(37)管理職たる者は
後を二人に任せて二階堂が席に戻ると、野田室長が難しい顔で受話器を置いたところだった。二階堂と視線が合うと、すっと平静な表情に戻る。
嫌な予感。
インターンシップ指導の手が少し離れるこのタイミングで、二階堂は昨日の茂乃の過量販売案件を室長と検討する予定にしていた。
「室長、今からいいですか?」
二階堂の声掛けに、野田はニコッと笑って応えた。
「ごめん、課長から呼び出されたから、ちょっと行ってくるよ」
ひいっ、と声を出さずに二階堂は顔をしかめた。敢えて何の件かは聴かないが、野田の一際明るい笑顔から、また何かお叱りの呼び出しなのだろうと想像できた。
「戻り次第参加するから進めておいて」と野田。
過量販売事案に対しては、民事ルールによる回復の専門家である消費生活相談員、訪問販売または電話勧誘販売だった場合の行政規制発動について特商法担当の二階堂、特商法規制及び刑事罰について警察OBの不当取引指導員と、三人それぞれの専門から「筋読み」をする必要がある。最後に消費室としての方針判断をまとめる管理職の野田室長だが、それはある程度の整理がついた終盤でも事足りる。
「分かりました」と二階堂。その言葉を聞いて、野田はのそりと立ち上がった。
市町村プラザ五階から1階に降り、外に出る。県警前の歩行者用信号を押して横断歩道を渡り、議会前を通って本庁舎へ。顔馴染みの受付職員と二言三言言葉を交わし、敢えてエレベーターではなく階段をゆっくりと六階まで登る。
消費生活安全室から生活環境総務課まで七分。直属の課長に会うのにこれだけの移動を要するのは日常的には面倒だが、こういう時はありがたい。脳内で想定詰問に対する受け答えのシミュレーションを重ねた。
いざ。
「おはよーございます」
大きな声で、にこやかに。入口近くの総務予算グループ員が口々に挨拶を返す。小峠美和子課長も顔をあげ、頬を緩めて「おはようございます」と返したが、目は笑っていなかった。
「じゃあ、次長室で。なおちゃんも一緒に入れる?」
河上
生活環境総務課のオフィスは手狭だ。オープンな協議スペースはあるが、密談を交わそうと思えば左右の次長室または部長室を使うしかない。
小峠課長は、開け放たれたままの次長室のドアをコンコンと叩いて、中を覗き込んだ。
「次長、テーブル使わせてもらいますね」
「はあい、どうぞ」
部屋の主──生活環境部次長・杉本
野田はチラリと杉本次長の様子を窺う。杉本は手にした書類に目を
小峠課長が口火を切った。
「端的に言うよ。インターンシップのプログラムを逸脱して、学生を公用車で連れ出し、警察対応中の現場に立ち合わせたこと。これは澄舞大学から学生を預かっている立場として、極めて適正を欠く判断だったと考えています。申し開きを聴きます」
抜き身を上段から袈裟に斬り下ろすが如き第一声だ。
昨日二階堂からみなもを八杉に連れて行くと提案された時、野田は三秒考えた。そうすべきだとの状況判断に一秒。残る二秒は、予想される課長の叱責に抗弁できるだけの理と義を確認し覚悟する時間だった。
野田は大きく息を吸い込んで、意識的にゆっくりとした口調で話し始めた。
「はい。事実関係はメールでお知らせしているとおりです。判断理由として、まず他の家族の支援が見込めず彼女が動く以外にない逼迫した状況でした。彼女自身にも動揺が見て取れ、プログラムで拘束し続けることは適切ではないと考えました」
河上補佐がノートにペンを走らせる。課長が野田とのやりとりに集中できるよう記録係を務めるのが、このような席での課長補佐の重要な役割だ。
「その時点で二点問題があります」小峠が切り込む。「第一に、ならばそこで香守さんのインターンシップを中断して県の管理下から外し、個人行動に切り替えるべきだったのではないか。第二に、判断に先立って、私かインターンシップ調整担当のなおちゃんに相談すべきだった」
「第二の点については、仰る通りです。事後のご報告になったのは申し訳ありません。私の考えが至りませんでした」
野田は素直に頭を下げた。もちろん、事前に相談すればグダグダと時間がかかることが予想されたから、野田は確信犯で二階堂の提案を独断許可したのだ。そんなことを査問の場で馬鹿正直には言わない。小峠課長も野田の性格から察しているだろうが、敢えてそこまで追求はしてこない。
野田が続ける。
「第一の点については、幾つかの理由があります。まずインターンシップ受け入れ時間内であり、県として彼女の面倒を見る義務のある時間だったこと。次に、振り込め詐欺防止は消費生活センターの職務と重なる部分であり、その現場見学はインターンシップの趣旨を逸脱しないものと考えられたこと。そして、緊急に駆けつけることを警察から求められた彼女にとって、最速の手段だったことです」
小峠課長は、ふう、と口で息を吐き、宙を仰いだ。それから再び正面を向き、視線で野田を射抜く。
「肯定できる理屈を並べるなら、そういうことになるね。一方で否定的要素もたくさんあるでしょう? 事前に設計したインターンシッププログラムが台無しになる。小室君を巻き込まなかったのは正解だけど、担当の二階堂さんと仲間である香守さんが共に不在となり、彼への対応を損なったのではないか。警察活動中の現場を「見学」するなんて、警察にとっては邪魔、かつ被害者のプライベートに土足で踏み込む行為だよ。だから、インターンシップ生の現場見学という理由づけは成り立たない。香守さんだけで小室君を外したことも、「見学」設定では説明がつかない」
応答しようと口を開きかけた野田に被せるように、小峠が「そもそも!」と語気を強めた。
「詐欺の振込現場に駆けつけるのは警察の仕事であって、センターの仕事じゃないでしょう。日頃、そんなことやってるの?」
「いえ、やっていません」
野田はさらっと応えたが、正直痛いところを突かれた。
消費生活センターの職員が通報を受けてまさにトラブルの発生している現場に駆けつけることは、基本的に、ない。それを前提とした人員配置がされてない、つまり、リソースが足りないからだ。結果として、現行犯の通報があった際は電話でアドバイスを行い、必要に応じて警察に連絡するのが関の山ということになる。
「日頃やってないことを今回だけ特別にやったわけだよね。つまり、香守さんの私的トラブルへの対応に公用車を使ったと非難されても、有効に抗弁ができない」
「非難とは、誰からです?」
「そういうことじゃない、リスクの話をしてるんだよ。今回の件は内々で終わるだろうから、第三者に見咎められることは実際にはないでしょう。事故が起きたわけではないから、大学にも報告はしない。でも、だからいいということにはならない。仮に外部から文句を言われた時に抗弁できない行動を部下が取ろうとしたら、止めなければ。それが管理職に必要なリスクマネジメントなんだよ。野田さん、今回あなたにはそれが欠けていた」
課長の理屈には一定の理がある、そう野田は内心で認めた。だから、リスクマネジメントの在り方について異論はあるとしても、それを反論としてぶつけるのはやめようと思った。
ただ──。
「仰ることは、わかります。ひとつだけ、私の判断に至る核心を説明させてください。消費生活センターは、事業者の違法不当な行為に直面する消費者の味方として振る舞うことが職務です。あの時、香守さんと彼女のお
小峠課長は野田室長の視線をまっすぐに受け止めたまま、しばらく口を開かなかった。そのうち、ふっ、と小峠の緊張が解けた。続いて彼女の発した言葉は、これまでの詰問調とは少し違った柔らかさを帯びていた。
「うん。想いはよく分かります。消費生活センターは、一昨日の二階堂さんのニュース発言じゃないけど、正義の味方だものね。センター長として何を重視した判断だったのかは、理解しました。
「でもね──言い方がちょっと難しいんだけど、あなたは内室の室長、私は課長でしょう。何かあった時の最終的な責任は、私が所属長として背負うことになる。その責任と引き換えに、私が最終的な判断権限を知事から与えられている。だから──事前に相談してほしかったんだよ」
それはまあ、そうだ。野田は素直に「はい、すみません」と再び頭を下げた。
「さて。野田さんの考えは聞けたし、私の懸念も伝えた。なおちゃん、何かある?」
話を振られた河上補佐は、ボールペンを動かしながら、無言で首を横に振った。
「じゃあ、以上。忙しいとこごめんね」
小峠の表情に笑みが現れた。いえ、と応えながら、いつもみたいに険悪に終わらなくて良かったと野田は思った。
野田が立ち上がりドアノブに手を置いた時、小峠が「あ、もうひとつ」と声を上げた。
「夕方スマイルで二階堂さんの不規則発言を放送された件。別件と併せて広報課長からすまテレの報道局長あてに口頭で抗議を申し入れたそうだから。今後、すまテレからそちらにも謝罪に来ると思うから、そのつもりで」
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