(34)夫婦じゃなきゃできないこと

 その夜、みなもは再び実家に戻ることにした。おばあちゃんの次々販売被害について家族に報告するためだ。

 県庁に戻ったのが十八時前。定時は十七時十五分なので、小室はもう退庁していた。みなももすぐに帰され、県庁前からバスに乗って松映駅でJR各駅停車に乗り換える。

 電車の中からLINEで秀くんに「ごめん、用事があって、今夜も比嘉今ひがいまに帰るね。詳しいことはまた後で」と知らせると、ぷるぷる震えながら涙を堪えて「ぼく頑張る……」と呟くすまいぬのスタンプが返ってきて、キュン死しそうになる。可愛い奴め。明日こそはアパートに戻って、ちゃんといちゃつこう。

 家に入ると、ダイニングチェアに座って真面目な顔をしている父しゃんに、和水母しゃんが背後から抱きついて頬擦りをしていた。

「あ、珍しいパターン」

 思わず声に出すみなも。和水はそのままの体勢で応えた。

「おかえり。なんか父しゃん、ご機嫌斜めなのよ。和ませるために仕方なくやってんの。すりすり。好きでやってんじゃないのよ。すりすり。すー、はふう。ん、ちょっと汗くしゃい。くんくん」

 臭いのにまた嗅ぐのかー。愛だなあ。

 愛妻にベタベタされて、朗の頬がついに緩んだ。両手を前に出してバタバタさせながら

「たすけてー、母しゃんに捕まっちゃったよー、食べられちゃうよー」

ちらっちらっとみなもの方を見る。父しゃんの構ってサインは冷たくあしらうのが香守家の流儀だ。

「そのまま食べられたら。本望でしょ」

「母しゃんは好きだけど、母しゃんのうんちになるのはやだよー」

 みなもと和水は同時に噴き出した。ソファの方からも笑い声が上がり、歩がソファに寝転んでいたことが分かった。両親のいちゃつきぶりが正視に耐えず隠れていたようだ。

「くっつかれるのも悪くないけど、くっつく方が好き。今度は父しゃんの番ね」

 いいながら朗はくるりと和水の背後に回り込み、むぎゅっと抱きしめて首の匂いをくんくん嗅ぎ始めた。和水はその体勢のまま身じろぎせず、

「ぅぅぅうううう。がるうううう」

と低く唸る。敵に警戒する犬みたいだ。朗は怯えたふりをして、しかし満面の笑顔で身を離した。

「母しゃんが威嚇したあ。ひどいー。ぼっ、ぼくたち夫婦だよね、ね⁉」

「夫婦じゃないのにこんなことしてたら問題でしょ。他所でやってたら離婚じゃ、離婚」

「そうだよねえ、ぼくたち仲良し夫婦だよねえ。母しゃんにしかこんなことできなーい」

 朗は明るくいいながら右手の人差し指で和水の青いカーディガン越しに左の乳首辺りをぷにっと押した。和水は、チッ、と舌打ちをしてその手を払い、両手の指先で朗の両方の乳首を連打する。うはははやめてえ、と朗は身を捩って悦んだ。

「で、どうしてご機嫌斜めだったの」とみなも。敢えて夫婦の営みには突っ込まない。

「斜めっていうか、うん。おばあちゃんの事でちょっと落ち込んだというか」

 言いながら朗の表情からふっと緩みが消えた。和水はその様子を少し黙って見ていたが、やがてポンと両手を叩いた。

「さ、その話は後にして、取り敢えずご飯にしましょ、もうこんな時間」

 和水の言葉に、素直に皆が従った。香守家の司令塔は母しゃんだ。 

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