(40)反社会的交渉技術

「バシッと言ってやりゃあいいんだよ、そんときゃな」

 キイチことまきいちろうは、キノの問いにそう応えた。

 千葉県西船橋、ナチュラリズム健康革命協会の事務所。先ほど新人訓練を兼ねて、キノに澄舞県消費生活センターに電話をさせたところだ。

 この商売をしていると、全国の消費生活センターやその親分格である国民生活センターの相談員から日常的に「苦情」電話がかかってくる。

 詐欺というほど違法なことはしていないが、「消費者のために誠実に商売します」なんてこともない。だから、センターからの電話に応答はするが、実のある話はしない。会話をチューインガムのようにどこまでも引き伸ばして、返金はひたすら回避。

 ただしやりすぎると、センターとは別の行政処分権限を持った役所が動き出すから、そうならないようにどこまで粘れるか、粘り切れない時にどこで白旗あげて返金するか。その見極めは、最終的には八巻の仕事だ。

 その直前までの段階、つまり勧誘から販売、追加販売そして苦情処理の過程で顧客を説得し消費生活センターを煙に巻くのが、社員の役割になる。

 そのため、社員教育の中でも特に力を入れているのが、心理学の実践的応用だ。人は決して合理的・功利的な存在ではない。情動を掴み取れば、あとは錯覚や威迫で思う方向に誘導することはたやすい。その技術を、最初に数日の研修をした後は、OJT(On-the-Job Training)で身につけることになる。

 キノは入社二週間。消費生活センターとのやりとりは二回目だった。「会話をしながら会話しない」こと。ひとことで言えばこれに尽きるのだが、普通の生活を送っている一般人にはこれが難しい。つい、会話をしてしまうのだ。

 先ほどのキノの応答も、やはりヌルい。最初に電話勧誘販売だと口を滑らせたので、(通信販売の申し込みがあったといえ!)と怒気を含んだ筆勢のメモを見せ、脈絡なく修正したのは、結果論ではあっても良かった。一度言ったことを何の説明もなく「なかったこと」にする。相手は混乱する。そこがいい。だがそれくらいで、後はダメだ。「電話が混線していてよく聞こえない」は中盤以降の技で、初回からかましてどうする。

 説教の終わり近く、キノが八巻に問うた。センターが理屈で責めてきたらかわしきれない、どうすればいいかと。それに対する八巻の回答が冒頭の「バシッと言ってやりゃあいいんだよ」だった。

「いいか、話をはぐらかせなくなったら、次にモノをいうのは威圧だ。理屈なんかどうでもいい、大声を出しゃ相手はビビる。ただな、直接的暴力を匂わせたり脅迫になるような言い方はまずい。相手が録音していた場合、警察が動くきっかけになりかねんからな。こちらの正当性をどうしてわかってくれないんだ、行政のやってることは不当だ、という話を大声でかますんだよ」

 キノは頭を抱えた。

「俺、そういうタイプじゃないんすよ」

 二十五歳、小太り。そこそこの大学を出て、そこそこの企業に勤めていたが、何を血迷ったか備品のパソコンを一台ガメて自宅に持ち帰ってしまった。ネットに接続して立ち上げた途端に社のセキュリティ部門にアラートが出て、社内防犯カメラに写された犯行の瞬間が決め手になった。即、クビだ。

 PC買い替え費用、対応人件費など会社から請求された七十万円ほどの金額を払うことで内々に和解し、警察への被害届は出されずに済んだ。その金は、親に正直に言うこともできず、消費者金融で工面した。

 その消息を耳にした中学時代の知り合い(「友人」ではない)のリクルートにより、ここで働き始めたばかりだ。知恵がない、度胸もない、小心者。八巻もそんなキノ──木下誠の人物像をよくわかっていた。

「タイプは関係ない。俺もな、昔は他人に対して大声なんて出せなかった。善良に生きてりゃあ、心理的抵抗が大きいもんな。でもな、これはシンプルに交渉技術で、役者として輩を演じ切ることが手段、相手をコントロールし従わせることが目的。目的達成の為に有効な手段を用いることが社員の役目だ。そう腹に落ちたら、平気になったよ。何事も場数だぜ」

 その時、パソコンに向かっていたレミが声を上げた。バーチャルオフィスの顧客向け情報掲示板だ。

「キイチさん、また澄舞県から電話が来たようです。センターじゃなくて、消費生活安全室のニカイドウという女性だそうです」

 二階堂がかけた電話を、バーチャルオフィスが受けて「かけ直します」と切った状況。その情報が掲示板を通じて伝えられる。

 さて、どうする。

「──よし、じゃあ俺が手本を見せてやるよ」

 やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。八巻は啓発本でかじった山本ろくの言葉を脳内ではんすうした。哲さんからこの会社を任されている以上、部下には範を示さねばな。

 自分の席に戻り、掲示板に記載された電話番号を確認すると、携帯から発信した。二重に転送サービスをかけているので、向こうには転送業者が所有する固定電話の番号が表示されている筈だ。

 相手が出た。

「はい、澄舞県消費生活安全室・二階堂です」

 澄舞県庁では、電話を受けた者が所属と氏名を言うのが基本ルールだ。

「あ、二階堂さんですね。わたくし、ナチュラリズム健康革命協会のオカダと申します」八巻は猫撫で声でそういった。名前は営業用の偽名だ。

「お電話をいただいたそうでして、不在にしていてすみません」

「あ、いえ。わざわざお電話ありがとうございます」

 若い女。こちらの丁寧な言葉に恐縮している気配。第一印象としては、御し易そうだ。

「あの、ヤマモトさんをお願いしたんですが」

 「ヤマモト」は先ほど木下が使った偽名だ。八巻は落ち着いて応えた。

「わたくし、ヤマモトの上司でございます。本件責任者として、お話をお聞きしたいと思いまして」

 そこから五分ほど、穏やかに会話が続いた。二階堂からは、自分が特商法担当者であり久米相談員とは別の目的で電話していること、電話勧誘販売なら特商法の各種規定を遵守する必要があること、香守茂乃さんについて過量販売規制違反の疑いがあることなどを伝えた。八巻からは、あくまで通信販売で電話勧誘販売ではないという一点に絞った反論が繰り返された。

 一応は話が噛み合っている、と木下は思った。のらりくらりしたところがない。

 これは八巻の意図的な使い分けだ。返金交渉を行う消費生活センター相談員と異なり、本庁行政職員は処分権限を背景として行政指導を行うつもりと考えられる。うなぎ論法よりも法令適用の不当性を述べた方が効果的だろう。八巻は木下に手本を見せる機会を窺っていた。

「仮に一番最初が消費者側から申し込んだ通信販売でもですね」二階堂は相手に言い含めるような口調で滔々と語る。「定期購入じゃないなら、毎回の申し込みがあるでしょう。その時に電話で消費者側の次の注文意向を確認したのなら、その時点から電話勧誘販売として扱われるんですよ。いいですか、判例でも――」

 今だ。八巻が、すうっ、と大きく息を吸った。木下は空気が変わったのを感じた。

「判例って何ですか、さっきから何言ってるのか全然分かりませんよ!」

 大きな声量で、しかし恫喝のような低音ではなくあくまで高いトーンで、八巻が言った。

 一秒待つ。相手の言葉はない。突然の大声に呑まれたのだろう。仮に反応があっても構わず続きを被せるつもりでいたから、結局は同じことなのだが。

「ぼくはね、高校中退ですよ、学がないですよ。でもね、一所懸命に頑張って、この事業を立ち上げて、社員たちを養ってるんですよ! あなたは大卒かもしれないけど、偉い公務員のエリート様かもしれないけど、だからといってそんな上から目線で難しい話をされたって、わかるはずないでしょう。あなた、私を馬鹿にしてるんですか?」

 ここまで一気に捲し立てて、相手の反応を窺う。

「……いや、全然馬鹿にしてませんよ? ただ法律の」

「馬鹿にしてないなら、もっと分かるように話してくださいよ! 全然分かんないんですよ、あなたの説明は!」

「あの──すみませんでした。それではあらためて」

「ちょっと会議の予定があるので、今日はここまでにしてください! 気分悪い。話は後日聴きますので、また掛け直してくださいね! 明日から出張だから、一週間先で!!」

 相手の返事を待たずに、八巻はフックボタンをタップした。昔であれば受話器を叩きつけてガチャンと大きな音を立てるところだが、スマホではそういう真似ができない。

 ふう、と一息ついて、八巻は木下ににやりと笑ってみせた。

「な、こうやるのさ」



「やられたねえ」

 自席に座って腕組みしながらスピーカーホンを聴いていた後藤が、二階堂ににやりと笑ってみせた。

 二階堂は、はああーっ、と大きく息を吐いて机に突っ伏した。

「なにあれ! 誰も馬鹿になんかしてないのに。わけわかんないのは、あっちじゃない」

「ああいうのがね、連中のやり口なんだよね」と後藤が慰めるように解説する。「文脈なんか関係ない、というか、むしろ話が飛躍してついていけないようなことを、大声でかます。相手が理性的であればあるほど、面食らう。話を誤魔化して優位に立つことが目的だから、効果的なんですよ」

「くあーっ、悔しい!」

 わしゃわしゃ、と両手の指で髪をかく。ふっと顔をあげ、二階堂はみなもを見た。

「カッコ悪いとこ見せちゃったね」

「いや、そんなことないですよ。なんだか警察二十四時を生で見てるみたいで、どきどきしました」

 正直、県庁でこのような仕事をしているなんて、想像もしていなかった。みなもの役所のイメージは非常に曖昧で、秀くんから広報課の仕事のアクティブさを少し聞いてはいても、一般の公務員は机に向かって書類と睨めっこしているものと思っていた。机に向かって電話をかけている姿はイメージのままでも、その内実がここまでヘヴィだとは。

「ま、相手がロクでもないのは分かったことだし」と後藤がいう。「行政調査かけましょうや。ね、室長?」

 後藤が目線を二階堂の頭の上に向けた。二階堂が振り向くと、いつの間にか野田室長が二階堂の背後にのそっと立っていた。

「そうだね。調査はするといいよ。その後の方針は、調査結果や今後のヒアリングを踏まえて考えるとしよう」

「調査は、僕が来週出てきてからでいいですかね?」

「もちろん。緊急性はないからね。ただ、今週もう一~二回、二階堂君にコンタクトを取ってもらおうかな」

「え、出張があるから来週にしてくれと言われたんですが」と二階堂。

「でも、うんとは言ってないでしょ? こういうのも場数だからさ」

 野田室長の笑みに対して二階堂は、ははは、と乾いた笑いで頷いた。



「キイチさん、高校中退だったんですか?」

 木下の空気を読まない問いに、八巻はため息をつく。

「ばあか、嘘に決まってんだろ。俺は大学出てるよ。あいうシナリオ設定で、公務員が民間人を馬鹿にしやがって、というシチュエーションでゴネるのさ」

「ははあ、そういうものですか」

 木下は大袈裟に頷いてみせた。実は分かってねえだろ、と八巻は思った。

「でも、また電話しろなんて、言ってよかったんですか? 切ってしまえばいいのに」

「うちはな、詐欺じゃないんだ。できるだけ長い期間、同じ屋号で商売を続けたい。そのためには行政処分をかわし続けるのが大事だ。交渉を切ったら、役所は諦めるかもしれないし、逆に本気で行政処分の準備を始めるかもしれない。そうならないように、交渉ラインは細くなっが~あく維持しとくもんさ」

「ははあ、そういうものですか」

「それ二度目。語彙力磨けよ」

 八巻が木下の頭を拳でぐりっと小突いた。

 その時、八巻の胸ポケットからアルクアラウンドのサビが流れた。先ほど澄舞県庁にかけた電話とは別の、深網社幹部用のスマホだ。胸ポケットから取り出し、発信者を確認する。

 哲さんだ。

 その場で受信ボタンをフリックし、「はい、キイチです」といいながら、社長室に歩き出す。

「ああ、分かります。こないだブッさんのとこに回した奴ですね。……えっ?」

 社長室の前で歩みが止まった。

「はあ。実はその香守さんの案件なんですけど、さっき消費者センターが絡んできて対応したところです。……はい。はい」

 八巻の声が小さくひそひそとなる。木下は、それがかえって気になり、八巻の様子を眺めていた。

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