くドスの効いた声だ。体格が大きいから迫力が違う。練蔵じいさんも少しびびった様子だ。
「あなた、老人ホーム入居権の名義を他人に貸しただろう。それは法律違反だ! じきに警察が逮捕に行くことになる」
「ええーっ!」オーバーに驚く練蔵。
「今日の午後三時までに二十万円の供託金を振り込めば、警察を止められる。金は後日全額返すから、すぐに振り込んでくれ」
「はははいいっ!」と返事をして電話を切る練蔵。
「大変だ大変だ、通帳通帳、カードカード」
練蔵が右往左往するところに、娘役のみなもが登場。
「お父さん、どうしたの?」
「たいへんだぞう、実はかくかくしかじか」
「かくかくしかじか! お父さん、それ、最近流行ってる詐欺よ!」
「ええええーっ!」
練蔵はカメラ目線になる。情けない顔、情けない声で「わしの名は練蔵、ダマされたぞう。とほほ」
オチのついた音楽。テーブル越しに正面からカメラを向く二階堂に切り替わる。手口の解説、ここはみなものシナリオではなく二階堂の知識と経験に任せた。
悪質業者は人の心理の裏をかくプロ、自分はダマされないと思っている人ほど足下を掬われる。お金が絡まず名前を貸すだけという安心感、困っている人を助けたという満足感。そこに急転直下の事態が起こり、威圧的に迫られる。ジェットコースターのような感情の起伏を生み出すのが、心理コントロールの手口なのだ。加齢とともに、それに抗することは難しくなるのが自然の摂理。家族や地域の人たちの見守りが鍵となる。振り込みの前に止めるのが大事、振り込んでしまったら被害回復はとても難しい。
二階堂のアップ。ここからは、あの台詞だ。
「でも、そこで諦めちゃダメ! 黙って泣き寝入りはやめよう!!」
ズームアウト。みなもと小室、センター職員がずらりと二階堂の後ろに並んでいる。全員で最後の決め台詞。
「消費生活センターは正義の味方、困った時は電話番号188、『だまされるのは「いやや」』まで!」
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