(46)柳楽と二階堂

 ガラス張りの一階ロビーは駐車場側と央梁川側の二方向に開けた構造だ。みなもはガラス越しに、央梁川前のイベント広場で犬の着ぐるみ──すまいぬが何やら踊っているのに気付いた。

「今日は県の広報枠で使うアクションシーンの収録があるんです。見ていきますか?」

 柳楽の言葉にみなもは思わず笑顔を浮かべた。すまいぬを生で観たい気持ちが半分。もう半分は、近くにいる筈の恋人の仕事姿を補給したい気持ちだ。期待に満ちた表情で振り向いたみなもに、二階堂は微笑みを返した。

「県のマスコットキャラクターの撮影現場も、インターンシップの趣旨に合うよ。ラジオ収録も短時間で終わったし、次の予定には余裕があるから、少し見ていこうか」

「はい!」

 柳楽がディレクターに話をつけ、撮影の邪魔にならない位置に一同を案内した。ディレクターの近くにいた秀一がみなもに気付き、小さく頷く。みなもは手を振りたいが、我慢。心の中では思いっきり振っている。

 先ほど玄関で見かけた同僚女性の姿は周囲に見あたらなかった。

 左右に広がる川に面した広場は、秋の心地良い陽光の下、爽やかな風が吹いていた。広場の中心にいるすまいぬのスカーフも心なしそよいでいるように見えた。準備運動だろうか、すまいぬは脚を肩幅に開いて上体をゆっくり右へ、左へ回し、それにつれて両腕が体に巻き付き、膝が柔らかく浮き沈みする。余裕のある着ぐるみなので、中の人の動きは外から窺えるよりも大きいのだろう。

 みなもと小室がその様子を眺めている間、二階堂は柳楽の様子を気にしていた。先日の取材時に比べて、今日は口数が少ない。

「柳楽さん、もしかして、随分叱られちゃいました?」

「まあ、ちょっと……すごく」

 柳楽は目を合わさずに答える。

「すごくかあ、はは。でも、後悔はしてないみたい」

 二階堂のこの言葉で、柳楽と視線が合った。

「おや、分かりますか?」

「なんか、そんな顔をしてたので」

「あー、修行が足りないなあ、俺。謝罪の相手に、反省してないことを見抜かれてる」

 柳楽は右手を挙げ、指で髪の毛を梳いた。

「──何年も取材の仕事を続けているとね、感じるんですよ。みんなマイクの前で、心の中の本音と違う事を喋ってる。隠したいことがあったり、自分をよく見せたかったり、綺麗なシナリオをなぞったり、世間から期待されている役割を演じたり」

 柳楽は少し言葉を切った。二階堂は、話の趣旨が見えないながら、続きを待った。二人ともすまいぬの方を見つめ、目を合わさない。

 柳楽が続ける。

「二階堂さん。インタビューの時、シナリオ読むなっていわれて苦労したでしょう」

「それは、まあ。読むつもりでいたので」

「ニュースのインタビューってね、放送できる秒数は本当に短いんですよ。だから簡潔にポイントを突くを撮らなければならない」

 二度、三度、四度。テイクを繰り返すことでよりシャープな言葉に研ぎ澄まされていくことを、二階堂は実感していた。

「最後のテイクで、いい説明をもらったと思います。ただ、良くも悪くも公式の作文です。でもね、撮影を終えた後のリラックスした二階堂さんからは、本当の声が聞こえました。放送した〆の場面は、悪質業者と戦い消費者を護る最前線の県庁担当者として、魂の籠もった叫びでした。あれは使わない手はないだろうと、今でも思ってますよ」

 二階堂は、使わないでといった映像を使われた、いわば被害者だ。しかし、表面上は弁解と捉えることもできる柳楽の言葉を、素直に聴くことができた。この声に嘘はない。この人は信頼できるというあの時の印象は本質として間違っていなかった、そう思った。

「柳楽さんの今のこれも、魂の叫びですね?」

「あ──うん、そうですね」

 柳楽は言われてやっと気付いた風で、二階堂の方を見た。二階堂も柳楽の目を見つめた。そこには少年のような光があった。

「俺、もともとディレクター志望だったんですよ。人間に興味があって、ドキュメンタリーを撮りたくて、すまテレに入った。アナウンス部に配属になった時は正直凹んだけど、直接取材対象と会話を交わして相手の本音を引き出す仕事に、今はとてもやり甲斐を感じてます。──でもまあ、今回のことでしばらく謹慎ですけどね」

「えっ」

 月曜朝のすまいぬインタビュー事件のことを知らない二階堂は、自分の件だけで謹慎処分は重すぎると驚いて、柳楽の顔を見た。

「大丈夫、しばらくテレビへの露出が減るくらいの話です。二階堂さんに見抜かれたように、後悔はしてません」

 本番行きまーす、とディレクターが大きな声を上げた。映像撮りだけで音声は必要のない場面と聞いていたが、自然と皆が口を閉ざす。

 すまいぬが、すっ、と両手を胸の高さに挙げてから上体を捻り、歩き出す。地面に大きな円の軌跡を描きながら、身体は右へ左へ自在に転変し、両の腕はうねるように動く。時に指先が上段を突き、時に下腿が地を払う。愛されキャラの着ぐるみは微笑ましい舞踏にも見えるが、中の人の運動量と体幹の安定性がそれを支えていた。

 中国拳法の中でも難易度の高いはつしようの套路(型)だが、そうと知る者はこの場には他に誰もいない。孤高の武を「彼女」は演じていた。

「彼女も本当の自分を押し殺して生きている一人なんだよな……」

 柳楽が無意識に呟いたのを、みなもは聞いていた。自分たちを除いて、撮影現場には男性しかいないように見える。敢えて言えばすまいぬだが。

「すまいぬって、男の子って設定ですよね?」

 素朴に尋ねるみなもに、柳楽は「あ、ええ、そうですね」とだけ応えて、そのまま口を閉ざした。

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