(45)ラジオ収録見学

 インターンシップ最終日。

 二階堂の運転するロシナンテは、今日は機嫌の良いエンジン音を鳴らしていた。

 松映市街地は、広大なすんから東の央海おうみへ流れ込む平均川幅百四十メートルのおうはしがわによって、南北に分割されている。橋北地区には県庁・市役所などの官公庁や国宝・松映城などの歴史景観地区があり、橋南は松映駅を中心に商業地区を構成している。

 駅から橋を渡ってすぐの央梁川北岸に澄舞テレビジョン本社屋が新築移転したのは、わずか三年前のことだ。みなもは中学生の時に学校行事で街外れの旧社屋を見学したことはあるが、中心市街地の新社屋は初めてだ。屋外駐車場で車から降りると、秋晴れの空の下、広い敷地を生かした低層の真新しいビルが鈍い黒銀に輝いていた。

 二階堂を先頭に、みなもと小室は玄関に向かう。玄関前に、台車で大きな荷物を運ぶ若い男女の姿があった。男は紺のスーツ姿、女はゆったりしたベージュのズボン、白のブラウスの上から水色の作業着のような上着を羽織っていた。

「あ、見覚えあるな。県の広報課の人だよ」

 二階堂がいうより先に、みなもは男が秀一であることに気付いていた。待ち合わせたようなタイミングに頬が緩む。秀一もみなもに気付いたようだ。

「おはようございます!」

 二階堂が二人に歩み寄りながら挨拶すると、二人も口々に挨拶を返してきた。

 二階堂と秀一は互いに面識がない。敢えて言えば、秀一は問題の録画を見ていたので、二階堂の顔はそれと分かった。

 女性の方は広報課の非常勤嘱託職員で、仲村静佳という。真っ直ぐに揃った前髪に隠れ気味の、少し陰のある瞳が印象的だ。消費生活室と広報課の書類のやりとりなどで時折り行き来があり、二階堂とは顔見知りだ。とはいえそれほど親しく会話を交わしたこともなく、二階堂は小さな声で「お疲れさまです」といって通り過ぎることになる。

 すれ違いざま、みなもが秀一に小さく手を振り、秀一も同じように返した。

 玄関に入ってから、二階堂がみなもに「知り合い?」と尋ねる。「今年県庁に入った、大学のサークルの先輩です」とだけ、みなもは答えた。

 受付で記名をして階段を上がり、二階の渡り廊下を進んだ別棟が、スマイレイディオのテリトリーだ。

 テレビと同じく澄舞・魚居両県をカバーするスマイレイディオでは、ウィークデーの十時から十四時まで自主制作番組「すまいっとストリート」を放送している。そのうち月に二回、金曜十一時頃から五分間が、澄舞県消費生活センターのスポンサードコーナーに割り当てられている。生放送ではなく前日までに録音・編集したものを流す。今日は明日放送分の収録だ。

「江戸川さん、できれば原稿差し替えたいんですけど」

 二階堂は挨拶もそこそこに、メインアナウンサーの江戸川きんに書類を手渡した。六十歳手前、キャリアは長くアナウンサー部の部長職にあるが今も現役だ。

「えー、そうなの? 今の原稿に絡めて渾身のギャグを仕込んどいたんだけどなあ」

「県内で起きたばかりの事件があって、県民にすぐに伝えたいんです」

 二階堂は香守茂乃の事件を受けて、高齢消費者被害の防止のために家族や地域の見守りを呼びかける原稿を昨日のうちに書き上げていた。江戸川アナと二階堂の掛け合い体裁による、県民向け注意喚起。説明の主体は二階堂で、江戸川の合いの手はお任せだ。それだけに、収録直前の差し替えは普通は厳しい。調整室の技術スタッフの二階堂を見る目も渋色だ。

「難しければ、来週に回しますけど、できれば明日流したいなと」

「んー、ちょっと読ませて」

 江戸川はシナリオに目を走らせた。一度頭から終わりまで読み、再び頭へ。眉に皺を寄せた真剣な表情から、彼の脳が高速回転していることが窺えた。

「……ぷふっ、ふひゃひゃひゃっ」

 江戸川は突如破顔して両手を打ち鳴らす。

「うん、いいギャグ思いついた! この原稿でいきましょう。」

「ありがとうございます。で、どんなギャグを?」

「ないしょ。本番で爆笑しなさい」



 本番の収録は、一発で終わった。二階堂は朝イチでイメージトレーニングを繰り返していたし、江戸川はさすがのプロだ。

「──あれ、笑うところって、どこかありました?」

 二階堂はO.K.を出した江戸川に怪訝な顔で尋ねた。

「またまたあ、今、必死で笑うの堪えてるんでしょ?」

「え?」

「え?」

 沈黙、二秒。調整室でその様子を聴いていたみなもは「ギャグってどこだった?」と小室に尋ねたが、小室も首を横に振るだけだった。

 江戸川は、しょぼん、とうなだれて立ち上がり、録音ブースから調整室へ続くドアを開けた。そこでくるりと振り返り、ビシッ、と二階堂を指差した。

「覚えてろ、来週こそ、爆笑させてやるぅ! うわあああん」

 だだだっ、とその場で泣きながら小走りの真似。なんだろう、この小芝居。

 その時ふと、二階堂は察した。ギャグを思いついたというのは、周囲のスタッフの前で急のシナリオ変更を受け入れる流れを作るための便法だったのではないか。

 二階堂は立ち上がり、江戸川に深々と頭を下げた。江戸川はその様子を見て、んー、と首を捻った。

「それはえーと、待ってよ当てるから、んー、とん京四郎の真似だね?」

「え、それ、芸人さんですか?」

「ううん、今作った」

 二階堂は苦笑した。この人とは無駄に話が長くなる。でもそれが嫌ではない。「喋り」のプロとして長年かけて培われたキャラクターの故だろうか。

「ともあれ、お疲れさま。帰る前にちょっとアナウンス部に寄ってくれる?」

 二階堂とみなもたちは、江戸川に先導で渡り廊下を戻り、促されてロビーのソファに腰を下ろした。江戸川はそこから川方向に折れた廊下の先でドアを開け、中を覗き込む。そこがアナウンス部なのだろう。

「なぎらっち、ちょっと来て! 県庁の二階堂さん来てるから」

 中から出てきた柳楽修を伴って、江戸川は二階堂のところに戻る。

「二階堂さん。先日の放送では、使うべきではない映像を使ってしまい、本当に申し訳ありませんでした。正式には報道部長が消費生活室に謝罪に伺うと申しておりますが、まずは柳楽の直属の上司として、心よりお詫び申し上げます」

 江戸川は頭を下げた。さきほどまでのおちゃらけた人気アナウンサーの顔ではなく、組織の管理職としての真面目な顔つきだ。その隣で柳楽も硬い表情で同じように頭を下げている。おそらく局内でたっぷり絞られたのだろう。

「いや、そんな、頭を上げてください」

 二階堂は慌てて両手を振った。

「結果的には、県民への注意喚起としてとても良い〆だったと、みんな言ってますから。香守さんと小室君もそうでしょう?」

 二人が口々に同意するのを聴いて、江戸川はにっこりと笑った。

「そういっていただけると、助かります。なにせこいつは」がしっ、と柳楽の肩に右腕を回し「いいジャーナリスト魂を持ってんですよ。ただまだ経験が足りないから、やらかすこともある。自分のやりたい方向に無闇に突っ走るんじゃなくて、周囲と信頼関係を構築して映像に表現できるようになれば、大成すると思ってます。──思ってるんだぞ、俺は」

 江戸川は柳楽に微笑んだ。それから身を離して両手でメガホンをつくって口に当て

「いよっ、すまテレの星! 俺を養って!」

「養うのは勘弁してください」

「えー、だめなの? ちぇっ」

 皆が笑い、柳楽の表情もようやく緩んだ。

「なぎらっち、せっかくだから皆さんを玄関まで見送ったげてよ。俺は会議があるからさ」

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